「就社」のすすめ

2005年に、室蘭工業大学の学生向け広報誌「蘭岳」第113号に載せてもらったエッセイをお蔵出しします。キャリアデザイン学会理事の肩書きで出したものです。



「就社」のすすめ

 「これからは『就社』ではなく『就職』すべきだ」ということがわが国のあちこちで声高に言われるようになったのは、1980年代だったでしょうか。その後、たぶん1990年前後から、米国の著名な研究者の説をひいて「『キャリアデザイン』においては、『自分はなにができるのか、なにが得意か』『自分が本当にやりたいのはなにか』『自分はなにをすることで自分の価値を感じるのか』を考えることが重要だ」などとも言われはじめました。さらに近頃では、このふたつを合体したような説が出てきているようです。
 「これからは『就社』ではなく『就職』だから、就職活動では会社を選ぶより先に自分の職業を決めるべきだ。まずは自分はなにが得意か、なにを本当にやりたいか、などを考えて、自分の将来像を描きなさい。そして、その実現に必要な能力や経験はなにか、それを獲得するためにどんな勉強や仕事をすべきなのかを考えなさい。それが『キャリアデザイン』というものであり、これに従って会社を選ぶべきなのだ。それができていないから『やりたいことがわからない』などといって就職も決まらないし、就職できてもすぐに『この仕事は自分に合わない』などといって退職することになってしまうのだ」
 これは一部の論調をもとに私が作ったステロタイプですので、誰かが実際にこのとおりに言っているというわけではありませんが、おそらくはみなさんも似たような話は目や耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 しかし、私たちは「キャリアデザイン」をこうしたものではなく、「狭義の職業キャリアにとどまらず、個人の一生を通じて様々な人生を選択し、それらの結果あゆむライフコースを含む幅広いもの」であり「つねに再設計され、軌道修正されるもの」であると考えています。
 私は、卒業・就職という人生の大きな岐路に立って、「自分はなにが得意か、なにを本当にやりたいか」といったことを考えることは非常に重要だと思いますが、しかしそれが「わからなければならない」とは思いません。むしろ、大学生・大学院生の限られた知識と経験では、こうしたことが「わからない」のが普通ではないかと思います。それは若者の持つ未知の可能性の裏返しなのです。人生の岐路は何度もあります。若年が壮年になるころには「わかる」ことも増えてきますから、そのときはまたそれをもとにキャリアデザインを再設計し、人生を選択することになるのです。
 ですから、「わからないならわからないなりに進路を考える」というのも「キャリアデザイン」の大切な考え方だと思います。その場合、結局は「そんな自分に合った会社」を選んで「就社」することになるでしょう。一般論としては、「いろいろな仕事にチャレンジするチャンスがあり、自分を試してくれる、育ててくれる会社」に「就社」するわけです。もちろん、その裏返しとして、「合わないな」と思っても、しばらくの間は「まだわからない」と考えて「がまん」することも大切になります。それを支えてくれる会社が、「わからない」人に合っている会社だということでしょう。
 こう書くと「大企業」というイメージがあるかもしれませんが、中小企業にも人材育成に熱心な会社はたくさんあります。成長し、雇用を増やしている中小企業ほど経営者が人材育成に力を入れているという調査結果もあります。会社と従業員がともに成長していくというのも、「キャリアデザイン」のひとつの理想なのかもしれません。