おまえが言うかおまえが

一日飛びましたが(笑)、きょうは、週刊ダイヤモンドの特集「働き方格差」から、ワタミ氏、草刈氏に続く企業経営者第3弾(といっても掲載順は一番早いのですが)、大企業と中小企業の格差に関する丹羽宇一郎伊藤忠商事会長・経済財政諮問会議間議員のインタビュー記事から一部を取り上げます。これがまた、なかなかのものです。

…大企業の一〇〇万円と中小企業の一〇〇万円では、意味が全然違う。にもかかわらず、強者の大企業が中小企業に発注する際、「一〇〇万円くらい、いいだろう」と安易に、コストカットを要求する。
…わずか一〇%の大企業の従業員をどんどん裕福にしてもなにも意味がない。大企業の従業員がカネ持ちになれば、残り九〇%の人のぶんまで余計に消費するということはありえない。日本経済がバランスよく発展していくためには、大企業の労働問題にばかりフォーカスするのは間違いなのだ。
 しかしながら、大企業と中小企業の格差を是正するための解決策は少ない。
 少なくとも、大企業には、中小企業への発注額を上げて、中小企業におカネが回るようにするなど、できることから始めてほしい。

 こういう意見を言うと、財界からは「あなたはどっちの味方なのか。経済界の味方ではないのか」と言われることがよくある。しかし、私は経済界でも、組合でもどちらの味方でもない。強いていえば、国民の味方だ。(談)
(「週刊ダイヤモンド」第4219号(2008年3月8日号)から、以下同じ)

いやはや。国民の見方を自任されるのも正論を述べられるのもけっこうなのですが、ここまで言われるとさすがの私も(笑)「ではまず隗より、伊藤忠商事さんが率先してできることから始めてみせてください」と申し上げたくなりますわな。まあ、経営者の立場と国民の味方の立場は使い分けるのだ、ということなら文句も言えませんが。
それはそれとして、中小企業が「買い叩かれて」苦しんでいるから納入単価を引き上げるべきだ、というのは時折みかける意見ですが、大企業と中小企業の賃金格差を解消するために取引内容に手を突っ込んで規制する、というのはやはり建前としてはおかしい、ということは確認しておく必要があるのではないでしょうか。また、値引き要請があり、それに応じなかったとしても、同業他社がそれ以下の価格を提示できないのであれば、いかに大企業といえども価格維持を呑まざるを得ないはずです。取引価格を規制することは競争を抑止して技術革新や生産性向上を阻害する側面があることも念頭に置く必要があるでしょう。
いっぽうで、安定的な取引慣行や大企業と中小企業の協力もまた技術革新や生産性向上には重要であり、わが国ではそれが比較的うまくいってきたことも事実なので、長期的取引を阻害するような政策にも慎重であるべきで、ここはバランス感覚の問題です。また、現実には大企業と中小企業では取引上の力関係は大きく異なるわけなので、下請法のような規制も必要で、程度問題をうまくコントロールすることが大切なのでしょう。
いずれにしても、大企業と中小企業の賃金格差の是正が政策的に本当に必要ならば、価格を統制するといった筋の悪い方法ではなく、大企業従業員の給与所得に重課税し、中小企業従業員に再分配すればいいわけでしょう。


もうひとつ、経済評論家の森永卓郎氏「モリタク先生」のインタビュー記事の中から。

 たとえば、オランダの例がある。八〇年代に政府と労使が一体となって、労働改革を行なった。労働者は無理な賃上げを要求しない代わりに、労働時間による給料の差をなくした。たとえば、労働時間を八時間から六時間にしても給料は八分の六になるだけで、社会保障などはカットされない。その結果、パートになる人が激増したが、経済状況はというと意外に改善しているのだ。
 日本の場合は、サービス残業が当たり前のひどい労働条件で正社員を続けるか、半分以下の時給しかもらえない安い給料で非正社員になるしかない。この間の選択肢がないことが問題なのだ。そもそも残業の四割を占めるといわれるサービス残業は労働法違反である。そんな会社の経営者は逮捕されたほうがいい。
 正社員であっても、育児や介護をしたり、大学院で勉強し直したいというニーズがある。オランダのように労働者自らの意思で多様な働き方を選べるようになるべきである。
 そのためには、正社員も痛みを受け入れる必要がある。その代わり自由を手に入れるのだ。給料は二〜三割減るが残業のない“給料八掛け、労働時間も八掛け”の社会でいいんじゃないか。
 日本人は自分がいないと会社が回らないと思っている。大きな勘違いだ。オランダのように、やってみると意外にうまくいくものだ。(談)

おなつかしやオランダモデル、という感じで、今となってはオランダモデルもそれほどうまくいっているわけでもないということで目にしなくなってきたわけですが、まあそれはそれとして。
「日本の場合は、サービス残業が当たり前のひどい労働条件で正社員を続けるか、半分以下の時給しかもらえない安い給料で非正社員になるしかない。この間の選択肢がないことが問題なのだ」というのは、表現がいささか扇情的でかえって値打ちを落としている部分はありますが、それを除けば一昨日のエントリで私が書いたことと似ていて、けっこう同感です。
で、「日本人は自分がいないと会社が回らないと思っている。大きな勘違いだ。」これはまことにそのとおり。私は今よりもっと生意気で世間知らずだった20代後半に、病気で1ヵ月強会社を休んだことがありますが、そのときに「自分がいなくても仕事は問題なく進む」ということをつくづく思い知らされました。これは本当にいい経験でした。その後もけっこう1ヶ月くらい入院したりしましたが、やはり同様でした。