日本労働研究雑誌9月号

 かなり面倒な特命が立て続けに降ってきてしばらくたいへんに難儀しておりましたがなんとか切り抜けました。なにもないのも寂しいものですがとりあえずしばらくはそっとしておいてほしい(笑)。中央大の講義もまもなく始まるし。
 ということでいつもどおりであればそろそろ10月号が届く時期になってしまいましたが(笑)、(独)労働政策研究・研修機構様から日本労働研究雑誌9月号をお送りいただきました。いつも本当にありがとうございます。

 ふだんであればお送りいただいてすぐにご紹介するので簡単な内容になるわけですが、さすがに1か月も経つとそれなりに読んでいるのでそこそこのことは書きますよということで、さて今号の特集は「労働組合はなにをやっているのか?」というもので、集団的労使関係に関するまとまった特集は近時かなり珍しいように思われます。バックナンバーの背表紙をさかのぼって見てみたところ昨年も一昨年も見当たらず、2015年8月号の特集「労使コミュニケーション」以来になるようです。ちなみに表紙の色は今年とよく似た赤紫色ですね。
 まず久本憲夫先生が「雇用類型と労働組合の現状」と題して総論的な論文を寄せておられます。まず「雇用類型」についてはこれを仕事の集団性と成果差の明確性の2軸で4象限に区分し、「A中期成果型」(仕事集団性高・成果明確性高)「B典型」(同高・低)「C時間型」(低・低)「D短期成果型」(低・高)として整理した上で、労組の基盤はBであるところ日本の伝統的な大企業の労組はBだけでなくAも組織化していることが特徴だと指摘しておられます。いっぽうで日本では企業別労組が主流のため(職業別労組がなじむ)Dは組織化が進まず、またBの減少とCの増加が組織に大きく影響していると述べられます。また、日本の労組は組合員の「メンバー」としての地位の確保のために「サーバント」としての性格が強くなることを受任したと指摘しておられます(これはhamachan先生のメンバーシップ型/ジョブ型の議論に通じるものですね)。
 続いて「労働組合の現状」について、ユニオンショップ、チェックオフ、大企業中心という特徴は継続しているものの弱まっていると述べられます。組合員についてはホワイトカラー化、高学歴化が進み、従来の「高卒ブルーカラー」のイメージは薄れる一方で非正規雇用の組織率は(上がっているものの)まだ低く、ユニオンリーダーについては活動は短期間であり、継続意欲も低いという特徴があるようです。組合活動に関しては、ユニオンリーダーは前述にもかかわらず負担は大きいもののやりがいもあるという評価であり、組合員も組合の必要性については肯定的だといいます。実際の調査結果も仕事満足度や生活満足度、女性のワークライフバランスなどに有意な効果が見られるようです。最後に日本の労組を5つのタイプに分類し、UAゼンセン同盟の活動のパフォーマンスに高い評価を与えておられます。
 続いて日本総研の山田久先生が「労働政策過程の変容と労働組合」という論文を寄せておられ、ご自身の政策立案・決定への関与の経験をふまえられた上で歴史的経緯を整理しておられます。従来は三者構成原則による審議会を軸としたプロセスであり、労組が政治的に一貫して野党であったこともあって政治の関与が少なかったことを指摘されます。それが90年代なかば以降になると規制緩和計画などの大方針が先に閣議決定され、それに沿った政策立案が求められるとうにプロセスが変化し、結果的に三者の議論がまとまらず、審議会の答申が両論併記などに終わるという機能不全が見られるようになったといいます。労使の合意が難しい政策案件が増えたことで政治の関与が強まったということのようです。
 こうした変化に対して、山田先生の評価は環境変化への適応を進めることはできたものの限定的であった、というもののようです。
 その後労組を支持母体の一つとする民主党政権ができたものの特段の成果もなく短命に終わり、現下の安倍政権においては労組の影響力が継続的に低下する一方で、政治サイドが主導して賃上げや働き方改革などのプロレイバー的な政策を実現しているという状況にあり、その背景には政治と労組の信頼関係の欠如があると指摘しておられます。そのうえで、これは決して望ましい状態ではなく、三者構成原則プロセスの復権が望まれるとし、具体的にはドイツやスウェーデンを参考として従業員代表制の導入、産別・地域別労組の強化、労組の政策立案機能の強化の3点を主張しておられます。
 続いて元読売新聞社の久谷與四郎氏が「労働組合春闘においてどのように関わっているのか」を論じています。まず前段では春闘の始まりと大幅賃上げ路線の定着、石油危機時の経済合理性論への転換、さらに連合発足後の低成長を背景とした論点の拡大といった経緯が整理されています。後段では一転して今次春季労使交渉における自動車、電機といった主要産別の交渉の動向が概観され、その上で連合が果たした役割について紹介しています。連合は自ら交渉することはなく、中小企業や非正規労働者の処遇改善といった課題について共闘をはかると同時に、経営者団体との社会対話などを中央・地方で推進しているものの、社会対話については統一した戦略性に欠けるとの評価となっています。いっぽうで、春闘が日本の「総学習システム」として機能していることを高く評価し、マスコミによる「官製春闘」という報道がミスリーディングであるとして苦言を呈しておられます。
 次は近年集団的労使関係研究分野で存在感を高めている首藤若菜先生の登場で、産別統一交渉を行ってきた私鉄総連電機連合を題材にして「労働組合は誰を代表しているのか?」を検討しておられます。
 やはりまず最初に春季労使交渉の歴史を簡単に振り返り、続いて私鉄総連のケースに移ります。私鉄の産別交渉は比較的早期に行き詰まり、大手各社の経営と個別に総連が交渉するという集団交渉に移行したわけですが、阪神淡路大震災にともなって東西に分裂、それが契機となって個別交渉への動きが進みました。その前後を比較すると、経済環境の影響などもあって評価は難しいものの、企業間格差が拡大していることは確実に言えるようです。
 電機連合は長く産別統一交渉を続けてきたものの、2000年代に入って、いったん産別交渉としては「ベアゼロ・定昇維持」で妥結するという形式だけは整えたうえで、現に経営危機にある個別企業においてはその後の個別再交渉で定昇凍結・延期を決めるといった形で個別化が進みました。その上で、並行して進んだいわゆる成果主義の導入などによる個別組合員間での格差拡大は進んだ(労組も容認した)ものの、現在に至るまで春季労使交渉における中闘組合のの妥結額は統一されており、企業間格差の動向も明確ではないことが紹介されています。
 この二つの事例を通じて、産別の努力にもかかわらず交渉力の低下、妥結結果のバラつきの広がり、都道府県別最賃の上昇にともなう産別最賃等の地位の低下といった変化が進んでいること、その背景として組織率の低下や組合員の高学歴化等による世間相場への影響力の低下、獲得成果およびその波及の減少・組合員間格差拡大による職場内への影響力の低下があることを指摘しておられます。
 さて次の吉村典久先生の論文は「日本企業における経営者の解任」というもので、企業統治における労働組合や中間管理職の関与を論じたものです。まず、企業統治とは端的に経営者の選解任であり、英国などではその担い手を一義的に株主としていた(株主用具観)ところ多様なステークホルダーが担うとする(多元的用具観)へと移行しているのに対し、日本ではもともと多元的用具観であったものが1980年代以降株主用具観にシフトしたと指摘されます。そのうえで、日本における経営トップの解任にあたって、メインバンクが重要な役割を果たした例、労組や中間管理職のインフォーマル組織による発言が大きく影響した例などが多数紹介されています。これらの事例をふまえて、よりよい企業統治のためには、株主・投資家や政策当局だけではなく、社内監査役や従業員組織・従業員代表などとの対話が重要であり、従業員代表の役員会参加や経営参加も検討に値すると主張されています。
 最後は奥貫妃文氏の「法律が定める労働組合」という論文で、相模女子大学准教授という肩書でのご執筆なので「先生」とお呼びすべきところかもしれませんが、もちろん業界では全国一般東京ゼネラルユニオンの執行委員長としてわが国を代表するオルグの一人として周知されている方です。それだけに「I はじめに」の中の「労働組合の存在が働く者にとって限りなく薄くなっていることは正面から認めなければならない。しかしながら、法律上において労働組合は昔から変わることのない普遍的かつ強固な権利が保障された組織であることもまた、紛うことなき事実である」という記述はたいへん重いものがあります。
 これに労働組合に対する「法律上において」の保護、戦後労働組合の略史が続き、「IV 労働組合の形態」ではNCCUや江戸川ユニオンといった具体的な例もまじえながら”非企業別組合”について紙幅を割いて説明しておられます。さらに組織率や組合員数などのデータを概観し、「VI 労働組合をつくるには」では結成手続や規約作成、財政、団体交渉などについて法的側面を中心に解説しています。続けてVIIとして管理職組合・非正規労働者組合について項目を立て、やはり法的側面を中心に説明しているのも目をひきます。そして最後の「VIII むすびにかえて」では、奥貫氏の全国一般東京ゼネラルユニオン(東ゼン労組)のオルグとしての実践が語られます。
 ということで以上概観してきましたが、非常に充実した内容であり、特集を企画した編集委員の先生方に深く敬意を表したいと思います。
 さて私の感想をいくつか書きますと、まず私も労働組合・集団的労使関係には大いに期待をしている一人なので、とにかく労働組合がんばれという立場です(でまあ労組に加入して組合費を払うというわけにもいかないから連合総研の賛助会員になって会費を払っているという話はいつか書いたと思う)。一方で私は明確にビジネス・ユニオニズムの立場に立ってもいるので、企業別のローカルな(労使の信頼関係に基づく)労使関係が中心であるべきだとも考えています。
 したがって私も久本先生と同様にUAゼンセン同盟の組織化努力をきわめて高く評価しているところであり、これも以前書いたと思いますが組織化においては経営者の視点というものが非常に重要だろうと思っているわけです。ゼンセンが「信頼できない労組ができるよりは」と経営者に「営業をかける」、ことに対して批判的な活動家というのは多いようなのですが(まあそれも気持ちはわかります)、しかしやはり労組を作って労働運動をやるのであれば素人が自分たちだけでやるのではなく専門のオルグの支援というのはやはり必要であり、そのときに経営者との信頼関係づくりについてきちんとアドバイスできる上部団体というのはやはり不可欠だろうと思うわけです。
 ということで山田先生が無批判に従業員代表制とか産別地域別労組とかを提言しておられることには批判的で、もちろん企業別労組組織化の橋頭保としての従業員代表制というアイデアはありうると思いますし、産別や地域を強化することもけっこうなことだろうとは思うのですが、やはり現実をみれば中心は企業別労組でしょうし、やって悪いとはいいませんが急にできるわけもありません。まあ政策プロセスの論文なのでその限りではありうるのだろうとも思いますが現場の活動家にとっては机上の空論的な受け止めもあるものと思われ、その点私個人としては(たぶん)あえて無理に政策インプリケーションを書かなかった首藤先生の姿勢のほうに共感を覚えます。
 久谷氏はさすがにベテランのジャーナリストという感じで、春季労使交渉は労働条件という多くの人にとって身近なものを材料にして経済や産業、社会についてそれなりに幅広く議論する「総学習システム」だ、という評価は非常に重要なものだろうと思います。「官製春闘」という語に対する批判もうなずけるもので、現場で真摯に努力する労使の背中を押す内容になっていると思います。
 首藤先生についても同様で、「私鉄総連電機連合も、組合員の賃金額を把握するために、長年にわたって賃金実態調査を継続してきた」ことを指摘していることは大切なポイントだろうと思います。企業業績の差による賃金格差を認めるのか、認めずに同一労働同一賃金を追求するのかのいずれかを問わず、同業の労働条件の水準がわからなければ団体交渉など行えないわけで、経営サイドのデータによらずに交渉できるように情報共有したいという要請が産別組織結成の動機になったという歴史もあるわけです。
 吉村先生の論文は世間を騒がせた事件がズラズラ並んでいて読み物としても非常に面白く、まあ私くらいの年齢になればだいたいはリアルタイムで見聞しているわけですが、しかし当時は「お家騒動」として喧伝されることの多かった事件を企業統治の観点から見ればこうなるのか、というのはあらためて勉強になりますし、事件そのものをご存知ない若い方にはぜひ一読をおすすめしたいところです。もちろん過去には労働組合が経営者を追い出して自主管理をした例も多々あり、ほぼ全滅だったという歴史もあるわけですが。なお「株主」「多元的」の日英比較は方向性についてはそのとおりだと思うのですが量的にみてどうかというのは別の議論がありそうに思います。こうした過程を経て日英の量的な株主重視度が接近したのではないかという気もするわけで。
 最後の奥貫氏の論文は、正直な感想として本体部分より「むすびにかえて」が深く印象に残るわけで、こちらを本体にしてほしかったなあと思うことしきり。もちろん本体部分も非常に有意義であり、特に現実に関越道佐野サービスエリアの労使紛争(できればこの話はいずれ書きたい)などをみるとこうしたことをきちんと周知することは実は大事なことだとわかるわけですしそれがオルグの大事な役割だとも思うわけですが。なお佐野SAの件は吉村論文とも深くかかわるわけで、社会的にはあまり大きなテーマにはなりませんでしたが、結果的にタイムリーな特集になったと思います。
 「むすびにかえて」に戻りますと、私としてはなんといってもこの一節に感銘を受けました。

 東ゼン労組では、基本的に「駆け込み」は受け入れないという方針をとっている。理想が高すぎるといわれることもあるが、やはり労働組合とは職場の仲間の連帯、団結に基づくものだという原点を大切にしたいと考えた結果、カウンセラーのように個別のケースに埋没することは避けたいと考えた結果である。一人でやってきた相談者に対し、「職場の仲間を一人でも二人でも連れてきて下さい。あなたがそうやって悩んでいるのなら、きっと同僚も同じ思いを持っているはずです」と答えると、それっきり来なくなる人もいるが、同僚や先輩、後輩を連れて再度やってくる人もいる。東ゼン労組はこのような形で10年間運営してきたので、歩みは遅いが、確実に組合員を増やし定着することができている。

 実は本文中でも、合同労組に関する記述の中で、トラブルが発生すると合同労組に「駆け込み加入」し、解決すると脱退するのでは「労働組合としての活動である必然性が存しない」「労働組合が個別の労働問題の解決機関という機能に留まり、トンネルのように通過機関に終始する危険がある」と述べ、「自らの組合活動によって、労働組合の根幹の理念「労働者の団結」が限りなく希釈されてしまうことについてのジレンマ」とまで指摘されているのですね。これに対する奥貫氏自身の実践がまさにこれだということでしょう。
 以前このブログでもご紹介しましたが、日本キャリアデザイン学会の研究会でやはり伝説のオルグの一人である二宮誠氏のお話を聞く機会があったのですが、氏もやはり同様のお話をされたことをあらためて思い起こしました。

(割増賃金が支払われない、年次有給休暇が取得できないといった個別の相談を受けたときには)まず、直接話を聞きます。電話や、メールで相談を受けることが多いのですが、まず顔を合わせて直接話をする。そこで、どんな問題で、どのように解決したいのかをじっくり話し合います。さらに、同じ悩みを持っている人がいないかどうか聞いて、いればそういう人の話もきいて、みんなで会社と話をする。それが組合づくりにつながることもあります。

 なおこれは特集ではないのですが、JIL雑誌は毎号巻頭に大御所による「提言」というエッセイがあり、今号では仁田道夫先生が登場されて、労基法過半数代表の形骸化を取り上げてこう述べておられます。

 私のこの問題への解決策は、単純である。労基法36条を改正し、(過半数代表を削除して)過半数労働組合がある場合のみ、36協定が結べることに(する)。…従業員代表制について議論して、法制化したところで、実態は「御用組合がたくさんできる」ことと余り違いなかろう。労働組合なら、いざとなればストライキも打てるし、労働委員会にあっせんも求められる。…

 仁田先生は「暴論」と言っておられ、いや全体としては暴論だと私も思いますが(失礼)、しかし労組と従業員代表の比較に関するご主旨には非常に同感で、法律で義務付けられたから労働者代表を設置しました勤務時間中に労働者代表の用事をしていいからねという労働者代表と、利益供与は受けませんいざとなったら労委に行きますし争議だってやりますという労働組合と、使用者経営者はどちらと真剣に向き合うのか。答は明らかだと思います。