「ホワイトカラー・エグゼンプションの議論はなぜダメなのか」フォロー

財務省のスキャンダルが出てきたとたんにみなさん「過労死」も「命」もどうでもよくなったようであーこらこらこらこら、まあずいぶんトーンダウンしたもんだとは思います(それでもなお高プロ反対とかを唱え続けている人はそれなりに一貫していて偉いと思います)。しかし働き方改革関連法案はまだ提出もされていないわけで、ようやく労働時間の上限規制が実現しようかという時に何をやってるんだとは思います。使用者の労働時間把握義務を追加して30日には閣議決定する予定とのことですが大丈夫かなあ。なにやらこれをいいことに中小企業はお目こぼしするとかいう内容を押し込もうという話もあるらしくいやもうどいつもこいつも。連合の神津会長は今国会での成立を訴えているそうですがどうなりますことやら。いやほんとなんとかしてくれえ
ということでかなり激しくモチベーションが下がっているのですが書くと言いましたので気を取り直してフォローを書きたいと思います。そういう事情であまりていねいには書かないと思いますのでそのようにお願いします。
さてまず高プロについて「年104日休ませれば1,075万円の定額で351日×24時間働かせることができる」という言説についてですが、これは高プロ制度だけを見ればそのとおりになっていますので、まあ活動家のみなさまがこれを言い立てるのは悪いたあ言いません。もっとも、本当にそういう働かせ方をしたいと考えれば(そう考える使用者がいる可能性については否定しない)監禁とか脅迫とか暴行とかいった犯罪をともなうことはまず確実でしょうし、高プロは労働時間規制を適用しないだけであって労基法5条(強制労働の禁止)は適用されることも考え合わせればあまり現実的な想定とは思えません。健康管理時間の把握とインターバル制度または上限時間の導入、一定時間以上での医師の面接指導といった健康確保措置が講じられていることもすでに書いたとおりです。もちろん、以前も書いたとおりそれでも不安だというのであれば修正をはかればいいわけで、正直これも以前書いたとおり私も今回の高プロはあまり出来がよくないと思っているので建設的な議論を望みたいところです。
次はかつて当時の塩崎厚労相が「小さく生んで大きく育てる」と発言したという話ですが、まず一般論として規制緩和にせよ規制強化にせよ労働政策は漸進的に進めるというのはまったくの正論だろうと私は思います。労働法というのは自然人が対象なので激変による混乱は避けるべきでしょう。規制強化する場合もまずは努力義務といったソフトローからはじめ、労使の取り組み状況をみながら段階的に義務化していくという方法で60歳定年も週40時間制も実現してきました。週60時間超の割増率引き上げもまず大企業→今回中小企業と段階を踏んでいますね。規制緩和についても、それこそ裁量労働制などは当初はきわめて限定的に導入され、実施状況をみながら段階的に拡大してきたわけで、その段階段階で労使でギリギリと議論が重ねられてきました。
今回の高プロについてもまあいろいろ不安もあるということで相当に慎重な制度になっており、対象者は極めて限定的になることは間違いありません。導入後の実施状況を見て、しっかり評価・議論したうえで拡大して問題ないと判断すれば拡大すればいいでしょうし、問題があるなら縮小・廃止が検討されるべきものだろうと思います。そこでしっかり議論すればいい。実際、現状評価でのデータ使用が不適切だったということで今回の裁量労働制拡大は再検討となったわけですね。「小さく生んで大きく育てる」は、まあ口の利き方としてどうかという話はあるとしても、政策論としてはごく普通の考え方ではないかと思います。
続いて高プロが有期雇用契約にも適用されるという話で、これについては私も年収が要件ならば少なくとも1年以上の雇用契約についてのみ適用するのが正論だろうとは思います。ただいっぽうでこれは使用者の使い勝手への配慮というよりは(それがないというつもりはない)労働者のニーズへの配慮ではないかという印象もあり、「金融商品の開発業務」「金融商品のディーリング業務」「アナリスト(企業・市場等の高度な分析)の業務」「コンサルタント(事業・業務の企画運営に関する高度な考案又は助言)の業務」「研究開発業務」に従事して月1,075/12≒90万円を受け取るような専門家であれば「1年間も足止めされたくない」と考える人がいても不思議ではないからです。
ただまあ企業としてみればそういう高度に裁量的な専門家を有期契約で活用したいというのであれば雇用ではなく請負などの形態にしそうなものなので、別に1年以上ということでいいんじゃないかと思わなくもありません。まあ請負よりは保護の強い形態ということで選択肢を確保したというところかもしれません。このあたり情報がほとんどないのですが、どういう説明がされているのでしょうか。
もうひとつ、今回働き方改革関連法案が一括して提出されることに対して異を唱える向きというのもあるらしく、たとえば日本労働弁護団の意見書(「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」(働き方改革推進法案要綱)に対する意見書)にもこんな記述があります。

 一括法案とした政府のねらいは、「働き方改革の推進」という聞こえのいい名称を付して、その内容は複雑化させることで、裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制度等の問題点が含まれる法案であることを分かりにくくするとともに、労基法改悪法案と時間外労働の上限規制や同一労働同一賃金とを一括法案にすることで、法案全体に対して反対しづらくすることにあるのは明らかである。
http://roudou-bengodan.org/wpRB/wp-content/uploads/2017/11/a5bd7381d07420555fc5d0c973133bd6.pdf

もちろん個別に・時間をかけて審議することが望ましいというのはそのとおりなのでしょうが現実には審議時間には限度があり(特に厚生労働委員会の審議時間不足はとみに指摘されるところ)、関連性の高い法案は一括して審議の効率をはかるというのは合理的で常識的な考え方だろうと私は思います。そうした合理的な説明があるものに対して、(一括法案とすることの是非は格別)こういう状況証拠のみに依存した陰謀論めいた主張について「明らかである」と断言するというのはどういうことなのでしょうか。法廷で相手方がこのような立論をしてきたら先生方はそれこそフルボッコに論破すると思うのですが。
同じく今回の一括法案について「財界は裁量労働制拡大と高プロをなんとしても実現すべく上限規制を容認した」という陰謀論を振りまく向きというのもあるらしく、確かに働き方改革実現会議でも有識者議員の金丸恭文氏が「罰則付き時間外労働の上限規制の導入は、高度プロフェッショナル制度裁量労働制の拡充の3点セットを前提に実行されるものとして理解している」という資料を提出してもいるのですが(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hatarakikata/dai10/siryou6.pdf)、これを「裁量・高プロのために上限」と読むのはいかにも無理としたものでしょう。以前も書いたとおりこれについては上限規制を導入することで「大臣告示による行政指導を罰則付きの強行法規として大幅に規制強化するわけなので、その適用範囲については従来より抑制的に考える(裁量労働制の拡大・高プロの導入)」と考えるのが適切ではないかと思います(そこでも書いたように裁量・高プロがいい方法かといえばそうでもねえなとも思っているわけですが)。常識的に考えて大半の労働者に適用される労働時間の上限規制のほうがそれに較べればごく少人数の適用除外の拡大より重大な話だろうと私は思いますし、そもそも働き方改革一括法案には「同一労働同一賃金」という地雷も埋められているわけですから、使用者サイドとしてみれば「せめて裁量と高プロくらいは」というのが正直なところではないかと思われます。
最後に、ホワイトカラー・エグゼンプションとは関係ありませんが、フレックスタイム制の見直し(完全週休二日制の事業場で、労使協定により、労働時間の限度について、当該清算期間における所定労働日数に八時間を乗じて得た時間とする旨を定めたときは、清算期間を平均し一週間当たりの労働時間が当該清算期間における日数を七で除して得た数をもってその時間を除して得た時間を超えない範囲内で労働させることができるものとする)だけはなんとか早期に実現してほしいなあ。これは日本中の実務家が願っているのではないかと思います。まあなんか内閣総辞職しろとか言っている人もいるようでもあり、あれだなこのさいあたまをひやしてはたらきかたかいかくじつげんけいかくじたいをとりさげてもういちどろうどうせいさくしんぎかいでじかんをかけてぎろんするのがいいかもな(なげやり)。