小池和男『企業統治改革の陥穽』

「キャリアデザインマガジン」136号に掲載した書評を転載します。

 2015年6月、いわゆる「成長戦略」の一環としてコーポレートガバナンス・コードの適用が開始された。前年のスチュワードシップ・コードと対をなすもので、具体的には、情報開示や株主との対話と並んで、取締役会の役割として、会社の持続的成長を促し、収益力・資本効率等の改善を図るべく「企業戦略等の大きな方向性を示すこと」「経営陣の適切なリスクテイクを支える環境整備を行うこと」「独立した客観的な立場から、実効性の高い監督を行うこと」を掲げ、その実現に向けて「建設的な議論に貢献できる独立社外取締役を2名以上設置すべき」とされている。その背後には、独立していない・社内の取締役による監督では、経営判断が安全サイドに傾いて「適切なリスクテイク」が行われず「新たな成長分野」への進出が遅れる、あるいは不採算分野からの撤退が進まない、したがって企業の持続的成長が阻害される、したがって独立した社外の取締役が監督することが「成長戦略」になるのだ…という理屈があろう。その結果、いまや一部上場企業の9割以上が2人以上の独立社外取締役を選任しているという。

 さて、それはどの程度に「実効性の高い」ものとなりうるだろうか。著者はこの点、はなはだ懐疑的だ。社外の人材である以上は、社内の事情には当然詳しくあるまい。また、同業の人材が社外取締役となることも通常考えにくいから、業界の動向にも精通してはいないだろう。それでどれほど「建設的な議論に貢献」できるだろうか。特に、スチュワードシップ・コード=「資金の出し手の利益を最大化する責任を持つ機関投資家の行動原則」とセットになっているときに、足元の利益を犠牲にして長期的な投資を行うという判断ができるだろうか。

 もちろん、社外取締役が悪いというわけではなく、それなりに有益だろうが、それにしても期待しすぎではないか、というのが著者の見解だ。その上で、より企業統治の改善に資するものとして、従業員代表の役員会への参加を主張している。

 著者はまず、労働組合による経営方針への発言が、古くから行われてきたという歴史を示す。争議や生産管理などで労使が対抗していた時代にかぎらない。労使関係が安定していく過程においても、組合員は経営方針に高い関心を示し、労使協議などの場で労働組合から経営方針への発言が行われていたことをいくつかの調査から明らかにしている。なるほど、労組組織率の低下は関心や発言の低下を招いたが、2004年から2009年にかけて盛り返しを見せているという。その強さは、ときには経営悪化時における経営者の進退を決めるに至ったという事例も紹介されている。企業の経営状態の悪化は、当然ながら雇用や労働条件の危機でもある。従業員が発言するのは当然であろう。

 つまり、すでに従業員の代表、労働組合の発言は、経営に相当の影響を与えているというわけだ。それを制度的にして、役員会に従業員代表を加える。これが著者の主張であろう。

 その主張を補強すべく、著者はドイツを典型とした諸外国における役員会への従業員代表参加の事例をあげる。すべてではないが、それは「国際相場のひとつ」だという。さらに、労働者の発言や労使協議制が生産性を向上させているという国内外の実証研究を紹介する。

 いっぽうで、労使関係が分権的で労組の発言が強まると、労働者の取り分が大きくなりすぎて社会全体では損失となるという有力な理論モデルも存在する。これに対しては、著者は長期の視野の存在を指摘して反論する。長期的な雇用の安定のためには、企業経営の安定、長期的な競争力の確保が欠かせない。であれば、労働者は目先の取り分を最大化することではなく、長期的な取り分を考慮に入れて設備投資や研究開発投資に資金を振り向けることに賛同するだろう。事実、ドイツの共同決定においては、経営者の長期投資に対して賛同するのは株主ではなく従業員代表であることが多いという。

 なぜか。長期的な雇用の安定を期待するのは、なにも日本ばかりではないからだ。解雇は一般的に不況期に多く行われるから、やはり不況に苦しむ同業への転職は難しい。さらに、高度な技能を持つ労働者ほど、企業間移動が困難だというのも、どの国にも共通しているらしい。その持てる技能を正しく見極めることは容易ではなく、結果的に技能に応じた賃金を得ることが難しくなるからだという。

 スチュワードシップ・コードコーポレートガバナンス・コードも、ともに「企業の持続的成長」を訴えている。この「持続的成長」が「長期的な成長」を意味しているのかどうかは、一見しては明らかではない。とはいえ、ことばの意味を常識的に考えれば(ここを疑うことは可能だが)、概ね同じことだと考えらえるだろう。であれば、社外取締役に過度な期待を寄せるより、従業員代表を参画させるほうがよいという著者の主張は、かなり説得力があるように思える。著者も認めるとおり、たしかに挙証が万全でないところはあるものの、限られた資料を精査して、相当程度納得できる立論となっており、まことに勤勉な労作というべきであろう。

 もっとも、それを具体的に実現していくための方法は、それほど容易ではないようにも思える。著者も主張するとおり、役員会に参加する従業員代表はときには経営トップの方針にも異を唱えることが求められる。となると、その人選はなかなかに難しいだろうし、適した人材が常に存在するともかぎらない。そうでなくても役員になるだろう人に「従業員代表」の冠をかぶせるだけ、という形骸化の危機は常にあるし、それに対抗するには労働組合組織などの建設的な関与といったものが必要となろう。

 加えて、機関投資家も従業員もともに持続的成長・長期的な成長を望んでいるとしても、その手法については対立がありうる。持続的成長の手法として解雇や労働強化を考える投資家がいないという保証はない。そう考えると、一定の緊張関係のもとでの発言が望ましいのではないかという考え方もあるのではないか。企業から賃金を支払われ、勤務時間内に活動している従業員代表と、実力行使の道を保障された労働組合との相違は、十分に考えてみるべきだろう。たしかに組織率は低下し、容易ならざる状況ではあろうが、しかし労働組合の一層の奮起を期待したいところだ。