「架空の労働者」

 朝日新聞DIGITALが昨日こんな記事を配信していたのですが…

 働き方改革関連法で企業に求められる「同一労働同一賃金」について、厚生労働省は10日、派遣社員の待遇を比較する派遣先の労働者の具体案を公表した。まずは同じ仕事などの正社員としたが、最終的に対象となる人がいなければ、派遣社員と同じ仕事をする正社員を雇ったと仮定した待遇の「架空の労働者」でもよいとした…
https://www.asahi.com/articles/DA3S13717540.html

 続きは有料(残り:358文字/全文:507文字となっておりますな)なのでなにが書いてあるかわからないのですが(笑)、まあこの具体案がすばらしいという話ではなかろうなとは思いますが…。
 さてこれは記事にあるように10日に開催された厚生労働省の第12回労働政策審議会職業安定分科会/雇用・環境均等分科会同一労働同一賃金部会という長い名称の会合に提出された「派遣先から派遣元への待遇情報の提供について」という資料について報じたものです。
 具体的には、改正労働者派遣法26条条7項・8項でこう定められています。

7 労働者派遣の役務の提供を受けようとする者は、第一項の規定により労働者派遣契約を締結するに当たつては、あらかじめ、派遣元事業主に対し、厚生労働省令で定めるところにより、当該労働者派遣に係る派遣労働者が従事する業務ごとに、比較対象労働者の賃金その他の待遇に関する情報その他の厚生労働省令で定める情報を提供しなければならない。
8 前項の「比較対象労働者」とは、当該労働者派遣の役務の提供を受けようとする者に雇用される通常の労働者であつて、その業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲が、当該労働者派遣に係る派遣労働者と同一であると見込まれるものその他の当該派遣労働者と待遇を比較すべき労働者として厚生労働省令で定めるものをいう。

 ここで連呼されている「厚生労働省令で定めるところにより」をどう定めるのか、という提案になるわけですね。特に重要なのは8項の最後の「その他の当該派遣労働者と待遇を比較すべき労働者として厚生労働省令で定めるもの」であり、前段で例示されている「通常の労働者であつて、その業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲が、当該労働者派遣に係る派遣労働者と同一であると見込まれるもの」は典型例として、「その他」をどうするのか、という議論になるわけです。
 これに関しては、前段で例示するような比較対象労働者が存在すればいいのですが、現実には多くの企業・職場ではここまで典型的な比較対象は存在しないだろうことは容易に想像されるところでしょう。一方でではいないから仕方ありませんで済ませることも政治的になかなか難しかろうというも思われるわけで、これに関しては過去このブログでも懸念を表明しておりました。

…特に「当該労働者派遣に係る派遣労働者が従事する業務ごとに、比較対象労働者の賃金その他の待遇に関する情報その他の厚生労働省令で定める情報を提供しなければならない。」との定めについては国会審議の中で「比較対象労働者は存在しないということは認められない」との政府答弁があったようでかなり困るだろうと思います。現実にはいないものはいないわけですからねえ。
働き方改革関連法案、成立」2018-07-11

 さて実際の国会でのやりとりはどういうものだったかというと、具体的には5月18日の衆院厚生労働委員会でのこうしたやりとりです。

○高橋(千)委員 …派遣労働者の均等待遇の問題なんですね。…不合理な待遇差を解消するための規定の整備とありますけれども、派遣労働者と派遣先の労働者の均等・均衡待遇を実現するためには、派遣先事業主から比較対象労働者の賃金その他の待遇に関する情報を得る必要があります。
 派遣先の企業は、情報の提供を拒むことはできません。拒むと派遣労働者を受け入れることができないというふうに書いています。だけれども、派遣先が、比較対象労働者はうちにはいないよというのを情報として提供した場合はどうなるでしょうか。
○宮川政府参考人 情報提供に係る比較対象労働者につきましては、均等・均衡待遇規定の実効性を高める観点からは、職務内容等が派遣労働者と近い者とすることが考えられますが、他方で、派遣就業は臨時的かつ一時的なものであるとして、職務内容が類似する派遣先の労働者が存在しないケースがあるなど、派遣労働の実情を踏まえたものにする必要がございます。
 比較対象労働者につきましては、厚生労働省令で定めることとしておりますが、職務の内容、当該職務の内容及び配置の変更範囲が当該派遣労働者と同一である者がいない場合に情報提供が不要になるわけではなく、そのような者がいない場合には、職務の内容は派遣労働者と同一であるが、職務の内容及び配置の変更範囲は異なる労働者ですとか、職務の内容は派遣労働者と異なるが、職務の内容及び配置の変更範囲は同一である労働者などに関する情報提供を義務づけることが考えられます。
 このため、お尋ねのように、派遣先が、比較対象労働者がいないという情報を提供することは認められないこととなると考えておりまして、いずれにいたしましても、比較対象労働者につきましては、改正法成立後に、労働政策審議会における議論を経た上で考え方を明確にすることとしておりますが、職務の内容等が類似する派遣先の労働者がいない場合にも、不合理な格差が解消されるよう取り組んでいきたいと思っております。
○高橋(千)委員 まず、認められないという答弁をいただきました。これは確認をしたいと思います。…
(国会会議録検索システム 衆 - 厚生労働委員会 - 20号 平成30年05月18日)

 ということで、政府答弁(当時の宮川晃厚生労働省雇用環境・均等局長)は「職務内容が類似する派遣先の労働者が存在しないケースがある」「職務の内容は派遣労働者と同一であるが、職務の内容及び配置の変更範囲は異なる労働者ですとか、職務の内容は派遣労働者と異なるが、職務の内容及び配置の変更範囲は同一である労働者などに関する情報提供を義務づけることが考えられます」と具体的に述べたうえで「比較対象労働者につきましては、改正法成立後に、労働政策審議会における議論を経た上で考え方を明確にすることとしております」と回答しており、まさにこの回答どおりのことが行われているといえると思います。
 それでもなお私などはいないものはいないよねえと思っているわけです。そもそも、労働者派遣の意義のひとつとして「社内には必要な能力を有する人がいない場合に、それを確実に持つ人材を迅速に確保できる」というマッチング効率化があるわけで、こうした場合には特に「比較対象労働者」といっても簡単ではないというのは見やすい理屈ではないかと思います。
 このあたりを整理したのが今回の資料ということと思われ、「比較対象労働者については、省令で次のとおりとする。」として、こう提案しています(例によって丸付数字(機種依存文字)は括弧付数字に変更しています)。

(1) 「職務の内容」並びに「職務の内容及び配置の変更の範囲」が、派遣労
働者と同一である通常の労働者
(2) (1)に該当する労働者がいない場合には、「職務の内容」が派遣労働者
同一であるが、「職務の内容及び配置の変更の範囲」は同一でない通常の労
働者
(3) (1)・(2)に該当する労働者がいない場合には、(1)・(2)に掲げる者に準ずる労働者
派遣先から派遣元への待遇情報の提供について

 そして、(3)についてはさらに詳細にこう書かれています。

派遣労働者と「業務の内容」、「責任の程度」のいずれかが同一である通常の労働者
イ アがいない場合には、「職務の内容及び配置の変更の範囲」が同一である通常の労働者
ウ ア・イがいない場合には、これらに相当するパート・有期雇用労働者
エ ア~ウがいない場合には、派遣労働者と同一の職務に従事させるために新たに通常の労働者を雇い入れたと仮定した場合における当該労働者
派遣先から派遣元への待遇情報の提供について

 ということで資料には一切「架空」なる語は出てこないのですが、この「エ」をさして朝日新聞は「架空の労働者」と称しているのでしょう。まあたしかに実在するわけではないので架空には違いないとは言えますが、しかしさすがにそこは厚労省もさるものであってこう注記しています。

…当該労働者の待遇は、派遣先の待遇の実施基準に従って決定したものであり、派遣先の通常の労働者との間で適切な待遇が確保されている必要がある。
…労働者の標準的なモデル(新入社員、勤続○年目の一般職など)を比較対象として選定することが考えられる。
派遣先から派遣元への待遇情報の提供について

 つまり、必ずしも賃金に限った話ではありませんが、賃金を例にとれば、通常の労働者に適用されている賃金制度を適用し、同一の職務に従事させる場合に想定される雇用管理区分・勤続年数における標準的なモデルの賃金、ということになるでしょう。人事管理の実情からすれば一般的にはむしろ勤続年数ではなく企業内資格を使うのが実態に即しているかもしれません。
 もちろん、ほとんどの場合は責任の範囲やキャリアの見通しなどについては通常の労働者とは相違があるでしょうからそれをふまえた均衡判断ということになるわけでしょうが、しかしこれ実在のパート・有期を比較対象にするより有利なんじゃないかなあ(もちろん実在のパート・有期を比較対象にする場合には通常の労働者との均衡が確保されていることが前提になっているわけですが)と思わなくもない。まあないものをどうしても出せと言われればこうでもするよりないよなという話であり、架空といえば架空ですがなにも資料に使われてないことばをあえて使って報じるようなことかとは思う。というか、実在者の労働条件を開示するよりモデルのほうがはるかにマシという部分もあるのであり、当然ながら今回の一連の議論でも実在者の処遇を開示する際には個人情報としての取り扱いに十分に注意すべきみたいな話は繰り返されてはいるわけですが、しかし職場レベルのミクロな話であって簡単に特定できてしまうケースというのも多いんじゃないかと心配にはなるわけです。もちろん労働条件のすべてが開示できないわけではなく、求人情報としての労働条件はむしろ正確かつ幅広く開示することが望ましいというのが世の中の流れだと思いますが、しかし個人レベルとなると話はまったく別なわけで。この話とは直接関係ありませんが説明義務との関係では人事評価の結果まで開示しなければならないのかとか、実務家は心配しているんじゃないかなあ。
 ということでバックグラウンドにある諸般のあれこれを考慮すれば今回の厚労省の資料は概ね妥当だろうと思います。思いますが、しかし「派遣先との均等・均衡」という筋悪な道に踏み込んでしまったせいで不要な手間がすいぶんかかる破目になっているなあともしみじみ思う。「派遣元での均等・均衡」という本来あるべき筋にとどまっていれば、これもこれ以外のあれこれもみんなしなくてすんだ苦労なわけですよ。まあ派遣労働者にしてみれば気になるのは実際に就労している派遣先職場の人たちでしょうし、したがって政治的にこうならざるを得なかったのだというのもよくわかる話なので、誰を責めるというつもりもないのですが…。