2017年労働政策研究会議(2)

昨日の続きです。この18日に開催されたJIRRAの労働政策研究会議に参加してまいりましたので感想など。
金先生に続いては、近年連合総研で大活躍しておられる早稲田の篠田徹先生が「連合(日本労働組合総連合)は何をしているのか―比較労使関係研究の分析枠組み再考にむけて―」と題して報告されました。余談ながらこの論題、ぱっと見ると「何をやっているのかね君たち連合は」という含意にも読めてしまうのはたぶん私の性格が悪いからでしょう。実際の内容は文字どおりで、春闘を中心にして、近年の動きを中心に「連合は何をしているのか」を論じておられます。
さて本題に戻って、冒頭ご自身で述懐しておられましたがJIRRAの研究大会の自由論題で報告されるのはご自身2回め、初回は27年前とのことでした。その当時から労働政治を専門領域と定めて研究に取り組まれてきたものの、その間の労使関係の変容をシステム全体として評価分析することはできていないとの問題意識があり、そのためには副題のとおりこれまでとは異なる新しい「比較労使関係研究の分析枠組み」を再考すべきとのお考えのようでした。
今回の報告では、新たな枠組みの提案までは必ずしも踏み込んでおらず、先生がそう考えるに至った労使関係の変容の現実(「連合はなにをしているのか」)が中心に論じられました。
ごく最近のトピックとしては時間外労働上限規制に関する政労使の合意プロセスがあり、その内容はともかく決定過程の正統性を疑う議論はほとんど見られなかったこと、さらには、春闘に対して政府が介入することで、ゼロが定着していたベアが3年連続で実現し、直近では中小のそれが大企業を上回るに至ったこと、最低賃金についても政府主導で目標値を持って引き上げられていること、さらには中小のベアを実現するために政労使が連携して公正取引が推進されていることなどを指摘され、欧米では趨勢としてネオ・コーポラティズムが退潮傾向にある中で日本ではむしろそれが強化されているようにみえると問題提起されました。さらに、春闘は全国一斉に、賃金に限らず、産業、ひいては社会の課題について議論される場であり、また非正規やワークライフバランスなども議論される、社会的包摂機能を持つ場でもあって、調整型資本主義を支えるインフラとなっている、こうした活動が原則毎年、大きな離脱者もなく60年以上継続しているというのは、世界的に自由主義型資本主義が台頭し、調整型資本主義が後退する傾向の中では異例であると指摘されました。さらに、ローカルも含めて政策制度要求が団体交渉・労使協議に並び立つ存在になっており、労使・官民にとどまらず非営利組織などとも協働が行われていることも指摘されました。
その上で、こうした労働運動の複雑化、多様化は、その中心となる連合の組織率が低下する中で進んでおり、それら組織の全体像や詳細な構造を知ること、「連合は何をしているのか」を理解するための枠組みを見直すことが重要だとの認識を強調されました。最後に、Paul Blyton, Nicolas Bacon, Jack Fiorito, and Edmund Heery, eds."The SAGE Handbook of Industrial Relations"(2008)を、そのための示唆を与えるものとして紹介されました。
ということで無理やりにまとめてはみましたがしかしわかってまとめたとはとても言えないなこれは。まあご容赦ください。
さてそれは承知で雑駁な感想を書きますと、まず時間外労働の上限規制についてはやや過大評価の感はあります。以前も書きましたが、これについてはすでに労使の努力で実態としては36協定の上限時間はほとんど今回の規制におさまる状況が実現していたわけです。それにもかかわらず、繰り返し論点として指摘されながら法制化が実現しなかったのは経営サイドが「ごくまれにあるかもしれない例外的非常事態」を想定して反対してきたからであり、労働サイドもこと個別労使レベルでは非常事態下での企業存続・雇用維持を念頭にそれを容認してきたからでしょう。そう考えると今回の経緯はおそらく労使がともにギリギリためらってきたところで政府が背中に最後の一押しをしたというものであり、政労使三者構成が正常に機能したと評価できるのではないかと思います。
いわゆる「官製春闘」についても、オイルショック時にはやはり政府が労使交渉に介入して世に「管理春闘」と言われたわけで、インフレとデフレの違いはあれ、マクロ経済を正常化するために例外的に必要なことだったと評価すればいいのだと思います。ただし、オイルショック時には比較的短期間で高インフレを脱したのに対して今回は手間取っており、そこの評価は別途あろうかと思います。
そう考えれば憲法改正や安全保障に積極的な政府がまた労働問題の解決改善に前向きなのも、それが積極的経済政策・金融政策の一環であると考えればそれほど不思議とは思えず、むしろhamachan先生が繰り返し指摘しておられるように憲法改正や安全保障に積極的な政府を批判する政治勢力が労働問題の解決改善につながる積極的経済政策・金融政策にも批判的だということのほうが異様に見えるわけです。そのあたりの分析枠組みというのはありうるのかもしれず、しかし悪い奴の言うことはすべて悪いことだという単細胞に過ぎないような気もなにやらひしひしとこらこらこら。
そして自由論題の最後は数々の要職を歴任された花見忠先生で、今回はIIRA前会長というお立場で「IIRA創立50年を振り返って」と題して報告されました。
IIRAはInternational Industrial Relrations Associationの略で、現在では改称されてInternational Labour and Employment Relations Association(Ilera)となっており、花見先生はその会長を1998年から2000年まで務められました。名称のとおりの団体であり、JIRRAもそのメンバーになっているわけですね。今年はそのIIRAの50周年ということで、その間のIIRAにおける労使関係論の変遷を概観するというのが本報告の趣旨ということでした。
内容は花見先生の体験談が中心でしたが、まずIIRAの4人の創設者に中山伊知郎先生が加わっており、当初から日本が重要な役割を果たしていたことを強調されました。設立からしばらくは後進国における労使関係の展開が中心的関心事であったようですが、1960〜70年代にはB.Aaron,K.W.Wedderburn,F.Schmit, T,Ramm らの第1次比較労働法グループが西欧諸国における労使紛争処理の比較研究に取り組み、1970年代から2010年頃まではR.Blanpain,B.Heppple,St.Antoinne,M.Weiss,T.Treu,M.Biaggi,J.Rojotらに花見先生も加わった第2次比較労働法グループが広範かつ活発に活動したとのことです。
また、IIRAの40周年にあたってILOから刊行されたB.E.Kaufman"Global Evolution of Industrial Relations;Events,Ideas and the IIRA"(2004)をご紹介されました。これについては花見先生が日本労働研究雑誌548号(2006年特別号)に詳細な紹介を寄せておられますが、700ページを優に上回る大著であり、「世界各国における労使関係の発展の歴史と理論について系統だった知識を得ることができる」「労使関係の国際的エンサイクロペディアとよぶに相応しい」と評されています。いっぽう、著者の関心からか、全12章の大半は米英加豪のアングロサクソン諸国の記述に費やされており、あとは大陸欧州に1章、アフリカ,アジア,ラテン・アメリカに1章があてられているにすぎませんが、その中でも日本についてはドイツと並ぶ15ページがあてられているのは(続くのはフランスとインドの6ページ)おそらくは花見先生の活発な研究活動にもよるものなのでしょう。
そして花見先生は、この「第2次グループ」が良好な成果を上げた理由として、相互のケミストリーが得られたこと、それは人種的偏見や政治論議がなかったことや、家族ぐるみの交流が行われたことなどに支えられていたと述べられました(ブランパン夫妻と花見夫妻の2×2ショット写真なども紹介されました)。最後に後進へのメッセージとして、英文で発信すること、ジャーナルや出版社の格が大切であること、国際的な交友関係を増やすことを上げられ、最後に「恥を知らない奴は、恥をかかない」のだから恐れずに海外に出ることを訴えられました。
花見先生は今年87歳になられるとのことでさすがに往年の勢いはなく、機材の不調などもあったのですが、しかし語り口などはまだまだ花見節健在であり、時折聴衆に投げる視線にもかつて官僚を震え上がらせたと言われる鋭さが残り、さすがとの他申し上げようのないお話でありました。聴衆も格段に増えており、この報告を目当てに来られた方も多かったのではないでしょうか。先達の貴重な経験と努力を多くの方が受け止められたと思います。
ということで午前中はこれで終了し、午後は総会のあとパネルディスカッションとなったのですが、今日はここで終わってまた明日以降に続きたいと思いますというか続くといいなあ(笑)