JILPT労働政策フォーラム「多様化する仕事と働き方に対応したキャリア教育」(2)

書きます(笑)。昨日は標題のフォーラムの内容をざっとご紹介しましたので、それに対する感想などを少々。
玄田先生のお話の中で最も関心をひかれたのは実は本論部分ではなく(笑)、最初に紹介された社会全体の意識というか雰囲気を示す資料です。これは社研が2007年から毎年実施している「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」の結果で、2007年から2012年にかけてのわが国の格差感・希望・将来見通し・生活満足度の変化を概観したものです。グラフはtwitterであげましたのでご参照ください。
https://twitter.com/roumuya/status/824046188072554498
元ネタはこちらです(当該部分には社研の有田伸・田辺俊介両先生の署名があります)。
http://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/panel/PR/12PressRelease.pdf
一見してかなり意外感があり、将来に希望がある人が減り、10年後の暮らし向きに悲観的な人が増えているというのは何となくそうかなと思う人も多いでしょうが、それにもかかわらず生活満足度は横ばいないし若干の上昇を示しています。さらに、この間所得格差を示す指標には概ね大きな変動はないにもかかわらず、格差感は一貫して低下を続けています。
もっともこれについてはパネル調査の特性に留意する必要がありそうです。この結果は6回の調査にすべて回答した人を集計しているので、2007年に較べて2012年はサンプルの平均年齢はざっと6歳上昇していることを考慮に入れなければなりません。たとえば、かなり大雑把ではありますが、希望については若い人の方が多く持ちやすく将来不安感は年長者の方が感じやすいという傾向は概ね確認されているので、サンプルの平均年齢が上がれば希望は低く、不安は大きくなる方向に影響するでしょう。
もっとも、元ネタではこうした影響を取り除いて分析しても「何らかの時代的な効果によって希望を持つ人が明らかに減少してきていることが示されている」とのことです。実際問題、この時期はリーマンショック東日本大震災というかなり大きな外的ショックに見舞われた時期でしたので、希望においても将来の暮らし向きにおいてもあまり明るい見通しの持ちにくい時期ではあったのでしょう。ただ興味深いのは、サブプライムからリーマンショックという経済情勢の悪化はかなりのペースで希望を低下させ、暮らし向き予想を悪化させたわけですが、東日本大震災は、暮らし向き予想をリーマンショック以上に悪化させる一方、希望については軽微な影響しか与えていないように見えるところです。直観的には、暮らし向きについては全国的に復興増税などの悪影響が予想されたのに対し、希望を損ねたのは被災地の人だけという違いが現れているのかななどと推測するわけですが、元ネタによれば希望についても「居住地域別にみても、この「希望を持つ人の減少傾向」に大きな違いはない」とのことで(ちなみに将来見通しの悪化傾向についても「居住地域などによる大きな違いがない」ようです)、この推測は当たっていないということになりそうです。このあたりは2013年以降の結果も見てみたいところですが、社会環境からしてまあ概ね順当な結果のように思えます。
いっぽうで生活満足度と格差感についてはやや意外感があり、わが国では諸外国と異なって若者のほうが幸福感が高いという傾向が確認されていますので、その影響を除けばこの数字以上に満足度は向上しているということになりそうです。格差感についても、格差そのものは年齢が上がるほど大きくなることがまあ周知の事実なので、やはり数字以上に格差感は減退しているのではないでしょうか。
これについて元ネタは「人々の格差感の希薄化は、実際の社会の変化を反映したものではなく、「格差問題に対する社会全般での関心の弱まり」などによって生じたものと考えられる」と解釈していて、まあそうなんだろうなと思います。というか、率直に申し上げて2007年当時が騒ぎ過ぎだった(この調査は1-2月に行われているので実質的には2006年ですが)というのがより実情に近いのではないでしょうか。ちょうど「新自由主義小泉改革で格差と貧困ガー」という言辞に対して「いや格差拡大の大半は高齢化と世帯規模の縮小で説明できるんですが」という反論が上がって盛り上がっていた時期ですしね。逆にいえば、格差問題については2014年から2015年にかけてのピケティ・ブームで再度盛り上がりを見せましたので、やはりこの時期の意識がどうなっているのかが興味深いところです。
生活満足度についてはさらに謎が深く、元ネタもこれについては有力な解釈を示せていません(ように私には思えます)。リーマンショックをはさんで5%ポイントも上昇しているというのはまことに不思議ですし、元ネタによれば震災の影響もほとんど受けていないそうです。となると、まったくの推測ですが、「どちらともいえない」と回答していたが、世間でこんなに大変なことが起きているのにこの程度の影響ですんでいるならありがたいことだ、回答を「どちらともいえない」から「やや満足」に上げよう、という人や、従来「やや満足」と回答していて、満足度は低下したものの「どちらともいえない」に引き下げるまでもないな、という人がかなりの程度いたのかもしれません。しかしまあこれもかなり無理のある解釈だな。
ということで、基調講演のマクラについて長々と感想を述べるという妙な展開になってしまいましたが、玄田先生の本論についてはたいへん納得のいくお話で特段ここで書きたいような感想もありません。ただ、これは地方開催で地域活性化に資するという趣旨なので致し方ないのではあるでしょうが、地域に移住したもののはかばかしい成果が上がらなかったというケースをどうするのかとか、さらにはそもそも成功しそうにない人を思いとどまらせる仕掛けというのも必要ではないかとか、キャリア教育という意味ではそういう観点も必要なのではないかとは思いました。まあ移住した人については一定の成功を収めるまで個別的・継続的・包括的に支援するのだという話なのかもしれません。
小杉先生の研究報告もたいへんに腑に落ちるもので、小杉先生は「承認」という学術用語を使われましたが、これはあれですね人事屋さんたちが言うところの「面倒見」というやつに近いのでしょうね。とりわけ新卒採用の場合は右も左もわからない状況というのがほとんどでしょうし、広域就職で生活環境も大きく変化するケースも少なくないでしょう。職場上司や同僚はあなたを歓迎しており、あなたの仲間であり味方であるということを伝えるとともに、年代の近いメンターをつけて最初はそれこそ手取り足取り仕事を教える、というのは日本のあちこちの職場で行われていることだろうと思います。
ただこれには難しい問題もあり、往々にしてこうした受け入れが長時間労働につながるということもあるわけです。たとえば、メンターにしてみれば新人の面倒見に加えて自分の仕事も当然あるわけで、まあ周辺がある程度カバーするにしても日中はほとんど新人の相手に費やし、自分の仕事は残業で、ということになりがちです。新人自身にしても右も左もわからない状態からスタートするのでどうしても時間はかかる。さらに、日本企業の場合にはある段階からは「失敗させて育てる」ということをやることも多い。それなりに仕事ができるようになってきたな、という人に対しては、あえて「まずは自分で考えてやってみろ」というわけですね。もちろんほとんど失敗するわけですが、そこで「なぜうまくいかなかったか、どうすればうまくいくか一緒に考えよう」といった調子で育てていくわけです。これは非常に人材育成効果が高いわけですが、いっぽうでどうしても労働時間は長くなります。このフォーラムでは、長時間労働が問題だということについては概ねコンセンサスだったように思うのですが、ではどうするのか、といったことについてはあまり議論が深まらなかったのが残念といえば残念でした。
「転職型のキャリアもあることを伝える、エリート型でない多様な生き方に触れるキャリアに触れるキャリア教育」というのも非常に大切だなと思ったところで、まああれだな逃げるは恥だが役に立つという奴だな。入ってみたら、配属されてみたらブラックでしたとか話が違いましたというときに、無理して対応するのは良好な結果を生まないことも多く、正論を掲げて戦うのは立派なことだとは思いますし支援する人たちというのもいますがしかし労多くして功少ないことが多いというのも現実でしょう。個別にはいろいろなケースがありますが、よほどの大企業でもなければ職場がそんなにブラックな企業が長続きするわけもなく、無理するくらいなら「そんな会社辞めて正解」ということだろうと思います(なお「よほどの大企業」の方は労働時間とかがブラックであったとしてもそれに応じた見返りを準備することで持続可能性を調達しているわけですね。それがいいたあ言いませんが)。
また、「エリート型でない多様な生き方」というのは若年に限らず重要だとも思ったところで、中高年になってからのほうが家庭事情などで負担が重くなることもあるわけです。こうした場合、エリート型にこだわって仕事も他の事情もと頑張って体を壊してもいいことはないわけで、やはり競争をおりるということの意味もしっかり理解しておくことが重要でしょう。現実にも、まあ明文の制度として持っている企業は少ないでしょうが、しかし運用レベルでは「私もうキャリアはあきらめますのでほどほどの働き方をさせてください」というのは許容している企業は多いのではないかと思います(ポスト詰まりや仕事詰まりに悩んでいる企業にとってはありがたい話かもしれません)。しかも日本企業の場合は、鶴光太郎先生なども指摘しておられるように、それで給料が大きく下がることもなくおりたもん勝ちとも言えるような実態もあるわけですし。ただまあ降りた人を「負け組」視する風潮も一方ではあるのでしょうから、そのあたりはまだ難しいものもありそうです。
さて実践報告にも若干の感想はあるのですが本日はどうも時間切れという感じなので、明日以降また書ければ書きたいと思います。しばらく難しそうな雰囲気は漂っているのではありますが(笑)