電通第二事件・フォロー

上記特集も電通社員の過労自殺を受けて編集されているようですが、これについても最後のエントリ以降にいろいろ動きがあり、何人かの読者の方から感想を求められておりますので書きたいと思います。
最新の状況として、電通は12月9日に労働環境改善の進捗状況について「多様な価値観とワークライフバランスを大切にする新たな企業文化の創造に向けた取り組みについて」という長い名前のニュースリリースを出しており(http://www.dentsu.co.jp/news/release/2016/1209-009103.html)、日経のウェブサイトでも記事になっています。

 電通は9日、従業員の行動規範とされてきた「鬼十則」について、従業員向け手帳への掲載をやめると発表した。2017年度からはすべての局での有給休暇の取得率も50%以上にする。労働環境改善策の一環。
 鬼十則は中興の祖である4代目社長、吉田秀雄氏の遺訓で、1951年に制定された。「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…」などという内容が過重労働につながっているとの指摘を受けていた。
 全体の有休取得率は15年度で54%、16年度も前年度を上回って推移している。しかし間接部門が高い一方、営業部門は低いなど部局によって差がある。全局で5割を超えるようにすることで業務量を平準化する。
 発注先の制作会社などとも個別に協議を始める。深夜業務や長時間労働につながらないように発注のルールや工程管理方法を作成する。
 管理職への360度評価も取り入れる。部下からの評価も対象となるため、多様な価値観や仕事観を管理職が認識するきっかけになるという。一般従業員の評価に関して、一人ひとりの成長やキャリア開発を重視して中期的な目標達成を評価に取り入れるため、労働組合との協議も始める。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ09HL6_Z01C16A2TI1000/

実際、電通は部署間の負荷を平準化するためにかなり大規模な人事異動を実施するなどしているらしく、本気で取り組んでいるのだろうなと思います。業務量に較べて要員が過少なせいで長時間労働になっているのだとすれば、そこの人員を増強するのはダイレクトに効果につながるでしょう。
とはいえ、電通は1991年に発生した過労自殺事件の際にも労働環境改善に取り組んでいたはずで(具体的なウラ取りはしていませんがご容赦)、それでもなお当時と同様の劣悪な労働環境が再現し、同様の事件が起きているわけで、これはやはり業務量と要員数といったデジタルな要因だけではなく、根強く形成された企業文化や企業風土といったものがなかなか変わらない、という問題もありそうです。
そこでやり玉に挙がっているのが記事にもある「電通鬼十則」で、まあ社員手帳に記載していたくらいですから企業風土として定着させようとの意図があったのでしょう。それを掲載しないようにすれば風土も変わるという簡単なものではないでしょうが、まあ風土変革に向けた一歩であるには違いありません。
中でもメディアをはじめ各方面が注目しているのがやはり記事にもある鬼十則の第五「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。」で、まあ「殺されても」という刺激的な表現がそうさせるのでしょうが、私が企業文化の問題として気になったのは鬼十則の第一「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。」と第二「仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。」です。
「なぜ?」とか「当たり前では?」とか思われる向きもあるかもしれませんし、日常的にこうしたことを部下に訓示している上長さんというのもたくさんおられるだろうとも思います。しかし、私は日本企業の長時間労働文化を生んでいる要因のひとつは実はこうした考え方にあるのではないかと思っています。
たとえば、マンション建設の現場の仕事を考えてみてほしいのですが、杭をどのくらい深く打ち込むのか、コンクリートをどれだけ打設するのかとか言った話は当然きちんと決められていて、「こうすれば工期短縮になって会社が助かる」とかいう仕事を「先手先手で」「自ら創る」人がいると、マンションが傾いてしまったりするわけだ。「そうすれば安くなってお客様も喜ぶ」から鉄筋の量を減らしましたというのもまあ後々に禍根を残すでしょう。ちょっとたとえは悪かったかもしれませんが、基本的には仕事というのはそういうもので、決められたことを決められた手順で正確にやってもらわけなければならない。欧米で一般的なジョブ・ディスクリプションというのも基本的にはそういうもの(まあどこまで書くかは職種により異なるわけですが)であって、それから逸脱することはないというのが、まあノンエリートの働き方になっているわけです。「自ら創る」だの「先手先手」だのいった働き方は、まあ全体の1割にも満たないエリート層だけのものであって、彼ら彼女らなかなりの長時間労働をしている実態があるようですが、ノンエリートは所定時間分の決められた仕事を決められたようにこなすだけで、残業をしないのがむしろ普通ということになっているわけです。
ところが、日本のホワイトカラー総合職というのは基本的に全員がエリートで幹部候補生ということになっているので、ジョブディスクリプションもなければ、業務指示も「いついつまでにこれこれをこのくらいで」といった包括的なものにとどまっていて具体的な手段は従業員の裁量に任されていて、残業についても就業規則の建前は上長に申請して許可がなければできませんということになってはいるものの、現実にはやはり本人の裁量になっているのがほとんどではないかと思われます。そうなると、どうしても過剰品質で長時間労働になりがちなのは自然な成り行きでしょう。
16日のエントリでご紹介した鶴光太郎先生のセミナーやご著書では、非認知能力の重要性が強調されていましたが、そのベースになっている、鶴先生が阪大の大竹先生などと共同で実施された調査の結果はこのブログでも過去ご紹介しています。

…大竹先生らが日本で実施した研究の結果、日米で興味深い差異がみられたことが報告されました。Big5(Extraversion, Emotional Stability, Openness to Experiences, Conscientiousness, Agreeableness)および平等主義、自信・自信過剰、危険回避、時間割引といった行動特性が学歴、賃金、昇進にどのように相関するかを調査したところ、学歴に対しては情緒安定性と経験の開放性がプラスに有意なのは日米共通ですが、協調性については日本で正、米国で負の相関がありました。賃金については外向性、勤勉性、情緒安定性がプラスに働く傾向があることは日米共通ですが、協調性はやはり日本で正、米国で負となっていました。昇進についても日本は外向性、協調性、勤勉性がプラスに有意でしたが、米国では外向性のみがプラスに有意となっていました。このあたり、組織管理などに関する日米の違いが反映されているのかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130908#p1

ビッグ5についてはここhttp://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20100324/217388/に面白い解説がありますが、

人間の性格を構成する5つの要素は、
(1)経験への開放性 (Openness to Experience)(2)勤勉性 (Conscientiousness)(3)外向性 (Extroversion)(4)協調性 (Agreeableness)(5)情緒不安定性 (Neuroticism)である。
 各要素を日常的な言葉で表現すると、(1)好奇心が強い、(2)まじめ、(3)人と騒ぐのが好き、(4)空気を読むのがうまい、(5)イライラしやすい・落ち込みやすい、となりそうだ。あるいはもっとよい日常的な表現もあるかもしれない。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20100324/217388/

ということで、ここでの協調性というのは、「協調性」と聞いて一般的にイメージしやすいチームワークとかコミュニケーションとか言ったものとはややニュアンスが異なり「空気を読むのがうまい」ということなのですね。「空気を読むのがうまい」人がわが国では賃金を高めるというわけです。
つまり、企業は経営方針を示し、上司は部下に包括的な指示を出して、あとは部下の裁量に任せる。部下はそこで「空気を読む」、つまり経営者なり上司なり人事権者なりがなにを望み、なにを求めているかを「言われなくても自ら察してそれを実行する」ことが期待されていて、それをやるのがいい部下だということで高く評価されるのでしょう。まさに鬼十則が「自ら創る」だの「先手先手」だの言っているのもそれに通じると思います。そう考えると、鬼十則の第九が「頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。」というのも企業や上司へのサービスまで含むように読めますし、Wikipedia電通の項(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A)に掲載されている過去の「責任三カ条」でも「一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。」となっているのも無縁ではなさそうです。
具体的には、卑近な例としては上司がプレゼンする際に見映えがするようにすばらしく美麗な(しかし過剰品質の)スライドショーを作り、どんな質問にも即座に回答できるように膨大な想定問答を準備する、といったことが想定されるでしょうか。もちろん、表向きは「出来合いのものの使いまわしでいい」とか「その場で回答できないことは『調べて後日回答』でいい」などというのが建前ではあるわけですが、そこはそれ、「空気を読んで」長時間労働で過剰な準備をしてしまうことになってしまうという話です。これは企業や上司にとっても都合のいいところがあり、上司としてみたら口に出して指示するのは建前上はばかれるけれど、しかし本音としてはこうしてほしいと思っているようなことを、「空気を読んで」気を利かせて「先手先手で」「自ら創る」部下はなかなか重宝なものでしょう。さらには、自分は具体的には指示していない、要求していないから責任を取らなくてもいいという話にすることもできる。「自ら創る」「先手先手で」新規顧客開拓やビジネス提案を実施したところ裏目に出て穴が開きましたとかいうときに、もちろん口に出して「部下が勝手にやったこと」とはさすがに言わないでしょうが、しかし具体的に指示をしたのかどうかというのは、なにかと差があるだろうと思われます。
昨日の日経新聞「経済教室」に黒田祥子先生が登場されて、労働時間規制との関係でこんなことを書かれているのですが、

…これまでの日本は「おもてなし」の精神に裏付けられた高品質・高サービスを売りとし、長時間労働で対応することで高い経済成長を実現してきたと考えられてきた。
 しかし数値的には日本の生産性は低い。おもてなしを細部に行き届かせることにとらわれすぎて、その価値を消費者に納得させて高い値段で買ってもらうということに注力してこなかった結果といえる。長時間労働是正は、高い価格が付かない非効率なおもてなしをなくし、時間当たりの生産性を上げていくきっかけと位置付けるべきだ。
 現在の日本はおもてなしの過当競争が隅々にまで浸透している。個々人や個別企業は「ここまでやる必要があるのだろうか」と感じても、長時間労働が常態化する中で、自分だけやめることは難しい。さらなるおもてなしの競争も起き、誰も望まない長時間労働社会が固定化してしまう。
平成28年12月19日付日本経済新聞「経済教室」から)

これは企業と顧客との関係についての記述ですが、同様のことが職場でも起きているのではないかと思うわけです。「おもてなしの過当競争」というのはなかなか気の利いた表現だと思いますが、これが日本の文化として市場にも職場にも蔓延してしまっているのかもしれません。まあ書店に行けばビジネス書コーナーの平台に「気がきく」とか「気がつく」とか「気づかい」とかいった書名の本が積まれているのを見れば一目瞭然のような気もします。

  • 特に、電通のような規模の大きい企業(電通がそうだと言っているわけではない)だと、フォーマルな組織や指揮命令系統とは別に、有力者を中心とした一種の(やや言葉は悪いのですが)親分−子分関係のようなもの(学閥とか門閥とか○○さんを囲む会とか)ができることがあり、インフォーマルであるだけにますます「おもんばかる」ことが求められる…といったことが事情をさらに複雑にすることがあるようです。

ということで、黒田先生が言われるとおり「「ここまでやる必要があるのだろうか」と感じても、…自分だけやめることは難しい。」ということになってしまうのではないでしょうか。ただ、対顧客ビジネスと違って、職場ではキャリアをめぐる競争を降りてしまえば「自分だけやめる」こともできます。これも先日のセミナーで鶴先生が指摘しておられましたが、降りたところで賃金が上がらなくなるだけで減るわけではない。長時間労働しても競争に勝てない多数の人に較べればトータルでは恵まれていると考えることもできますので、業界でいうところの「降りたもの勝ち」という道もあることはあるわけですが。
電通の場合はそこにさらに「殺されても放すな」的なパワハラ風土とか体育会系風土とか、あるいはやはり端的に仕事が多すぎるとかいう話なども加わって過酷な状況をつくっていたのだろうと思うわけですが、まあ内情はわからないのでなんともいえません。ただ、「降りたもの勝ち」という実態もあるなら積極的に降りる人を増やすとか、そもそも競争に参加しないコースを拡大するとかして、キャリアをめぐる「おもてなしの過当競争」を緩和しなければなかなか解決にはつながらないだろうとは思いました。