設備投資と雇用規制

昨日開催された第3回官民対話で、経団連の榊原会長が設備投資増と賃上げに積極的な姿勢を示したということで、各紙が報道しています。

 政府は26日午前、首相官邸で企業に賃上げや設備投資を促す官民対話の第3回会合を開いた。安倍晋三首相の要請を受け、経団連榊原定征会長は業績が好調な企業に対し、来年の春季労使交渉では「今年を上回る水準を期待する」との意向を表明した。設備投資については法人減税など9つの環境整備を前提に、2018年度に国内総生産(GDP)の約2%に相当する10兆円増やすことも可能との見通しを示した。
 政府は企業が抱える過去最高水準の内部留保を賃上げや設備投資に振り向け、経済の好循環の実現につなげたい考えだ。

 経団連の集計では…設備投資については15年度の71.6兆円から18年度には81.7兆円に増えてリーマン・ショック前の76.8兆円(07年度)を大きく上回るとの見通しを示した。首相は「GDP600兆円達成に必要な設備投資を今後3年で実践する意欲的なものだ」と評価した。
 ただ経団連は前提条件として労働規制の緩和、安価な電力、研究開発減税の拡充など9つの環境整備を求めた。榊原会長は現在32.11%の法人実効税率について「来年度20%台を実現してほしい」と要請した。
平成27年11月26日付日本経済新聞夕刊から)

ということで「前提条件として労働規制の緩和、安価な電力、研究開発減税の拡充など9つの環境整備を求めた」というのが目をひくわけですが、内閣府のサイトに掲載された当日資料によるとこの「9つの環境整備」というのは次のようになっています。

(1)法人実効税率の早期引き下げ
(2)設備投資促進策(新規取得の償却資産(機械装置)に係る固定資産税の減免)
(3)規制改革の更なる推進
(4)TPPの活用促進と経済連携協定日中韓FTA、RCEP、日EU EPA)の早期妥結
(5)安価で安定的な電力の確保
・安全性が確認された原子力発電所の再稼動プロセスの加速
・固定価格買取制度・地球温暖化対策税の抜本的見直し
・エネルギー・環境分野の革新的技術開発の促進
(6)次世代技術の開発・実用化に向けた政府のイニシアティブ発揮(政府研究開発投資対GDP比1%の着実な実現、ImPACT、SIPの拡充・恒久化)
(7)研究開発促進税制の維持・拡充
(8)女性・若者・高齢者の活躍推進、外国人材の積極的受け入れ
(9)労働規制の更なる緩和
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/kanmin_taiwa/dai3/siryou9.pdf

例によって一部機種依存文字(○付数字)を変更しています。これを見ると(3)で「規制改革の更なる推進」と一般論を書いたうえでさらに(9)で「労働規制の更なる緩和」と念押しするという力の入りようです。ちなみに同じ日に提出された三村日商会頭の資料にも小林経済同友会代表幹事の資料にも労働規制の語があってオール経済界の要請という様相を呈していますが、しかし設備投資拡大の環境整備としての労働規制の緩和ってどんなものなんでしょうか。
実は経済三団体の資料にはそれ以上踏み込んだ記載はないので、とりあえず三団体を離れて世間にありがちな論調をみてみましょう。まだ最近のものとして、この11月13日付日経新聞朝刊の名物コラム「大機小機」、お題は「力強い設備投資への条件」でペンネームは「唯識」となっています。

 政府が経済界に対して積極的な設備投資を呼びかけている。…しかし、…2014年度、企業は利益に匹敵する設備投資をしている。…ただ、問題がないかというと、そうでもない。投資の大半が古い設備の更新投資や省力化投資で、地域の人材を新たに雇い入れて工場を建てるといった本格的な能力増強投資には向かっていないからである。
 それには理由がある。我が国における増産投資には大きなリスクがある。それはリーマン・ショック後の空洞化の中で、国内の工場をたたんで海外移転しなければならなかった多くの企業が強く認識していることだ。日本では企業が経営破綻でもしない限り、雇用調整は難しい。
 その難しさを経験した企業は、こうしたリスクをもたらしかねない国内での能力増強投資に慎重になった。同じ条件なら海外での工場新設、あるいは海外企業の買収を選択するようになった。それは、世界の生産構造がサプライチェーン化している今日では、むしろ当然の動きでもあった。
 これでは国内生産の増加による経済再生と順調な経済成長は見込めない。…政府としてはまず、企業が国内の増産投資に慎重にならざるを得ない現状を打開すべきだ。法人税率の引き下げや原子力発電所の再稼働、様々な規制緩和もしているのかもしれないが、経営環境が大きく変化した場合に企業が雇用調整で苦境に陥らないようにする規制緩和が抜けているのでは、画竜点睛を欠いている。…
平成27年11月13日付日本経済新聞朝刊「大機小機」から)

引用しておいていきなり脇道にそれるのもなんではありますが(笑)、リーマン・ショック後に生産拠点の海外移転が進んだ主因は円高と人口減少にともなう国内市場の縮小(が見込まれること)であり、それはリーマン・ショック後に限らずはるか以前から進んできたことです。実際、上記経済同友会小林代表幹事の資料をみても、同会調査によれは企業が国内投資を行う際の障壁として最も多く上げられているのは製造業・非製造業ともに人口減少であり、以下製造業ではインフラコストの高さ、法人税制および人件費の高さがあげられており、非製造業では優秀な人材の確保と過当競争状態があげられていて、雇用調整の困難さは上位には上がっていません(もっともこれ以上の情報はないのでその次くらいに雇用調整が出てきている可能性はありますが)。また、海外企業の買収が増えているのはもっぱら海外事業の拡大に要する時間をカネで買っているからであって他の要因はあっても微々たるものでしょう。国内企業の買収だって増えているわけでね。
「日本では企業が経営破綻でもしない限り、雇用調整は難しい」というのもなかなか解消されない誤解ですがもちろんそんなことはないのであり、現実に多くの企業で転籍出向や希望退職などの手法による雇用調整がそれなりの規模で行われてきていますし、過去の裁判例をみても解雇の必要性判断については裁判所は大筋で企業の判断を尊重する傾向にあると言われています。たしかに雇用調整には手間とカネがかかることは事実であり、経営陣の責任を問われることも多いでしょうが、それはアメリカを除けば先進国におおむね共通のことです(程度やニュアンスの差はありますが)。
もちろん雇用調整ができるとは言ってもそれほど簡単ではないことも間違いなく、それが新規投資案件に限らず一般的に非正規雇用の増加などにつながっていることも事実です。逆にいえば非正規労働などを活用することで雇用調整リスクを低減しつつ設備投資ができるともいえるわけで、実際かつてシャープが亀山で巨額の投資に踏み切った際も、新規の雇用の相当部分は請負であったと言われています(とはいえ請負会社では正社員だった人も多かったらしいのですが)。そして、その後の亀山工場が周知のとおり紆余曲折を経る中でも(関係者にはたいへんな苦心があったとは思いますが)それなりに必要な雇用調整ははかられてきたわけです。
そもそも「もしダメだったら事業をたたんで設備は売却して従業員は解雇すればいいんだから一丁やってやるか」という設備投資が増えたところでそれほどありがたいとも思えず、またそんな投資はたいていうまくいかないものだとしたものだと思うのですがどんなもんなんでしょう。
さて経団連に戻りますと、前述のとおり官民対話の資料には具体的な記載がないので、この10月に発表された経団連の「規制改革の今後の進め方に関する意見」(https://www.keidanren.or.jp/policy/2015/092.html)を見てみましょう。労働分野に関する記述はこうなっています。

 意欲ある若者や女性、高齢者を含む国民誰もが、活き活きと働くことができる環境を整備することは、喫緊の課題である。高度プロフェッショナル制度の創設や裁量労働制、フレックスタイム、短時間勤務、地域・職種限定正社員、テレワーク、在宅勤務等、多様な働き方を可能とするための柔軟な雇用・労働基盤を確立すべきである。先の通常国会に提出された労働基準法の改正案を早期に成立させるとともに、労働者派遣法についても、労働政策審議会の建議のとおり、労働契約申込みみなし制度やグループ企業内派遣規制など、2012年改正の内容について見直す必要がある。
 また、多様な価値観や発想、知識・能力・経験を有する外国人材が日本で活躍することは、経済社会全体のイノベーションにつながる。政府として、わが国の中長期的な外国人の受入れのあり方について早急に議論を行う必要がある。いわゆる高度人材については一層積極的に受け入れるべきである。これまで専門的・技術的と認められてこなかった分野の人材に対しても、産業構造や人口構成の変化等により労働力不足が顕在化する分野については、生産性の向上に取り組みつつ、受入れ規模等を適切に管理した上で、門戸を一層開く必要がある。さらに、グローバル・オペレーションへの対応の観点から、外国人社員が円滑に日本で就労や研修を行える環境を整備することも重要である。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2015/092_honbun.html#s3

個別の内容の善し悪しは別として、とりあえず雇用調整に関する文言は見当たりませんね。まあ、地域・職種限定正社員については雇用保護も緩やかとすべきだとの議論がありますので、ここは間接的に関係してくると言えるかもしれませんが…。
いっぽう、経団連は昨年まではより個別具体の内容にまで踏み込んだ「規制改革要望」を発表していたのですが、その2014年版はこうなっています。

(1)創造性の高い業務内容・働き方に適した労働時間制度の創設
(2)企画業務型裁量労働制の適用範囲の拡大および手続きの簡素化
(3)フレックスタイム制の見直し
(4)変形労働時間制に係る天災時のカレンダーの変更
(5)休憩時間の一斉付与規制の撤廃
(6)労働基準監督行政の統一的運用強化
(7)使用者の雇用保障責任に係る判例の整理と予見可能性の高い紛争解決システムの構築
(8)就業規則による労働条件の不利益変更法理の規制見直し
(9)36協定の特別条項に関する基準の柔軟な運用
(10)労働契約申込みみなし制度の廃止
(11)グループ企業内派遣規制における派遣割合の見直し
(12)一年以内に離職した労働者の派遣労働者としての受入れ禁止の見直し
(13)日雇派遣の原則禁止の廃止
https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/083.html

ふむ、こちらには一応「(7)使用者の雇用保障責任に係る判例の整理と予見可能性の高い紛争解決システムの構築」というのが入ってはおりますな。ただその具体的な内容をみると、

要望の具体的内容
 労働契約法第16条は「解雇は客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当でない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」と抽象的であるため、より具体的な判断ができるように措置を講ずべきである。
 また、主要先進国で導入されている事例を十分に研究した上、透明かつ公正・客観的でグローバルにも通用する、予見可能性の高い紛争解決システムを創設すべきである。

規制の現状と要望理由等
 日本における解雇要件は「客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当である場合」と抽象的であり、労働紛争となった際に個々のケースは裁判所の判断に委ねられることから、労使双方にとって負担が大きく、長期化する場合が多い。これまでの判例法理をふまえ、より具体的な判断が可能となるよう雇用指針の充実と周知を図るなどの措置を講じることで、労使双方にとって建設的な解決を促すことに繋がる。
 また、透明で客観的な労働紛争解決システムに関して、とりわけ事後型金銭解決は労使双方に紛争解決の選択肢を増やし、早期かつ現実的な解決を促すものと期待される。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2014/083_09.pdf

これをみるかぎり要望はまあ「透明性向上」であって労契法16条の規制緩和を求めているわけではなく、ましてや整理解雇の規制緩和が求められている節はありません。金銭解決についてはこれまでも繰り返し書いているように水準次第ですが、いずれにしても雇用調整ではなく個別の普通解雇が念頭におかれていることは間違いないように思われます。というかこの文言を見るにつけ日本再興戦略の記述に酷似していて、なんか官邸か経産省に言われて渋々入れただけなんじゃないかあーこらこらこら、まあかなり気合が抜けてるなと思わなくもない。まあ、解雇規制の緩和に対しては経団連は旧日経連時代からずっとアンビバレントな姿勢を取り続けているわけで、経済界の大勢は引き続き実は期待していないのではないかと思います。
ということで、おそらくは経団連の本命は2014年度規制改革要望でも最初に出てくる(1)創造性の高い業務内容・働き方に適した労働時間制度の創設、(2)企画業務型裁量労働制の適用範囲の拡大および手続きの簡素化なんじゃないかと思います。それがなんで設備投資、という感はあるだろうと思いますが、よくよく見ると設備投資をするための9つの環境整備の一つとして「研究開発促進税制の維持・拡充」が上げられているわけですよ(経済同友会の資料にも同様の記載があります)。まあなんでもいいから見返りをよこせこらこらこら、理屈としては研究開発投資を通じて技術革新を起こすことで先々有望な投資先が生まれる、という話でしょう。迂遠な話ですが、しかしまあ今から実施する設備投資は過去の研究開発投資の成果であることも間違いないでしょうから(まあそれにしては有望な投資先は多くないという話もあるわけですが)、将来のために継続拡大してほしいという話は一応筋が通っています(次世代技術の開発・実用化に向けた政府のイニシアティブ発揮、とも言っているな)。そしてその研究開発を担う高度な人材をより高度に育成し、その能力を自由かつ存分に発揮してもらうべく「創造性の高い業務内容・働き方に適した労働時間制度の創設」を求めているのだ、という理屈もまた筋の通ったものだと思います。
つまるところ設備投資というのは中長期の問題であり、これまた過去何度か書いていますがやはり中長期的な見通しが立たなければなかなか思い切っては踏み込めないものだろうと思います。そういう意味では中長期的に産業振興策が継続拡大していくなど、政策的な見通しが立つことが重要でしょう。そう考えると、「安全性が確認された原子力発電所の再稼動プロセスの加速」について経団連日商・同友会三者が足並みをそろえているのは、電力コストや安定供給といった面だけにとどまらず、「合理的で必要な政策は不人気でも遂行していく」という政策の安定性や信頼感を求めているという面もあるのかもしれません。