最賃の話

さて上記の経緯で久々にhamachan先生のブログを勉強していたところ最低賃金の話題が取り上げられていましたので若干の感想を。
7月24日付で「最低賃金引き上げに意欲」http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-d8c7.htmlとのエントリが立てられており、内容的には生活保護との逆転解消が最賃引き上げの駆動力となっていたところそれが概ね達成されたことで最賃引き上げも鈍化が懸念されるところ、官邸が経済好循環を後押しすべくさらなる引き上げに意欲を示している、という話です。これについては私も前々から書いているように最賃の上昇そのものは大変結構な話であり、特に現状のように経済が活発で労働市場が逼迫する中でのそれはまことに好ましいことではないかと思うわけです。まあ具体的な引き上げ額に関しては産業・企業や地域によって受け止めの温度差はあろうと思いますが、労使の話し合いを通じて着地点を見出してほしいと思います。最賃は多分に政策的要素が大きいので官邸が指導力発揮に意欲を示すこともよろしかろうとは思いますが程度問題だよねというのもこれまで書いてきたとおりです。
それはそれとしておまけみたいにくっついた(追記)について少しコメントさせていただきたいと思っており、引用しますと
(以下引用)

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(追記)

例によって、3法則氏が全開ですが、
https://twitter.com/ikedanob/status/624257385834528768

 内閣府は「賃金が上がると雇用が減る」という法則を知らないのか。

さすが、20年前のカードとクルーガーの研究も知らずに、居丈高に「法則」とか口走る経済評論家の面目躍如といったところです。いや、躍如として面目ない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/on-da7a.htmlクルーグマン on 最低賃金

 さて、賃金決定に関する我々の理解は、政府が最低賃金を変えたら何が起こるかについての素晴らしい一連の研究によってもたらされた知的革命によってーこれは言いすぎじゃないよ−大転換しているんだ。
 20年以上も前に、経済学者デービット・カードとアラン・クルーガーは、ある州が最低賃金を引き上げたら労働市場にどういう影響を与えるかを実験的に明らかにした。実験というのは、隣接する州が最低賃金を引き上げないという自然のコントロールグループが提供されていたからだ。カードとクルーガーは、ニュージャージー州最低賃金を引き上げたけれどもペンシルベニア州は引き上げなかった時に、ファーストフード業界−最低賃金の影響を一番受けると言われている業界だ−で何が起こったかを観察することで彼らの洞察を適用した。
 カードとクルーガーの研究まで、多くの経済学者たちは−僕自身も含めて−最低賃金を引き上げたりしたら雇用に明らかなマイナスの影響を与えると思い込んでいた。ところが彼らは、それどころかプラスの影響があることを発見したんだ。この結果は多くのエピソードからのデータによって確認されてきている。最低賃金を引き上げたら雇用が失われるなんて言う証拠は全くないんだ。少なくとも、(最低賃金の引き上げの)出発点が現代アメリカのように低い国ではね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-d8c7.html

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(引用終わり)
「3法則氏」というのはご案内のとおり池田信夫先生のことですが、たしかに「賃金が上がると雇用が減る」というのは常時明らかに言えることではないので「法則」とまでは申せないものと思います。まあそのあとで引かれているクルーグマンも書いているようにそれは多くの経済学者の考えに一致するものであったことも間違いないわけですが、それを「法則」と断言するというのもまあ独善のそしりは免れないでしょう。
もっともこのクルーグマンの引用もややミスリーディングなところはあり、とりあえず現時点でいえるのは「まだ決着していない」ということでしょう。これについては非常に論争的なテーマなので米国ではカード&クルーガー以降も多くの実証の蓄積があり、NBERのNeumark,Salas,Wascherらがそれらの結果を継続的にレビューしています(最新版はたぶんこれhttp://www.nber.org/papers/w18681)。現時点での状況はおそらくは最低賃金引き上げは雇用を減らすという結果のほうが優勢、ただしその影響は大きくはないという結果も多い、というのが現状ということだろうと思います。
また日本に関しては(日本の最賃は低いという通説にもかかわらず)クルーグマンの指摘する「出発点が現代アメリカのように低い国」であるかどうかがかなり重要なポイントであるようで、RIETIのプロジェクトの奥平寛子先生ほかによる調査によると日本では米国に較べて最賃引き上げが雇用に影響しやすい傾向があるのではないかという結果が出ているようです(http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/13030009.html)。
結局のところは最低賃金以外のさまざまな要因にも影響されるということだろうと思われるわけで、たとえばリーマンショック後の雇用失業情勢が大幅に悪化していたような時に最低賃金を引き上げても雇用に悪影響はありませんと断言できる人もまあなかなかいないだろうとは思います。ごく単純にいえば最賃引き上げで利益が少々減少したくらいでは経営者は雇用削減にまでは踏み込まないだろうと思われるところ、現実に赤字になってますという状況では最賃引き上げがなくても雇用を減らすことを迫られるわけで、こうした中で最賃の引き上げの影響がないとはなかなか思えません。それでも当時最賃引き上げが主張されていたのは主に救貧政策としてであり(そしてそれは実はかなり筋の悪いものであったことは繰り返し書いたところ)、それを重視する論者たちが補助的に「必ずしも雇用に悪影響があるとの明らかな証拠はない」と主張していたにとどまるのではないかと思います。
逆に言えば現状のように労働市場が逼迫している状況下では最低賃金も引き上げやすいと思われるわけで、官邸がそれに意欲を示すのも理解しやすい話であるようには思われます。ただ最低賃金は(最低賃金だから当然ですが)引き下げはまず不可能であると思われますので、あまり調子に乗って引き上げると景気が悪化したときに思わぬ悪影響が出ることの危険性は意識しておいたほうがいいかもしれません(もちろん物価が上がることで調整できる可能性もありますが)。