JIRRA労働政策研究会議(続き)

一日開いてしまいましたが労働政策研究会議のご紹介を続けたいと思います。山田先生に続いて阪大の水島郁子先生が「デフレ脱却後の賃金のあり方−労働法の視点から」と題して報告されました。労働法学者がデフレを論じるというのもなかなか大変だろうと余計な心配をするわけですが、政労使会議の提言の概観から説き起こされ、これに関連する労働法規について論じられました。
まずパートタイム労働法の均衡待遇についてパートタイム労働者の待遇改善や人事制度・賃金体系の改善に資すると前向きに評価され、均等法・育介法における不利益取扱いの禁止についても、例の広島中央保健生協事件をひかれながら育介休業取得者の負うハンディが軽減されることを通じて賃金にも好影響が及ぶと積極的に評価されました。子育て世代に配慮した賃金制度見直しについては個別労使の問題であって、政府の役割は児童手当拡充などの社会保障政策にとどまるべきだとされました。
最低賃金法については、まずその性格上デフレ脱却後の賃金のあり方に影響を与えうると指摘したうえで、近年従来にない大幅な引き上げが繰り返されたことで本年度の東京都の最低賃金が900円を超えることが確実視されることを紹介され、生活保護との逆転が解消されたこと、および非正規雇用の処遇改善が実現すること、さらにを通じて質的(キャリア)改善につながることも期待できると述べられました。
最後に個別企業における賃金の見直しについては、政労使合意の内容を賃金制度の変更によって具体化していく上での法的論点、とりわけ一部労働者にとっての不利益変更の合理性についての紹介が中心でした。
全体としては政労使会議の提言に関係する労働法規の要領のよい整理という印象で、政策提言も抑制的で他領域が専門の参加者には有益なものではなかったかと思います。私としては今更ながらの感はありますがやはり賃金に関しては基本的には労働市場と労使自治に委ねられるべきものであって、直接的な法的介入は最低賃金にとどめ、あとは差別禁止や均等・均衡、不利益取扱い禁止といったものにとどめるべきだという感を強くしました。ということでやはり有識者会議のようなものは好ましくないともう一度申し上げておこうかと思います(笑)。いやもちろん政労使会議のようなものは大いにやればいいと思いますし山田先生ご指摘のように労働市場のあり方といったそうした場にふさわしい骨太な(笑)テーマもあろうと思いますが、しかし個別企業の人事管理や賃金水準にまで手を突っ込んでくるのは社会主義国でもあるめいし余計なお世話かと。
次に同志社大の石田光男先生が「賃金の日本的特性」と題して欧米と日本の比較を中心に報告されました。
まず両者の最大の相違点として、欧米ではマネジメント層のみがPDCAを回し(方針管理を行う)、一般社員は決められた仕事を指示・命令に従ってこなす(方針管理をしない)だけなのに対し、日本では一般社員を含む全階層がPDCAを回す(方針管理が現場の末端まで降りている)という仕事管理の相違を指摘され、したがって一般社員の報酬管理は欧米では仕事基準(≒職務給)なのに対して日本では人基準(≒職能給)、雇用関係については欧米は集団的取引で対立的なのに対して日本では個別的取引を含んだ協力的なものであると整理されました。
その上で日本の賃金の特性として、人基準の賃金決定のためには人事考課が必要であり、それが昇給と昇格を要請することで人件費が肥大化しやすいことを指摘されました。そして、人件費の肥大化を調達や技術開発を通じたコストダウンで吸収できなくなった結果が成果主義の流行であり、仕事管理の特長を維持しつつ非正規労働力の活用や役割等級の導入と職能等級の縮減、賞与への業績反映の強化などが行われたと述べられました。
そして改革のアジェンダとしては、方針管理を行いつつ私生活への負担度が低い(勤務地限定など)社員区分を設けて人事報酬制度に組み込んでいくことを明示的に指摘されたほか、事業運営を経営戦略より重視する日本企業の特性を欧米型の経営戦略重視に方向転換するといった戦略強化(そのための人的資源配置のシフト)も述べられました。また、集団的労使関係に関しては、雇用保障と引き替えに仕事のレベルも配置も報酬水準もほぼ経営・使用者の裁量であり、労働時間も労組は異常値管理に関与しているに過ぎないと問題提起され、より事業計画に踏み込んだ労使協議を拡充することを提言されました。
ということで人事賃金管理の内外比較については私もほぼ同様の理解であり、このブログでも繰り返し強調してきたとおりです。これはわが国における労働観を通じた価値観にかなり深く浸透しており、欧米においては一般社員は事業運営においてはその職能を果たすだけの、(言葉は悪いですが)いわば取り替え可能な部品のような存在であり、企業業績なんてものは経営者と経営幹部の責任であって業績が良くても悪くても一般社員は指示された仕事をして決められた賃金を受けるのだと考えられているのに対して、わが国では一般社員も自分の仕事を通じて業績の責任の一端を負っていると考えられており、したがって労組は「この好業績は組合員の頑張りの結果であり、それにふさわしい処遇が行われるべきだ」と主張して、主に欧米諸国にはない高額の賞与を獲得しているわけです。裏を返せば、業績悪化時には「そうは言っても賞与は年間賃金の重要な一部であって大きく引き下げられるのは困る」とは言うわけですが、それでも相当な減額を呑むわけで、これは前のエントリでご紹介した山田先生の議論とも通じてくるわけです。
人事管理についても、石田先生は賃金ということで人基準を強調されたわけですが、処遇・労働条件をパッケージでみれば中長期的な昇進昇格というものが重要な役割を果たしてきたわけです。それが企業組織の拡大が停滞することで昇進先ポストが不足して機能不全となり、当面は社内資格等級とポストとを分離して昇格すれども昇進せず(?)という形でしのいできたわけですが、それも限界となって人件費の肥大化に耐えられなくなった、というのが成果主義騒ぎの発端ではなかったかというのが私の理解です。でまあ(これは山田先生も指摘しておられましたが)昇等級を絞ることで人件費の肥大化は食い止めたわけですが、それに代わるインセンティブの付与が難しいというのが現時点での人事管理における最大の課題のひとつではないかと思うわけで。
したがってそのソリューションとしてスローキャリアとしての限定正社員というご提案には私も賛同するところです。このパネルは賃金がメインテーマなので賃金中心にご報告がされたわけですが、やはりより重要なのは賃金をその(重要な)一部として含むキャリアではないかと思うわけです。戦略強化についてはよくわからん。
労使関係についてもそうだろうなと思うところはあり、勤務地や労働時間やキャリアに限定のある限定正社員が拡大すれば集団的関係を通じた規整がさらに重要になるだろうと思います。ただまあ現状でも組織率の高い労組のある企業労使においては相当にやられていることであるわけで、重要なのはむしろ組織率の拡大(なのかほかの方法なのか)による労使の対話の拡大深化ではなかろうかとも思いました。
最後に国士舘大教授にしてJIRRA会長の仁田道夫先生が「賃上げ交渉方式をめぐって」と題して報告されました。もともと名市大の松村文人先生が報告される予定でありそのように告知されていたわけですが周知のとおり残念な結果となり(ご冥福をお祈り申し上げます)、急遽代打として仁田先生が打席に立たれたという経緯とのことでした。
内容についてはまず世間で賃金交渉などが報道されたり議論されたりする際の用語の混乱がはなはだしいとの話から始められ、主に定昇別平賃(ベア)、定昇込平賃、個別賃上げの三種が混在する現状が紹介されました。そして、それが戦後日本の人事管理・賃金制度の形成にともなって、要求しやすく獲得しやすいやり方として徐々に成立してきた過程を論じられました。そして、今後よりわかりやすく納得性の高い、統一的な方法はないものかと問題提起され、「一つの案としての一律率方式」を提案されました。
用語についてはまさにご指摘のとおりで恐れ入りました。なんかその定昇相当分とか賃金制度維持分とか、意味がわかって説明できるのはかなり限られた労使交渉マフィアに限定されているというか当事者だけじゃねえかいや当事者だって本当にわかっているのかこらこらこら、まあそうも思わなくもない。ということで終了後にたいへん高名な先生からおたずねを受けてまあ私の理解かつだいたいの傾向という話で賃金制度が確立していてその運用の結果右肩上がりの賃金プロファイルが存在するのであれば定昇はその平均変化率に近いものとして結果的数学的に概念できるところ春季労使交渉においては昨年適用した賃金制度を今年も適用するか(≒定昇が行われるかどうか)根元から交渉する例もあってその場合にはまさに今年も賃金制度は維持されましたということで賃金制度維持分という用語が使われるようだが多くの労使では賃金制度は協約化されて定昇も約束されていると考えられているのでそのような場合は定昇相当分のような用語が用いられさらにそれが金額まで書き込まれた賃金テーブルのような形で具体化固定化されているとなると定昇制度という言われ方がされることが多いようだといったご説明をする破目に陥ったわけではありますがこの説明がどのくらい当たっているのかははなはだ自信がない(誤りなどご指摘願えれば幸甚です)。いやホント当事者によって異なると思う(しそれが当然だと思う)。
なお一律率方式というのはまあ以前広く使われていた平賃ベース率要求に近いのかなとは思いました。あれはたしかにかなりの長期間広く定着してきたものでありそれなりにわかりやすいものだったわけですが、私の理解では率要求・率回答で横並びを続けるといつまでたっても格差が縮まらないということで横並びでも格差縮小する額方式に変更され、また平賃だと各組織で年齢構成や賃金制度が異なりapple to appleの比較ができないことから産別レベルで30歳設計技術者みたいな銘柄を決めて比較できるようにしようということでポイント賃金に変更されたと記憶していますので、まあそれなりに理由はあるわけです。ただまあ仁田先生の余計わかりにくくなったじゃねえかというご指摘も当たっているわけで、いっぽうで各企業の賃金制度も多様化複雑化が進んでいてこちらもわかりにくさを増しているという実態もあり、たしかに一律率方式というのも案外共闘しやすいやり方なのかもしれないと思いました。まあ各労使で検討されればいいと思います(と突然他人事モード)。
ということで内容はたいへん充実したものでもっとディスカッションできればよかったのですが時間切れとなったのでありました。ただ残念なのは内容の充実に較べて参加者数が少なかったという点で、これについては実行委員長の藤村先生も「このところ賃金の研究・研究者が非常に少なくなっているが、しかし世間の動向をみても非常に重要なテーマ」とテーマ選定理由を述べられていたとおり、やや研究が低調なことの反映かもしれません。しかも例年の土曜日開催ではなく日曜日開催で、お天気も雨模様と悪条件が重なった感はあります。もちろん数が多ければいいとか少なければダメだとかいう話ではないわけですが、それにしても少々もったいないと思いました。今年もJIL雑誌の特集号が出るでしょうから、最終的には多くの人の目にふれるだろうとは思いますが。