JIRRA労働政策研究会議

昨日開催されたので参加してまいりました。ほぼ毎年参加してこのブログで感想など書いていますが、昨年は準備委員をおおせつかって開催者サイドに加わりましたのでブログでの紹介は控えました。ということで2年ぶりの感想ということになります。
午前中は例によって自由論題セッションで、事前の告知をみると第3分科会の「労働と心理」がなかなか面白そうだったのですが、昨年私が司会したセッションで報告された方のうちお二人が今年も報告されるとのことでしたのでそちらを聴講することにする義理堅い私。
そこで件のお二方ですが、おひとりは法政大学大学院の山崎雅夫氏で「建設業界の技術伝承における労働組合の役割」と題して報告されました。この方はご自身ももともとは建設コンサルタントとのことで、現場技術者の熟練形成とその伝承を「技術者直観」というコンセプトを軸に調べておられ、ここだけではなく日本キャリアデザイン学会などでも発表しておられます。従来は技術者本人と人事部署のインタビューを中心に調査しておられ、今年は労働組合に対象を広げるということで3つの単組と3つの産別の執行部にインタビューをされたとのことでした。
ただ結果は労組は意識も低くしたがって取り組みも見られない(技能者の育成まで広げても全建総連の例があるのみ)という低調な状況だということがわかりましたというもので、もちろんこれはこれで貴重な知見だとは思いますがさすがにそれだけで20分持たせるのは大変な感じで、技術伝承に着目する理由などバックグラウンドから説きはじめて、労働者の互助という労働組合の本来機能を機能させるべきという提言で終わるといういたって薄味なものになりました。むしろ司会を務められた元電機連合情報労連の鈴木不二一さん(今は法政の連帯社会インスティテュートにおられるとか)の「電機業界では組合員の大半は院卒で博士も多く、学会などで日常的に研鑽し交流しているが、やはりそれだけでは十分ではない。彼ら彼女らにはやはり電機産業の技術者としてのアイデンティティへの強いニーズがあり、そのプラットフォームを提供するのが労組の役割であり、電機連合の取り組みが活発な理由」(意訳なので意を尽くしていない可能性あり)というコメントのほうが印象的でした。
山崎氏は技術者直観は建設業に特有なものとして観念されているようで、そこには氏自身の経歴にもとづくこだわりが強くあるようなのですが、しかしこういう(キャリア軸・制度軸の)掘り方を続けていても「やはり長期にわたってさまざまな経験を積み、徐々に高度な仕事に取り組むことで技術者直観を形成することが必要」ということしか出てこないのではないかという印象はあります。さらに技術者のインタビューを増やして技術者直観を形成するために必要な性格傾向やコンピテンシー(おお、懐かしい言葉だ)のようなものを明らかにしていくとか、あるいは建設業特有なら特有としても他産業の類似概念とその形成過程をベンチマークして相違点を明らかにすることを通じて建設業における技術伝承に対する含意を引き出すとか、まあ他人事なので思いつきをあれこれ書く私。
もうお一方は学習院大学大学院の関家ちさと氏で「人事管理の日仏比較」と題して報告されました。昨年は日仏の人事管理担当者のインタビューをもとに人事担当者のキャリア形成を比較しておられましたが、今年はさらに人事制度との関係からも整理されました。
ただ、昨年は調査手法の開発なども報告されていたので今年はその実装を期待していたところその話はまったくなく(まあもう少し時間がかかる話なのかもしれませんが)、昨年からあまり進んでいないという印象は強く持ちました。
また、これは法政の中村圭介先生が指摘しておられましたが、この分野での日仏の相違は企業の人事戦略というよりは高等教育制度が大きく異なることの影響が大きいわけで、そこがほぼスルーされているのはやはり物足りない感はありました。もちろん調査の中心は企業内の人材育成であり、それを超える部分についてはコメントしないというのは誠実な姿勢だとは思うのですが、しかし参加者の中にはフランスの高等教育についてあまりよく知らない人のほうが多かったのではないかと思いますので、もっと説明してもらったほうが参加者にとっては有益だったのではないかと思いました。
ただ一点面白かったのは日仏の社内等級を比較したチャートで、フランスのグランゼコール卒が初任配属されるポジションが日本の主任クラスと同等とされていた点です。ここについては賃金水準や労働時間管理などの観点からグランゼコール卒カードルの初任は日本の課長クラス相当というのが私の理解(一般的にもそうではないかと思う)だったのですが、関家氏が実際の仕事内容を確認して比較すると主任クラス相当だったということでした。つまりまあフランスではグランゼコール卒であるということで仕事の価値以上に賃金が高くなるということなのでしょうか。
午後は「デフレ脱却後の賃金のあり方」をテーマにしたパネルディスカッションで、日本総研の山田久先生、阪大の水島郁子先生、同志社大の石田光男先生、国士舘大の仁田道夫先生がパネリスト、準備委員長を務められた法政の藤村博之先生がモデレータとして登壇され、まずはパネリストの個別の報告と質疑応答があり、その後にパネルという進行でした。
まず最初に山田先生が「デフレ期賃金下落の原因と持続的賃上げの条件」と題してマクロ経済の観点から報告されたのですが、これが非常に興味深いものでしたので少し詳しめに紹介したいと思います。
まずなにより、この会合も労働政策研究会議であるわけですが、これはこのブログでも繰り返し苦情を申し立ててきたところですが労働政策が議論される際には往々にして法制度やシステムといった構造的要因に偏る傾向がみられ、マクロ経済の循環的要因が軽視されがちだという問題があり、そういう意味では最初にマクロ俯瞰が置かれるというのは非常にバランスのとれた構成であると思いました。
さて内容ですが、まず90年代後半以降、景気回復期もあったにもかかわらず賃金が継続的に下落傾向にあったのはなぜかを論じられました。巷間よく言われる要素価格均等化については、たしかに輸入浸透度の高い産業ほど賃金下落圧力が強いという関係が有意に観察されるもの、国際比較の観点からは新興国に追い上げられているのは先進各国共通なので、日本だけが賃金下落していることの主要な原因とは考えられないと述べられました。
次に90年代後半の金融危機とリストラを受けて先行きの不確実性が高まり、企業の財務が防衛的になったことについては、事実その傾向は観察され、かつ賃金下落の説明としても有力だが、しかしやはりリーマンショック後の欧米企業ではそうした傾向が見られないことから、主要な原因とはいえないだろうとの見解でした。
ということで山田先生の結論はその原因は日本の労使関係の特異性にあるというものでした。日米独の雇用調整を比較すると、米独では雇用量(人員整理)による調整が大きく(そのスピードも速い)賃金による調整は小さいないし有意に確認できないのに対し、日本では賃金による調整は大きく、雇用量による調整は小さい(そのスピードも遅い)ということが確認できるとのことで、すなわち米独では不況期の整理解雇に対しては労働組合も許容する一方で賃金引下げには否定的なのに対し、日本の労組は雇用維持を優先してそのためには賃金減を受け入れるという相違があると指摘されました。そのため、日本では新興国の追い上げや不確実性の高まりに対して雇用維持・賃金減という対応が取られたことが賃金下落の主因であるということでした。
そして、これによって従来わが国の賃上げを支えてきた職能資格制度による賃金の年功的な運用や、春季労使交渉を通じた賃上げの波及といった、賃金引き上げの客観的なしくみが機能しなくなった、という点も指摘されました。
そこで現状の評価ですが、足元では労働需給と賃金の相関が復活していて賃金下落から上昇に反転しつつあるように見えるものの、統計的にはまだ従来の下落基調を脱したとまではいえず、しかも政労使会議などを通じた政府の影響力による部分が大きくかつての春季労使交渉のようなしくみがあるわけでもないので、まだ賃上げ基調に戻ったとは言えないとの評価でした。
以上からの政策的含意として、まずはかつての春季労使交渉のようなマクロでの賃金引き上げの仕組みが必要であるものの、さまざまな環境が大きく変わった中では労使交渉に多くは期待できないため、政労使会議の下に有識者からなる第三者機関を設置して、それが客観情勢を分析したうえでの(非正規も含めた)賃上げの目安を示す(最終的な決定は個別労使の決定による)ことを提言されました。
それに加えて、賃金の持続的上昇のためにはその原資たる生産性・収益増が必要であり、そのための環境整備が必要であり、従来から行われてきた企業内での移動に加えて、企業を超えた円滑な移動を可能とするしくみも必要であるとして、整理解雇の自由度が高まる欧米型の職種限定無期雇用(限定正社員)の導入を政労使会議の場で検討すべきとされました。
さてこれに対してまず鈴木不二一さんが手を上げられ、そうは言っても個別労使は有識者会議の言うことなんか聞かないんであって大きなお世話(大幅に意訳、失礼ご容赦)という意味のことを上品に指摘されました(あとでもう一度触れます)が、私がぜひ確認したいと思って珍しく手を上げたのは「有識者会議なるものは客観的に賃下げすべきとなったときに賃下げせよとの目安を示せるのか」ということで、これに対して山田先生は「不況期であっても微少ではあろうが賃上げの目安を示すことになろう」とのお答えでした。
私としてはこれを聞いて某中銀の何人かの方の顔が思い出されたわけですがそれはそれとして、もちろんこれは理由があるのであり、ひとつにはベアゼロでなければ継続できない事業は基本的に不採算であってその縮小を促すことが望ましいということもあるでしょう。より重要なのは報告の中でも「まだ相当に粗っぽい仮説」として紹介されたのですが、1997年以降の生産性と賃金の関係を調べると名目賃金から実質生産性、実質生産性から実質賃金に対して有意な因果関係がみられるということです。つまり名目賃金が上がれば実質生産性があがり、さらに実質賃金も上がるというルートが想定できるというわけです。たしかにこれはありそうな話ではあり、その理由としては名目賃金の上昇が労働者の意欲を高めることで生産性が上がる(まあそれが賃上げする理由だ)とか、賃金上昇にともなうコスト増を吸収すべく労使が生産性向上に努力するとかいったものが考えられます。だから不況・業績低迷でもベアOKということで、賃金引下げという世間から恨みを買うもとい政治的に困難な目安を示す必要はなかろうということで、しかしデフレで物価下落のときにも名目賃金上げるんですかという気もしますがそうすれば物価は上がるから大丈夫というまた某中銀(ry
ただまあこれはさすがにニワカには承諾しかねる話ではあり、もちろん日本的な労使関係が賃金下落の大きな要因であっただろうことには異論はないのですがいかにも過大評価している感はあり、第一に山田先生は新興国の追い上げについて欧米も同じだと言われるわけですがこの間為替は円の独歩高で進んでいたわけであってその分欧米に較べるとわが国への影響は増幅されていたと考えるべきでしょう。輸出競争力の観点から賃金が上がりにくかったということはかなりあったはずで、そこが上がらないと国内のサービス業なども上がらないという連鎖もあったのではないかと思われます。まあどれほどかと言われると測定は難しい(少なくとも私にはできない)のではないかと思われるわけですが。
また、引用されたOECDの生産性と賃金上昇のグラフは日本の特殊性が最も明確に見えるように1997年起点で作成されているわけですが、90年代前半のわが国では逆に生産性向上を上回る賃金上昇があったことも事実であり、これまたどの程度かはわかりませんが90年代後半にはその調整が含まれていたことは十分に考えられます(なお山田先生によれば日本総研の別の試算によればそれでも2000年くらいから以降は賃金が下がり過ぎという結果だそうです)。2000年代の後半には団塊世代の定年によって企業の人件費が大幅にダウンしたことの影響もあるはずです(まあ考えようによっては定年退職者の雇用確保のために賃金を引き下げたということに他ならないわけではありますが)。それでもなお主たる要因は労使関係だと言われればそうかもしれませんが、本当にどんな不況期でもベアを実施して差支えないとまで言えるかどうかは疑問のようにも思えます。
もうひとつ重要なポイントがあってさきほどの鈴木さんの発言とも関連するのですが、鈴木さんが指摘されたのは有識者会議が目安を示しても使用者が従うとは限らない。使用者は組合の要求に配慮しなければ困ることがある(生産性が上がらないとか、時間外労働への協力が得られないとかいろいろ)からそれに応じるわけであって、別に困らない状況であれば目安の効き目はないのではないか、といったことを述べられました。これは私も同感で、以前も紹介しましたが企業としてもそろそろベア復活してもいい・しないといけないという判断があらかじめあって、その路線変更のために(たとえば株主への説明などに)政労使会議を利用したのだという八代尚宏先生の指摘が当たっているように思われます。
なにかというといまの労使交渉の現場というのは長期的な関係のもとに成り立っているということであり、良くも悪くも労使ともに長期的なビジョンを重視しているわけです(まあそれがダメだということかもしれませんが)。それはたしかに雇用重視の労使関係と不即不離ではあるわけですが、しかしおそらくは短期的な見通しのもとに示される有識者会議の目安は重視されにくい状況ではないかとも思うわけです。山田先生は春季労使交渉システムがうまく機能していた理由として賃金は生産性にインデックスして上がるという考え方を労使が基本的には共有していた(そして現在は経済危機下の雇用維持を優先することでその考え方が薄まった)ことを指摘されていて、それはそのとおりだと思うのですがやや表層的であり、その背後には雇用維持・労使協議・適正配分を旨とする生産性運動が(少なくともある時期からは)底流として存在したわけです。旧日経連が賃上げは「長期的に持続する」生産性向上の範囲内で、と主張していたのは、単に賃金が下方硬直的だからという理由だけではなく、やはり長期的関係を重視していたからではないでしょうか。
具体的にみても、山田先生も指摘されたように今回の賃金下落はまず非正規雇用比率の上昇、そして正規雇用においては賞与と時間外手当の大幅な減額によって調整されたわけです。これもわが国労使関係の特殊性といえるでしょうが、日本では組合員レベルまで広く、年間で月例賃金の数か月分という高額な、業績連動・利益配分的な賞与が支払われていますし、繁忙期には時間外労働を増やし・閑散期には減らすことで生産変動への対応が行われています。これは欧米諸国では見られないかまたは限定的なもので、そもそも欧米では賃金で調整しようにもできないのが実情です。したがって、賃金が下がった下がったというわけですが、こと欧米との比較においては、これらの部分についてはそもそも欧米では存在しない好業績・繁忙プレミアムが縮小・剥落しただけであってそれほど考慮する必要がないのではないかという考え方は、とりあえず人事管理の立場からは十分ありうるものです(もちろんそうではないという考え方もあり別途の議論です)。
ということで私はどうも有識者会議方式はうまくいかなかろうという感想なのですが、もう一つの低生産性分野から高生産性分野への移動についても似た疑問はあり、要するに低生産性分野の賃金が低く高生産性分野の賃金が高ければ自然に労働力の移動は起こるだろうといういつもの話です。もちろん賃金を上げて低生産性分野がますます低生産性になれば企業も撤退に踏み切るだろうという話もわかるのですが、労働者からしてみれば賃金が上がれば移動のインセンティブは低下します。よほど目に見えて生産性の高い分野があるならともかく、それがいまひとつはっきりしないのが現状の問題点なのですから(だから成長戦略とか一生懸命やっているわけで)、まあ両面があるのだろうなとは思います。山田先生は(一定の評価は与えつつも)スピード面で難があるとのご見解でしたが、やはり企業内部での移動で対応する(収益性が落ちた分野を当面継続しつつ縮小し、労働者を企業内で教育して新規分野に移動させる)方法にも優れた面(特に収入の荒っぽい増減がない)があるのではないでしょうか。これに関しては案外短期は損気というのが当たっているのかもしれません。
ということで意見は異なるのではありますが今回私としても山田先生の評価をあらためたところはあり、要するにいま言った「低生産性分野から高生産性分野への人材の円滑な移動が必要」ということで一貫しているということはわかりました。これ自体は多くの人が主張していることであり、私も方法論を別にすれば大きな異論があるわけでもありません。
そのうえで、アメリカは労働市場が柔軟だから移動が速くていいよねえというところからはじまり、いや能力開発が重要だからイギリスやドイツみたいなのがいいぞという話になり、今は「北欧諸国がいいんじゃないかと思って調べている」のだということ。なるほど、参照国をころころと変えても平気な理由がよくわかりました。比較法学者あたりからはそれでいいのかという声が聞こえてきそうですがまあシンクタンクの人ですし。ということでもう少しディスカッションが聞けるとよかったかなあと思いましたがまあ参加者の関心も多様なので致し方ないものと思います。
さて他のパネリストの報告も興味深い内容が多かったのですが今日は非常に長くなりましたのでまた後日に譲らせていただきたいと思います。