感情労働の報酬を上げるには

今日もまた日経新聞の連載特集「働きかたNext」を取り上げます。感情労働の話題なのですが、まずは引用しましょう。

 介護、保育など気配りがいる職場で働き手が足りない。心身に負担がかかる割に報酬は安いからだ。良質なサービスの手本とされた「スマイルゼロ円」は正しいのか。
 午前8時。長野の高級旅館「星のや軽井沢」…あるテーブルで母親が子供に食べさせ終えた。小林はさりげなく母親のご飯や味噌汁を温かいものに取り換え、子どもと遊び始める。宿泊料は一泊6万円程度で食事代は別。細やかな気配りが人気だ。
 ところ変わって川崎市介護施設アミーユレジデンス新川崎。小原朋子(55)は昼の約1時間、両脇に座る2人のお年寄りの口に交互にスプーンを運び続けた。
…気配りは高級旅館に勝るとも劣らない。だが運営会社メッセージの収入は入居者1人あたり1日1万〜1万6千円程度。職員の平均年収は350万円で自動車の平均480万円、大手銀行の510万円を大きく下回る。
 自分の感情を抑えて相手の気持ちに働きかける仕事を「感情労働」と呼ぶ。介護や保育、飲食などの接客業が典型だ。「嫌な思いをしても持ちこたえなければいけない重労働」(元日本赤十字看護大教授の武井麻子)だが、報酬は総じて安い。
 「命を預かる専門性の高い仕事なのに理解されていない」。保育所や幼稚園に勤めてきた吉永かおり(仮名、29)はため息をつく。いま週3日働く保育所の時給は900円。「自分の子どもの保育料で給料はほとんど消えてしまう」
 高齢者が増えると同時に、子育て世帯の支援が求められる時代。介護や保育の必要性は今後高まる一方だ。仕事の対価を上げて「感情労働」の担い手を確保しないと社会は回らなくなる。
 平均年齢58歳と働き手の高齢化が著しいタクシー業界。長野市の中央タクシーは給与水準が業界平均より1割高く、年齢も5歳若い。車いすも乗れるバンで迎えに行って桜を巡るツアーなど、他社にない新サービスで客単価を上げた。新卒社員は毎年入社してくる。
 「感情労働の対価を上げるには競争を通じた経営の高度化が必要」と大阪大教授の大竹文雄は指摘する。介護や保育も企業参入や経営再編などの競争促進策が事業の革新につながるはずだ。
 「スマイルゼロ円」はかつて日本マクドナルドが高らかに掲げたフレーズだ。それは同社が躍進していた時期の象徴でもあった。事業を革新して高くても選ばれるサービスを創り、担い手に報いる。それこそが「感情労働」の職場と働き手の笑顔を守る。(敬称略)
平成27年5月1日付日本経済新聞朝刊から)

あいかわらずの社会面ぶりですが、どうにも妙な記事なのもあいかわらずで、例によって乱暴かつ大雑把なまとめを試みますと、

  • 介護や保育、飲食などの接客業に典型的にみられる「感情労働」は、きつい仕事であるにもかかわらず報酬は総じて安い。
  • とはいえ、保育所の時給が900円であるいっぽう、給与水準が業界平均より1割高いタクシー会社や1泊6万円でも好評な高級旅館(たぶん従業員の報酬も高い)も存在する。
  • 今後必要性の高まる「感情労働」の対価を高めるためには競争促進策を通じて事業を革新して高くても売れるサービスを創るべき。

というところでしょうか。
ただまあ1泊6万円の高級旅館を引き合いに出されて「ほらこうすれば感情労働の対価が上がりますよ」と言われても「いやそんなこと言われてもねえ」で絶句するよりないわけです。
というのは記事も強調するように感情労働の必要性が高まるのは介護や保育の分野であり、その分野のユーザーで1晩6万円(食事別)の負担ができる人というのもまあ限られているだろうと思うわけです。もちろんいないわけではないのでそういう人を対象に至れり尽くせりのサービスを提供すれば1泊6万円かっぱげる可能性はあり、そういうところで働く人もまあ(相当のサービスを提供できる感情労働の高いスキルは求められますが)けっこうな報酬を得ることができるでしょうが、しかし大多数はそうは参らないわけです。
つまり少なくとも介護や保育の分野で感情労働の対価が上がりにくいのは圧倒的に利用者の支払能力の問題であり、事業革新とかいった事業者側の要因はあまり寄与しないと考えるべきでしょう。そもそも今現在にしてもすでに介護労働は不足が叫ばれているにもかかわらず賃金が上がりにくいことが問題視されており、そこで政権もあれやこれやと賃金を上げるためのカネをつけているわけで、そこで「高くても選ばれるサービス」とか唱えられてもほとんどの感情労働者には無縁の話だろうと思うわけです。もちろん大半のユーザーがアフォーダブルな価格で利用できるようなサービスでは至れり尽くせりとまではいかないのが当然としても、なお「気配りは高級旅館に勝るとも劣らない」「命を預かる専門性の高い仕事」ではあり、相当に気疲れのする感情労働ではあるに違いないので、価格が高くないからといってそこで働く人たちの報酬も高くなくて差支えないということにはならないだろうと思います。
ではどうすればという話ですが支払能力不足が問題であれば支払能力を高めるというのは自然な発想であり、記事にも「自分の子どもの保育料で給料はほとんど消えてしまう」とあるように、給料が上がれば払える保育料も増えるわけです。したがって民間も政府もまずは経済活動の活性化をはかり経済成長を実現して購買力を高めることが最重要といういつもの話になりますし、もちろん再分配で支払能力を高めることも重要な選択肢でしょう。
あとは介護保険のような公的支援ということになるわけですが(そういえば一時期育児保険という提案もあったように思いますがあれはどこに行ってしまったのでしょう。それほど悪いアイデアではないと思っていたのですが)、これはあちこちで議論されている問題ですが私に具体的な提案があるわけではなく、つまるところは誰かが負担しなければならないんだよという話であり、それが嫌だとか誰か別の人お願いしますと言っている間は報酬も上がりにくかろうとは思います。
なおここで大竹文雄先生が担ぎ出されていて正直最初はえっと目を疑ったわけですがここの書きぶりは非常に巧妙であり、再掲しますと

 平均年齢58歳と働き手の高齢化が著しいタクシー業界。長野市の中央タクシーは給与水準が業界平均より1割高く、年齢も5歳若い。車いすも乗れるバンで迎えに行って桜を巡るツアーなど、他社にない新サービスで客単価を上げた。新卒社員は毎年入社してくる。
 「感情労働の対価を上げるには競争を通じた経営の高度化が必要」と大阪大教授の大竹文雄は指摘する。介護や保育も企業参入や経営再編などの競争促進策が事業の革新につながるはずだ。

これをさらっと読むと大竹先生が「介護や保育も企業参入や経営再編などの競争促進策が事業の革新につながる」と言ったかのように読めてしまうところがなんとも巧妙で、しかし実際に大竹先生が言っているのは「競争を通じた経営の高度化が必要」(もちろんこれは言われたのだと思う)だけであり、それは直前のタクシー会社の事例などについてのコメントであって「介護や保育も」以下は記者の意見ですと説明できる文章になっているわけです。「感情労働の対価を上げるには」とあたかも一般論のような書き方をしているのもまあギリギリのところでウソではないとは言い張れるのかなあ。「こうした感情労働」としたほうがよかったんじゃないかとは思いますけどね。こういう書きぶりは私個人の感想としてはフェアじゃないねえとは思いますが、しかしまあ経済部長をやるような人(ような、であって誰とは言ってませんので為念)も似たような技巧を得意技として繰り出しているように見える(ように見える、だけですので為念)わけなのでまあ四の五のいうような話ではないのかもしれません。
さてこれは感情労働の話というよりは介護や保育の話であり、そこでの仕事がたまたま感情労働だということかもしれません。より一般的な、それこそ旅館とかタクシーとかであれば、それはまあ確かに高くても売れるサービスをしろというのは正論ではあるでしょう。気配りとか配慮とかスマイルとかもそれはサービスの一環であり、スマイルゼロ円は意気込みとしてはあるとしてもそれなりに価格に織り込まれていると考えるべきでしょう。美味いけれど無愛想なラーメン屋というのがあると思いますが、客は味や価格やその他もろもろを考え合わせてそれでも食べたいと思うなら行列するじゃないかというわけですね。あるいは味も価格もどこで食べてもたいして変わらないファストフードのようなコモディティなものであれば、だったら店員が笑顔で元気な店で食べた方が気分がいいという話もあるでしょう。それこそ至れり尽くせりのサービスに1泊6万円払ってもいいという人もいるわけですからね。
ただまあそう簡単ではないなと思うところもあり、そもそも感情労働と一口に言ってもその内実というかバリエーションは多様であって、「さりげなく母親のご飯や味噌汁を温かいものに取り換え、子どもと遊び始める」というのもたしかにその気遣いは立派なものであってうまくやるには相当の集中を要する神経をすりへらす労働であろうとは思いますが、しかしまあ理不尽・横暴・傍若無人な客の相手をするのに較べればまだしもというところもあるでしょう。でまあさきほどの介護ではありませんが1泊数千円の大衆的な旅館では「さりげなく母親のご飯や味噌汁を温かいものに取り換え、子どもと遊び始める」というサービスは望むべくもないでしょうが理不尽な客横暴な客傍若無人な客というのはやはりいるわけでしてね。つかそういう客は大衆的な旅館のほうが多いかもしらん。これは聞いた話なので本当かどうかは全然保証の限りではないのですが、支払能力ギリギリくらいの「高い買い物」でサービスを利用した人というのは期待が非常に高い分苦情もきつい傾向があるとか。本当かなあ。
まあ目に余るようなものであれば苦情処理の専門家が対処するでしょうしそういう専門職はそれなりの報酬を得ているだろうとは思うのですが、そもそもそこまで体制が整っていない職場も多いでしょうし、専門家がいたとしても程度によっては現場で対処しなければならないことも多いでしょう。そこまでいかなくても横柄な客威張る客というのはいるものであり、そういう客にもスマイルゼロ円で対応しなければならないというのもストレスの多い仕事だろうと思います。
ということでその分賃金が高くなればいいだろうという考え方もあるでしょうが、一方で感情労働の感情面での負荷を軽減しなければ解決にならないという職場や仕事もあるように思われるわけです。
しかしこれも容易ならざる話で、そもそも苦情が出ないような対応をすればいいというのが正論かもしれませんがご無理な話であり、しかし供給側が過当競争でサービス合戦になってそのご無理を追求し続けた結果、消費者にそれが当然だと思わせてしまったというのがことのいきさつなのかもしれません。「お客様は神様です」がキャッチフレーズの人気歌手というのがいたわけですがあの業界こそとんでもない過当競争であるわけで。
現実をみれば労働者としては感情労働に従事してストレスをためこんでいるその同じ人が客の立場に変わったとたんに王族かなにかのようにふるまい始めるというのも珍しい話ではないようですし、学校だろうが病院だろうがこっちがカネ払ってるんだからお客様であって満足いくような対応をするのが当然だろうみたいなモンスターな人もいるわけです。もはやある意味国民性というか文化みたいなものになってしまっているのかもしれず、だとするとこれをあらためるのはなかなか難しい話になりそうです。まあ結局は「文句あるなら来るな」「無愛想でもいい客だけ来てくれ」と言えるようなご商売をめざせという話かもしれませんが、学校や病院はそれも許されないわけですしねえ…。