労基署がやってくる!(3)

そろそろ次号も出る時期ではないかと思いますが、週刊ダイヤモンドの労基署特集、あと少しだけ残っていますのでもう一回だけ。

残った話題は監督官の昇進ルートと新しい労働時間制度の話ですが、前者については記事はこう指摘しています。

 かつて、労働基準監督署とやり合った経験のある大企業元人事部長は、「労務問題の現場を最も熟知しているのは、本省キャリアではなくて監督官だ」と言い切る。
 「警視庁刑事部捜査第一課長にノンキャリ警察官が就くのは、たたき上げじゃないと務まらないからだ。それぐらい現場に危機感がある。翻って監督官はどうだろうか」と疑問を投げ掛ける。
 現場を熟知している監督官が順調に上り詰めたとして、せいぜい、最高ポストは政令指定都市の労働局長クラスだ。厚生労働省本省の局長級はおろか、監督官を束ねる監督課長ポストもキャリアに押さえられている。
(pp.62-63)

もちろん局長も課長も現場のことを熟知していることが望ましいですし、キャリア・ノンキャリを問わず適材適所の人事が行われてほしいとも思いますが、それはそれとして「監督官を束ねる監督課長」とさらっと書かれてしまうと若干の違和感を覚えるところで、労働監督行政においても大臣を頂点に戴くピラミッド組織が編成されているのですが、その系統は大臣→労働基準局長→都道府県労働局長→監督署長となっていて形式上は監督課長が監督官を束ねる形にはなっていません。
もちろんデマケとしては労働基準局長のもとで監督課が実務を担うわけであり、厚生労働省組織令でも監督下の所掌事務として「労働条件、産業安全…、労働衛生及び労働者の保護に関する労働基準監督官の行う監督…並びに家内労働法 の規定に基づく労働基準監督官の行う監督に関すること。」と定められています(62条1号)。ただ、おそらくその業務は記事にもあるように運輸業を重点的な監督対象にするとか労働時間適正化月間には不払い残業の監督を重点的にやりましょうとか、あるいはそれこそブラックが疑われる企業の指導監督を重点的にやりましょうとかいった大方針を示すことと、その結果を集約し公表することではないかと思われ、いやもちろん歴代の監督課長さんたちは「自分は4,000人の監督官を束ねているのだ」という気概と責任感をもって従事されてきたことと思いますが、実情としては個別の労働基準監督署や監督官まで組織統制的・人事管理的に「束ねて」いるかはやや疑問のように思われます。むしろ、厚生労働省組織規則31条に定められている(この記事でも登場しておられますが)主任中央労働基準監察監督官が、現場叩き上げトップのひとりとして先任伍長的に監督官を「束ねて」おられるのではないかと想像します(あくまで想像です。事情をご承知の方、ご教示いただければ幸甚です)。
こんなことをグダグダと書いてきたのは霞が関と現場の監督署には適度な距離感というか、言い方が難しいのですがある程度「切れて」いることが望ましいという事情もあるのではないかと思われる(そして、私の根拠のない印象ですが実際にそうなっていると思われる)わけで、なぜかというとこの特集の座談会に出てくるこいう話があるからです。

監督官B まあ、事業主はいろんな所に相談へ行きますわ。縁のある議員事務所に相談したりとか。議員事務所としては霞が関に問い合わせをしたりするんでしょうかね。すると霞が関は、捜査状況を現場に聞いてくる。ただ、「手心を加えろ」なんて直接的な言葉があるわけでもないので、それを現場が圧力と捉えるかどうか。
田島 でも、心理的な圧力にはなりかねない。
(p.44)

当然ながらこのあと「そんな圧力には負けません」という話が続くわけですが、こういう圧力があっても正当な監督指導を実施できるよう、労働基準監督官を罷免するには労働基準監督官分限審査会を設置してその同意を得ることが必要とされるなど、その地位が強く保障されているのでしょう。日本も1953年に批准しているILOの1947年の労働監督条約(第81号)でも「監督官は、分限及び勤務条件について、身分の安定を保障され、政府の更迭と不当な外部からの影響に無関係である公務員でなければならない。」とされています。ほらここでも公務員と(ry
ただここでわざわざ正当な監督指導とボールドにしたのは当然そうでない監督指導というものがあるという含意であり、具体的には前々回のエントリで書いたような事例などがありますし、実際にそうかどうかはともかく指導に監督官の政治色を感じたと漏らす労務担当者もいないではありません。繰り返し書きますが監督官もまた玉石混交であるというのが実情であり、石についてはきちんと(例によっては厳正に)指導是正して質的な改善をはかっていただきたいわけです。その上では霞が関、監督課にがんばってもらいたいと思いますし、監督課長にはぜひとも手腕力量を発揮してほしいと思うわけで、そのときに監督課長が現場の実情をよく知る叩き上げがいいのか、現場との身内意識が比較的強くないキャリア官僚がいいのかは、まあ適材適所であり、そんなこんなを考えると監督課長がキャリア官僚であることが良くないと単純に言うことは難しいだろうと思います。というか不適切な監督指導をなくしてくれるならどちらでもいいというのが企業実務家の実感じゃないかなあ。私もうとっくに人事担当者じゃないからよくわかりませんが。
さて最後に「監督官が取り締まれない? 「新しい労働時間制度」の行方」というコラムでこう書かれているのですが、

厚労省は、労働基準監督行政をつかさどる立場からしても導入に反対だった。新制度がスタートすれば、法定労働時間規制の根拠を失い、現場の労働基準監督官が長時間労働を取り締まれなくなるからだ。…
 時間ではなく成果で評価される新制度に対して、現場の労働基準監督官の考え方は割れている。「最低労働条件を確保することにわれわれの存在意義があるが、時間規制にとらわれない働き方を望む労働者がいることも事実。今、最も注目している労働法制の動きだ」という。
 役所間の縄張り争いや、残業代の抑制にしか興味のない産業界に翻弄されることなく、労働者視点に立った労働時間規制改革が必要だ。
(p.62)

これは記者が思い込みで書いているのだと思いますが「現場の労働基準監督官が長時間労働を取り締まれなくなる」わけがないだろう。この検討の前提にあるのは今年改訂され閣議決定された「日本再興戦略」ですが、そこにははっきりと「健康確保…を図りつつ」と明記されているわけですから、当然健康確保のためのなんらかの規定は置かれることになります。それが労働基準法に置かれることもまず確実でしょうから、「長時間労働を取り締まれなくなる」こともまずなかろうと思われます(現行に較べたらやりにくくはなるのかもしれませんが。ただそれを言い出すと現行でも長時間労働そのものについては36協定の手続を満足していれば取り締まれない(割増賃金の未払いなどがあればそれは取り締まれますが)という話もあるわけですし)。ちなみに2007年当時の議論では4週4日・年104日の最低休日規制が罰則付きの強行法規として導入されることとなっていました。
まああれでしょうね、けろっと「残業代の抑制にしか興味のない産業界」とか書いているくらいですし、監督官からの取材以外は思い込みだけで書き飛ばしたコラムなんでしょうね。せっかくのいい特集なのに、最後にこれでは残念でしたという感じです。