RIETIシンポジウム(続き)

昨日の続きで9月6日のRIETIシンポジウムのご紹介と感想です。第1部の最後では、一橋大学川口大司先生が大竹先生と西村先生の報告にコメントされた後、ご自身による賃金格差の日米比較研究の結果を紹介されました。
それによると、まず日本におけるフルタイム男性25-59歳労働者の賃金格差は90パーセンタイル/10パーセンタイル、90/50、50/10のいずれをとっても過去20年ほとんど拡大していないのに対し、米国のそれは大幅に拡大していることが示されました。そして、米国の賃金格差の決定要因として、90/10、90/50については学歴(大卒プレミアム)でほとんどすべて説明できること、いっぽうで50/10の格差には大卒プレミアムの寄与はほとんどなく、これは50パーセンタイルの労働者には大卒者があまりいないことを反映していることを指摘されました。そして、この間日本の大卒者が増え続けており、それが日本における賃金格差拡大を抑制したと述べられました。米国の賃金格差と学歴の関係がここまで明確というのは少し驚きましたが、しかし米国においてはそれが公正と考えられているということでしょう。たしかに人的資本投資に見合ったリターンという意味ではひとつの合理なのかもしれません。
さて続いての第2部では慶応の樋口美雄先生がモデレータを務められ、前述の海老原氏、東大の佐藤博樹先生、日立製作所人財統括本部ダイバーシティ推進センタの神宮純緒部長代理、経済産業省経済産業政策局の奈須野太産業人材政策担当参事官によるパネルディスカッションとなりました。
こちらは私にとっては第1部のような目新しい話はあまりありませんでしたので簡単なご紹介でご容赦いただきたいと思いますが、まずはモデレーターの樋口先生からパネルのねらいと現下の雇用情勢、特に新卒/若年、女性、高年齢者について紹介されました。
佐藤先生からは「なぜ女性管理職が増えないのか?」という論点で、佐藤先生のご持論である「ワークライフバランス支援だけではなく、機会均等施策をともに強化することが重要」とのお話があり、特に初期キャリア(とりわけ初任配属先)が重要との指摘がありました。
神宮氏からは氏の勤務先である日立製作所におけるダイバーシティ施策の紹介がありました。余談になりますが「ダイバーシティ」「センタ」など語尾に音引(ー)をつけないのは技術系に多い記法で、技術者主導のメーカという意識の表れでしょうか。「人財」については、私はこの用字が好きではないことは繰り返し書いたとおりですが、同時に書いているとおり、個別企業がなんらかの意図や意思をもってこうした字をあてるのはご自由だとも思います。行政が使ってるのをみるとあーあと思いますけどね。
奈須野参事官からは、過去の労働法改正が、善意で行われたにもかかわらず所期のものとは異なる結果を招いたことが紹介され、私見として、自由な市場での分権的意思決定の尊重と労組・人材ビジネス等のエージェント機能の再評価により、成長を通じた憲法的価値の実現をはかるべきとの意見が表明されました。なお同省の事業である「キャリア教育アワード」「ダイバーシティ経営企業100選」についても紹介されました。
さてその後は採用・就職から女性労働、高年齢者雇用と、テーマにあるようにライフサイクルを通じた人的資本について議論され、限定正社員については鶴先生も参加されるなど充実した内容だったのだろうと思うのですが、私にとってはそれほど目新しい内容がなかったので、申し訳ありませんがあまり印象に残っていません。ただ、第1部の内容と関連して、佐藤博樹先生が労働時間について面白いコメントをされていましたので、若干の感想とあわせてご紹介しておきたいと思います。佐藤先生のお話は概略こんな感じのものでした。

海外のメーカーは、製造工程間に相当な中間在庫を持っている。ある工程がストップしても、その前工程は生産を続けて在庫を積みませばいいし、後工程は当面は中間在庫を使って生産を続行できて好都合だからだ。しかし、日本のメーカーは中間在庫を持とうとしない。一部のストップがすぐに全体のストップにつながるにもかかわらず、である。これはなぜか。
在庫がないと、問題が発生するとすぐにラインが止まる。どこに問題があるかが明らかになるから、そこですぐに対策を打てば、同じ問題は発生しなくなり、より効率が上がる。在庫を持つと、問題があっても明らかにならないから、問題点はいつまでも温存され、非効率な体質になる。
私はこれは労働時間についても同じだと思っており、残業を「時間在庫」と呼んでいる。残業をなるべく減らそう、なくそうとしている職場では、なにか問題点があれば残業が増えて、そこに問題があることが明らかになる。長時間残業が放置されている職場では、なにが問題なのかはっきりしないので、いつまでも生産性の低い長時間労働を続けることになる。こういう説明で「時間在庫」を極力減らすことの大切さを訴えると、特にメーカーでは納得してもらえることが多い。

これは興味深いご所論ではあるのですが、しかし私は聞いていて非常に違和感を感じました。はたして中間在庫に関する考え方が知的労働の世界にそのまま通用するものなのでしょうか。
私はこの議論は、どんな労働でも多かれ少なかれそうですが、とりわけある種の(すべてではないにせよ)ホワイトカラーの仕事においては、仕事に「勉強」としての側面があることを軽視しすぎではないかと思います。以前取り上げた「ていねいの呪縛」とも関連する話ですが、ホワイトカラーの仕事では、上司から仕事の目的や達成レベル、納期などについて包括的な指示を受けて、具体的な進め方などは相当程度労働者に任されているということは珍しくありません。このとき、動機はいろいろあるでしょうが、指示された目的以上、達成レベル以上の「仕事」をすることが往々にしてあります。当座の仕事には不要だけれど、興味があるし、知識を増やしておけばいずれ役立つかもしれないから調べておこうとか、指示された性能には到達したけれど、もう少し工夫するとさらに大幅に性能向上しそうだからやってみようとかいった話は、まあホワイトカラーやエンジニアの世界ではいくらでもあるでしょう。時間在庫説によればこうした残業に関しても問題ありとして対策を打つということになってしまい、むしろ人的資本の形成には逆効果のように思われます。
もちろん、ホワイトカラーの中にはここまでの裁量度や専門性がなく、時間在庫説が適用可能な程度に拘束的な仕事も多くあるだろうと思います。つまり、時間在庫説が成立するには、ある程度の裁量度と専門性がともなう仕事についてはエグゼンプトにすることをセットにすることが不可欠だろうと思います。逆にいえば、時間在庫説を適用するには、少なくとも残業時間をきちんと把握する必要があり、そして時間在庫の低減に対するインセンティブを企業に付与するためには時間割で時間外手当を支払わせる必要があるでしょう。きのうも書きましたが、海老原氏のいわゆる年収600万円のマイスターでも時間在庫説が成立するケースは多々あると思われ、そういう人までエグゼンプトにするのは適切ではありませんし、逆に将来の約束されたキャリア官僚のような人であれば入社2〜3年めくらいからエグゼンプトにしてもいいのでしょう。海老原氏の主張される年間労働日の上限規制や勤務間インターバル規制も、同様の観点から、その適用範囲は抑制的に考えられる必要があると思います。
あとまあこれはまだ私自身が十分に考察できていないので、もう少し考えてから議論したいと思っているのですが、たしかに持続困難に陥りつつあるかもしれませんが、しかし現状のしくみというのは政府や経団連が決めたものではなく、労使で作り上げてきたものだということがほとんど考慮されていないのはいいのかどうか、という印象は持ちました。スローキャリアも年間労働日数上限もいいかもしれませんが、それって国民が望んでいることなのでしょうか。たとえば上述した米国のような大卒プレミアムで賃金格差が規定される社会は日本国民に受け入れられるのでしょうか。
まあ持続不可能なのだから漸進的にやっていくしかない(というのが各論者の主張だろうと思いますが)ということかもしれませんが、抽象論・べき論に傾きがちなナショナルセンターではなく、現場の個別労使による議論の積み上げを重視する必要は少なくともあるのではないか、と現時点では思っています。よく考えてみたいと思います。