RIETI政策シンポジウム

一昨日開催されたRIETI政策シンポジウム「人的資本・人材改革」を聴講してまいりました。学習院の高年齢者雇用のシンポジウムに行こうかと考えていたところ鶴先生からお誘いをいただきましたので方針を変更しました。テーマは「ライフ・サイクルを通じた教育・能力開発のあり方を考える」というもので、第1部の報告は就学前から就労まで、第2部のパネルは女性労働にかなりのウェイトがありましたが一応就職から高年齢者雇用までカバーして、全体で「ライフ・サイクルを通じた」議論になるという設計だったようです。
http://www.rieti.go.jp/jp/events/13090601/info.html
最初にこのシンポジウム(というか、RIETIのこのプロジェクト)をプロデュースしている慶応の鶴光太郎先生から包括的な論点整理と問題提起がありました。内容は多岐にわたり、かつ以降の報告・パネルと重複する部分も多かった(まあ全体総括だから当然ですが)のでご紹介は後に譲るとして、目をひいたのは「企業内OJTの再評価」に触れられた部分で、現状は企業特殊的熟練や企業内OJTが軽視されすぎたと指摘し、「OJTはOff-JTより効果的」であり「上司・先輩から部下・後輩への指導はいつの時代でも重要」と述べられました。さらに「「未来」が開かれた働き方」を強調され、どのような未来が待っているのかが明確で、多様な従業員が辛抱強く努力していける働き方、ある時点だけではなく、将来の処遇とセットにされた、長期的な能力開発へのコミットメントが重要であると指摘されました。たいへんに同感なのですが、しかし昨今また一部で流行している流動化論とは(理念はどうあれ少なくとも現実的には)かなり相容れないものであるとも感じました。
その後は鶴先生ご自身による調査の結果がいくつか報告されました。「小学校〜高等学校までの環境の大学進学、正社員経験、賃金などへの影響」に関する研究では、まず家庭環境については両親の学歴については大学進学には父母ともに相関するのに対し、正社員と賃金には母親の学歴のみ有意となっている、暮らし向きのよさは大学進学のみに相関するいっぽうで両親の共働きは進学、正社員、賃金のすべてにマイナスに相関していること、蔵書の豊かな環境は進学と賃金にプラス、正社員はマイナスの相関があることが示されました。能力面では、15歳時の成績は進学、正社員、賃金のすべてに強く相関しており、高校における勤勉さは進学と正社員にプラス、内向性を示す「一人遊び・室内遊び傾向」は進学にプラスで正社員・賃金にマイナス、生徒会活動やリーダー経験は学歴と賃金にプラス、運動部は正社員と賃金にプラス、文化部は正社員にマイナスという結果が出ており、正規の職につくには特に体育会系を含む外向性が重要であると結論づけられました。
また、正社員の幸福度分析においては、残業がなく、業務範囲が広く、スキルを高める機会がある正社員ほど幸福度が高く、また、業務範囲が広いとスキルアップの機会が多くなることも観察されたいっぽう、配置転換や転勤には有意な相関はなく、期限の決まったプロジェクト的な仕事であることも相関ないとのことで、昨今議論されている限定正社員については残業の少ない限定正社員の普及は正社員の幸福度を高める可能性があるいっぽう、職務限定正社員についてはキャリア形成が期待できるしくみづくりが必要という含意が示されました。
続いて阪大の大竹文雄先生が非認知能力と学歴・賃金・昇進と題して報告されました。まずヘックマンらの先行研究の成果が報告され、高所得や社会的成功には知能検査などで測定できる認知能力と、根性、忍耐、意欲といった非認知能力の双方が重要であり、非認知能力の発達には就学前教育による介入が必要であるとの結論が紹介されました。
それに続けて、大竹先生らが日本で実施した研究の結果、日米で興味深い差異がみられたことが報告されました。Big5(Extraversion, Emotional Stability, Openness to Experiences, Concientiousness, Agreeableness)および平等主義、自信・自信過剰、危険回避、時間割引といった行動特性が学歴、賃金、昇進にどのように相関するかを調査したところ、学歴に対しては情緒安定性と経験の開放性がプラスに有意なのは日米共通ですが、協調性については日本で正、米国で負の相関がありました。賃金については外向性、勤勉性、情緒安定性がプラスに働く傾向があることは日米共通ですが、協調性はやはり日本で正、米国で負となっていました。昇進についても日本は外向性、協調性、勤勉性がプラスに有意でしたが、米国では外向性のみがプラスに有意となっていました。このあたり、組織管理などに関する日米の違いが反映されているのかもしれません。
大竹先生からはもうひとつ「隠れたカリキュラムが経済的・社会的選好と所得に与える影響」に関する研究成果も報告されました。「隠れたカリキュラム」とは、学習指導要領などに明示された教育課程ではなく、「始業前に読書の時間があった」「薪を背負って本を読んでいる銅像があった」「夏休み中の8月6日または8月9日が登校日だった」「出席簿が男女で分かれていた」「9月1日に防災訓練をした」「運動会で徒競走がなかった」といった児童生徒に影響をおよぼす学校の活動のことのようで、こうした19の「隠れたカリキュラム」を「左翼的政治思想」「主体的・参加的学習」「非競争主義」「勤勉思想」「人権・平和思想」の5つの因子に分解し、その有無が再分配政策や規制緩和市場経済といったものに対する意識にどのように相関するか、信頼性、互恵性、報復性の形成への影響を通じて賃金、昇進、正規雇用などにどう相関するかを調べています。
結果を見ますと、これら教育の実践には地域差が非常に大きくそれだけでも興味深いのですが、それはそれとして「左翼的政治思想」教育の効果は労働組合を必要と考えること以外に有意な結果はなく、そういうの(日の丸君が代とかな)を一生懸命やっている学校とか教員とかいうのがいるのではないかと思うのですがあまり効果はないということのようです。
これに対して「主体的・参加型学習」は多くの有意な結果が出ており、市場経済や競争に賛成する、利他的、協働に積極的、愛国心互恵性にいずれもプラスの相関が出ています。「非競争主義」はなぜか救貧再分配や累進課税社会保障労働組合、利他性、互恵性などに軒並みマイナスで有意になっているのですがこれはこの手の教育(徒競走で順位をつけないとかだな)を推進している人たちにはいいことなのかしら。愛国心がマイナスなのは彼らにはいいんでしょうけど。
「勤勉思想」は救貧、社会保障規制緩和市場経済、利他、信用、愛国、互恵といったものにプラスで有意になっている一方、報復性でもプラスで有意になっているのはまあそうかなというところでしょうか。「人権・平和思想」は比較的有意な結果が少ないのですが、市場経済、競争、労働組合、協働、愛国心、互恵でプラスになっていて、この手の教育(修学旅行で広島や長崎に行くとかですね)はそういうものに相関するらしい。ふむ。
ちなみに労働市場との関係においては信頼性、互恵性、報復性といったものとは目立った相関はなく、最小二乗法による推計では信頼性と賃金、正規雇用と相関がみられるのに対し2段階推計すると賃金との相関が消えて、どうやら賃金が高いから信頼性が上がるという残念な?因果関係が推定できるとのことです。また、互恵性のある人は管理職になりにくいという、これもまあそうかなあどうなのかなあどんなものなのかなあという結果です。いずれにしてもこの研究はまだ分析途上とのことですので、近いうちに日本労働研究雑誌あたりに面白い論文が載るのではないかと大いに期待できそうです。
続いては『分数ができない大学生』の西村和雄先生による報告で、大学の同窓会名簿を利用して、受験科目と年収との関係を調べたという非常に面白いものでした。共通一次試験がスタートした1983年以降、受験科目で数学と社会の選択が可能な次第文系の入学試験(英国数または英国社の選択とかですね)において、選択した科目と年収との関係をみると、数学選択が748万円、社会選択が641万円という大差がついているそうです。理系と文系の比較においても、文系のほうが高収入なことが理系離れの一因という通説にもかかわらず、文系583万円に対して理系681万円という結果が出ており、文系の多数が都銀、生損保、証券大企業といった高賃金企業に就職するいっぽうで理系は製造業が中心というトップクラス大学のイメージで語られているのではないかとの見解が示されました。
また、理系の中でも、物理が得意な人は生物が得意な人に比べて相当賃金が高い(681万円と549万円)とか、学力試験を受けて入学した人と面接などのAO入試で入学した人とではやはり相当額の収入格差があるなど、まあそうだろうなあとは思う一方やっぱりそうだったのか的な面白い結果が次々と示されました。なんでも企業によっては付属高校から無試験で進学した学生は採用しないという方針のところもあるのだとか。
ということで西村先生は正社員就職したかったら理系で学びましょう、特に物理が得意だとつぶしがききますよ、といった結論ではなかったかと思います。ただまあこれはその後に川口大司先生もコメントされたのですが、数学が苦手な高校生が数学に力を入れると将来が開けるか?数学や物理の能力が職業能力として役立っているのであれば(だろうと思うのですが)もちろん数学に力を入れることは何もしないよりは役立つに違いないでしょう。しかし、数学や物理が得意になるような別途の資質のようなものがあるのであれば(これもあるのだろうと思うのですが)、残念ながらそれが乏しく、でも(どちらかといえば)国語や社会は得意です、という高校生は、数学を頑張るよりは得意科目を頑張ったほうが効率的というか、高校生自身にとっても将来が開けるのではないか、という一種の比較優位のような考え方もありうるのではないかと思ったわけです。これについては西村先生も現時点でわかっているのはここまで、という回答をされていたと思います。
続いてリクルートキャリアフェローでニッチモ代表取締役海老原嗣生さんが報告され、鶴先生の期待はあるいは就職のところだったのではないかと推測(根拠なし)したのですが、内容は「日本型雇用の綻びを、エグゼンプションで補う試案」というものでした。日本型賃金においては、部長クラスまで上り詰める人は最終的に相当の高給になるものの、まあ見合っている一方、すでに3割程度を占めている係長(以下)どまりの人でもけっこうな(年収800万円)賃金を受けており、こちらの人たちはその時点では見合っていないから退職圧力が強まるし転職しようにも流動性がない。いっぽうで若年未経験者の採用・育成やモチベーション維持などの面のメリットも大きい。そこで、
1)新卒入社10年め程度までは従来の年功的一律管理・内部育成を行う
2)ある程度熟練した段階で「マイスター/上級マイスター」という非管理職専門職層に上がり、そこからの昇格条件は厳しくする。
3)そこを突破した少数の人はマネージャー、ゼネラルマネージャーへの道を進むが、そうでない人は「マイスター/上級マイスター」にとどまり、欧米ノンエリートのようなワークライフバランス的働き方に移行する。
4)「マイスター/上級マイスター」は時間管理のないエグゼンプトとし、年収は市場価格である600万円程度とする(海老原氏によればホワイトカラーの転職相場は「6当7落、600円なら転職先がみつかるが700万円だとみつからない)とのこと。
5)管理職をふくむエグゼンプトについては働きすぎ防止のために労働時間規制ではなく年間労働日数や勤務間インターバル規制を導入する。
というしくみへの移行を提案され、具体的な移行措置の案まで示されました。
大枠としてはこのブログでも繰り返し書いてきたファストキャリアとスローキャリアの組み合わせということで、実際に方向性としてはそちらだろうと私も思います。
ただし、これはパネルとの議論に関係してあとで書こうと思いますが、やはり労働日数や勤務間インターバルの上限規制に関しては、全否定はしないというかある部分は積極的に肯定しますが、しかしやはり疑問が大きい。これは明日以降書きます。
それから、年収600万円のマイスターがエグゼンプトというのは、やや労働者保護に欠ける感があるのではないか。まあ私も漠然とエグゼンプトの年収要件は700万円くらいかなと思っているので大差ないといえば大差ありませんし、それが労働市場の実態だというのは海老原さんご指摘のとおりなのでしょう。ただまあ600万円を実現する方法としてはエグゼンプションだけではなく、基本給+残業代で結果的に600万円になるように基本給をセットするという方法もあるのではないかと思うわけです。こちらのルートがワークライフバランスを指向するのであれば、むしろ時間外労働はカウントしてしかるべく買うべきでしょう。
さてこのあとは一橋の川口先生による報告とコメント、さらに第2部のパネルディスカッションとなったのですが、例によって長くなってきたので明日以降に続きます。