玄田有史先生の「創造的安息(Creative Rest)」(4)

きのうの続きです。もう一回だけ。
玄田有史先生の「創造的安息(Creative Rest)」
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130415#p1
玄田有史先生の「創造的安息(Creative Rest)」(2)
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130419#p1
玄田有史先生の「創造的安息(Creative Rest)」(3)
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20130430#p1
昨日書いた、もう一つ私が面白いなと思ったのがこの質問とそれに対する先生方のご回答です。

…何が優先順位で上なのか、皆さんで意見が分かれているという話がありましたが、僕が聞く限りにおいて一致していると思ったのは、労働時間と労働時間の間の休息時間を義務化するということが皆さん一致して、もしこの場のパネリストの方々が審議会か何かをつくって政府に提言するとしたら、政策としては一致できるのではないかなと思いました。…あと、いま40歳定年制というのが言われていますが、それについての皆さんのスタンスをなんとなく伺いたいなと思いました。
(玄田編前掲書、pp.100-101)

これに対する先生方の回答はこうでした。まず水町先生は40歳定年にはノーコメントで、勤務間インタバルについてはこう答えられました。

水町 …勤務間インターバル制度というのは、ヨーロッパで既に導入されているもので、とくに日本のこういう実態だからこそ、日本でも重要だと思います。ただ、休息時間を11時間に設定するのか、もっと日本の現場で現実的に可能なラインから少しずつ設定して上にあげていくか、そのラインの設定の仕方についても違反したら罰則を課すというほうにするのか、それとも、こういういい取り組みを先端的にやっていくところについては、きびだんごを与えて促していくという方法にするのか、幾つかの政策的な選択肢があります。方向としては、ある程度共有できるときにどういう政策にするかを考えていけば、日本でも大変重要な取り組みかなと思います。
(玄田編前掲書、p.101)

重要だけれど11時間や強行法規化は時期尚早ということでまあ現実的な模範解答なのですが、「ある程度共有できるときに」というところに退路が確保されているなという感はあります。中村先生は勤務間インタバル・40歳定年ともにノーコメントで、佐藤先生はこう発言されました。

佐藤 …僕は40歳定年反対です。ただ65歳定年となったときに、中村圭介先生が言われたように、キャリアの節目、節目で、本人がこれからどうしていくかということを考える機会を会社がつくる。40歳定年も、そういう意味で言われている限りにおいては僕も賛成ですけれども、事実上、その言葉通りであれば反対ということです。つまり、22歳で入って65歳まで43年ですよね。43年間通えば、会社は変わっちゃいますよ。会社の事業なり仕事が変わるわけですから、そうすると本人が望むような仕事があるかどうか、あるいはその変化について行けるかどうかを考えたときに、いわゆる15年単位ぐらいで見ていって、「こう変われば、自分はこういうことを勉強していく」とか、あるいは他の会社に移る──追い出すという意味ではないですよ、そういうことを選択して、結果的に65歳までやる。ある人は途中から移って、別の会社で65歳まで行くというふうな仕組みにしないと、なかなか難しいかなと思います。
 もう一つインターバルの休憩、僕は一律には反対です。仕事によって相当違うだろうと。我々にとってもそんなこと言われたら困ると思うので、やっぱり仕事なりに応じてということです。僕は、1週間単位で縛るとか何かあってもいいと思うので、研究者なんかでは反対じゃないかなと思うので、「もう少し休む時間をとる」ということは大事だと思いますが、その取り方を一律のルールでやるのは反対です。
(玄田編前掲書、p.102)

40歳定年については、技能の陳腐化は相当程度不可避であって対応が必要だが、同一企業に勤続する中で対応するのか転職を通じて対応するのかは労働者の選択だとのご見解で、「追い出すという意味ではないですよ」という一言にはこれを口実に追い出しが実現するとうれしい人たち(たぶん経営者とかではなくて一部の評論家とか)への警戒感が表明されているのでしょう。勤務間インタバルに関してはなかなか率直ですね。
さて白波瀬先生もノーコメントで、hamachan先生は勤務間インタバルに関してこんなことを発言されました。40歳定年はノーコメントですが、ある意味前に引用した部分に含まれているということかもしれません。

…休息時間の話は、多分私が騒ぎ出した一人じゃないかなと思うので、少なくともそういうことで何らかの方向性が出るのだったらいいなと。この玄田先生の話の「具体的な方策」のなかで、「制度的には時間外割り増し賃金の検討や」というのが入っているんですが、これが入るが故に話が難しくなる。私は個人的には、こんなのはやめたほうがいい。むしろ罰金制度にしたほうがいいかもしれないと思っていますが、だけど今までの労働時間の議論は常に割賃の話でしかなくて、割賃の話にすると、とくに中小企業は「そんなことに耐えられない」という、まったくもっともな議論になって、まったくもっともな議論であるが故に、結局話が全然進まない。だったら一旦チャラにして、お金の話と一旦切り離したところでやったほうがいいという、ある意味で戦略的な意図を込めて休息時間という話をしております。
(玄田編前掲書、p.103)

この「労働時間の話を(割増)賃金の話と切り離そう」というのはhamachan先生のご持論ですが、ここで中小企業が持たないというのがもっともな議論だとすると、インタバル規制も中小は適用除外というご趣旨でしょうか。もちろんありうべき・かつ現実的な提案だと思いますし、個別労使の取り組みを先行させれば大企業からの導入になるだろうとも思います。
黒田先生は勤務間インタバルについてはノーコメントで、40歳定年については反対を表明されました。

…40歳定年制の話ですが、私自身は反対です。何故かというと、人々は40歳以降をどのように生きていくかということを考えるわけですけれども、いまのところに残れないとしたら、自分を買ってくれる企業を他に探していかなければいけないわけですね。いまのところに残れるかどうかを考える上では、自分よりも下の人たちがライバルになるわけです。そうすると、自分が残る選択肢をさせてもらうためには、自分より能力の低い人を採用するというインセンティブが働く可能性があると思います。そういう意味では、私は20代に試用期間を長くもつほうがいいんじゃないかなと考えています。
(玄田編前掲書、p.104)

ということで、勤務間インタバルについては水町先生やhamachan先生はそれなりにプッシュしておられたわけですが、質問者の方が期待した方向ではぜんぜん一致してないという結論でよろしかろうと思います。私が推測するに、ノーコメントの先生まで含めて一致点があったとすれば、それは佐藤先生が率直に表明されたとおりやってもいいけど私は困りますという一点ではないでしょうか。
以下は愚痴というか恨み節になりますが、学界や労働関係の研究会などで労働時間規制の議論に参加する研究者や行政関係者などに例外なく共通するように思われるのは、(新)自由主義者の論者であれ社会(民主)主義の論者であれ、「自分たちは労働時間規制の例外だ」という認識では一致しているという点です(いや1日8時間週40時間、36協定を締結して月間45時間年間360時間を上回る時間外労働はいたしませんと言う大学教員やキャリア官僚の方がおられたらぜひお目にかかりたく存じます)。もちろん私も皆様が例外であることに異論があるわけではなく、実際問題、2008年に文科省が実施した「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」によれば、学部教員の年間労働時間は2,920時間(!)ということで、かなりの長時間労働という評価でよろしかろうと思うのですが、これに対する先生方のご不満の主流は「労働時間が長い」ではなく「教育とか学務とかが多すぎて研究時間が短くなっている」というものなのだそうで、まことに頭の下がる勤勉さであると申せましょう(たぶんキャリア官僚の皆様も類似の状況にあると推測)。
とはいえ先生方から「年間総労働時間は1,800時間にせねばならぬ」と言われているわれわれとしては、いや神聖なる研究活動に労働時間規制など論外というご趣旨に反対するつもりはありませんが、しかし新技術・新商品の研究・開発や経営企画、経営管理などに従事している人についても多少は大目にみていただいてもよろしいのではないかと思うわけです。もちろん仕事のすべてが研究開発や企画かと言われればそのとおりですが、それは先生方にしても同じはずで、いや今や国立大学も法人化して労働基準法が適用されるようになり、先生方はおそらくは裁量労働制で2,920時間を正当化しておられるのだと思いますが、しかし学務が忙しすぎると文句を言っている人に裁量労働制を適用できるのかという点には疑問を呈さざるを得ません。
つまるところ(一般化は無理であることは承知で申し上げますが)、労働時間規制を議論する研究者やキャリア官僚といった人々には「思う存分働けるのは限られたエリートにだけ許された特権」という発想が根強く存在し(研究者かつキャリア官僚のhamachan先生はその典型)、かつその特権階級の範囲は極力限定されるべき、つまり民間企業の労働者などは危ないから一律に厳しく規制しておけ、と考えているように思えてなりません。もちろんhamachan先生が指摘されるとおり大陸欧州などではむしろそれが当たり前なわけで、大げさに言えば国民がどんな社会を望むかという話だろうというのはきのう書いたとおりなのですが。
とはいえ、これもきのうの繰り返しではあるのですが、やはり自分の仕事は時間の切り売りではないと考えている人(自分が考えている人であって企業やら他人やらがどう考えるかは別問題(であって無関係ではない))については、危ないからダメという発想を先行させることなく、ある程度自由に働けるようにしてほしいと私は思います。具体的には数年前に頓挫した日本版ホワイトカラー・エグゼンプションであり、あるいは企画型裁量労働制規制緩和といった話であるわけですが、勤務間インタバルに関しても同様だと私は思います。これについては長距離運転手にはすでに同種の規制があるわけですし、交代制勤務の職場などでもむしろ望ましい規制だろうと思いますので、労使の話し合いで導入するのはよろしかろうと思いますし、これが一定の広がりを見せてきた段階では法制化も全否定するものではありません。とはいえ、そこはぜひとも一律ではなく、実態に応じて例外を柔軟かつ幅広に認める方向で考えてほしいものだと思います。

  • でまあ労契法の有期5年上限規制については早速「大学は例外にしろ」という話が学界から上がっているようですが、しかし大学だけでなくいろいろな場面で類似の問題はありますよということにもぜひ目を向けてほしいものです。

なお40歳定年については2人の先生からコメントがありましたがともに反対ということで、これは質問者の意図にかなったのではないかと思います。まあ労働研究者であればそういう結論になるのが妥当でしょう。