40歳定年説があまりにもひどすぎる件(続き)

ということで昨日の続きです。40歳定年説の理屈の筋が通っていない件についていくつか書きます。元ネタはこちらです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120910/236616/
早速ですが少し引用が長くなりますが、たとえば、

 雇用の多様化の実現が肝要となる。今は、極端な2つの雇用形態しかない状態だ。つまり、「非正規雇用」で、せいぜい3年とか5年ほどしか会社にいられない人と、期限の定めのない「正規雇用」で働いている人の2種類となる。安心を得たければ、後者の正社員になるしかない。ひとたび、そこからドロップアウトしてしまうと、非正規雇用の繰り返しでやっていくしかなくなる。それでは柔軟な働き方は実現しない。
 女性で言えば、企業は育児休業などを認めているが、10年レベルの長期休業が認められているところは少ない。子育てを終えて、元いた会社で働き直すということは現実的には難しいようだ。
 また、男性でも、親の介護が必要な局面になると、先が見えない状況に追い込まれ、それが原因で会社を辞めなければならない状況に追い込まれる人が多い。バリバリ活躍していたにも関わらず、介護が原因で辞め、その後、同じ会社に復帰したくても、会社の制度上できない。
 若者の雇用形態も硬直化している。最近の大学生は、20代はNPO特定非営利活動法人)をやってみたい、ベンチャーを立ち上げたいという人が増えている。しかし、新卒採用時のタイミングで入社しなければ、その後、正社員になるのは難しい雇用のあり方が続いている社会では、NPOといった違う道に入ることを躊躇している。中途採用での正社員採用も、制度上はあるが、年齢制限があったり、全くジャンルの異なる仕事からの転職は難しい。
 多様な働き方ができるような仕組みにするためには、この「非正規雇用」「正規雇用」の2つの両極端な制度を変革する必要がある。そのためのロジカルな方法は、期限を定めない契約、つまり従来の正規採用をやめてしまい、アメリカ流の雇用形態、つまり「有期契約」にすることだ。

ここでも「柔軟な働き方」「多様な働き方」と用語の不一致が見られます(使い分けているかもしれませんが)し、「柔軟な働き方」はここで書かれているような意味であるとすると一般的な用法とはやや異なりますがまあ些細な問題でしょう。育児や介護のために10年とかの長期間仕事をやめた後に元の企業に復職するとか、20代をNPOで過ごした後で正社員入社するとか、現実にはかなりの例があるのではないかと思うのですが、まあ少数派ではあるでしょうし、こうした働き方が拡大することが好ましいことには賛同します。そのために「両極端な制度を変革する」ことが必要であることもだいたい同意できます。しかし、その具体論として「期間を定めない契約を…やめてしまい、…「有期契約」にすること」が「ロジカルな方法」だ、というのはにわかには理解できないものがあります。ここで例示されているような「多様な働き方」を実現するためには10年程度の休職の制度化と30代の中途採用の実施で足りるはずであり、これがよりロジカルな方法でしょう。
これはこの主張に限らないのですが、往々にして「多様な働き方のために現行の両極端な制度を変革する」と言いながら、よく聞いてみるとこうした正規の非正規化であったり、逆に非正規を禁止して全員正規化しろとの主張であったりして、「多様な働き方」を標榜しながら実際には画一化の主張になってしまっているという自己矛盾はあちこちで見受けられるように思います。
それから、

 この「40歳定年説」を提唱したい。この考えは、75歳になっても、80歳になっても、元気であるうちはいつまでも働き続けるためのものだ。
 つまり、高齢者の雇用が可能になる。55歳で就職し、20年契約だったら、75歳まで働くことができる。むしろ、それくらいの年齢の場合は、ひょっとして30年契約でもいいのかもしれない。
 よく、「60歳や70歳の人が、役に立つのか」という質問を受ける。しかし、よく考えて見れば、20代で就職し、1つの会社に50年も60年もいることよりも、50歳から20年間働くということの方が、むしろ健全だと思えるのではないか。

55歳の人と30年契約する度胸のある人事部長がいたら一人でいいから連れてきてください。いやもちろんこの人がデザインした商品は絶対ヒットするというデザイナーとか、それこそ柳川先生もあとから述べておられるようなノーベル賞クラスの学者であればそれはあり得るかもしれません。繰り返し書いているように労働条件というのはパッケージなのでとりあえず今後5年の成果を確保できるなら30年分のオファーをしてもかまわないという判断は当然ありえます(実際、米国の一流プロスポーツ選手にはとても現役続行していないだろうと思われるような年齢に達するまでの長期契約をする例があるそうですが、他所に行かれるよりは足止めしておきたいということでしょう)。まあ雇用契約でなくても、競業避止とセットで高額の年金を約束するという契約だってあり得るわけですし。いずれにしてもごく例外的なケースであって柳川先生が前に書かれているように一般論として「労使で合意」できるたぐいの話ではないでしょう。
「20代で就職し、1つの会社に50年も60年もいることよりも、50歳から20年間働くということの方が、むしろ健全だと思えるのではないか」というのが「「60歳や70歳の人が、役に立つのか」という質問」への回答になっているというのもロジカルすぎて私には理解不能です。また、「20代で就職し、1つの会社に50年も60年もいる」という人は、その時点で70歳から89歳ということでしょうから、かなり例外的な存在であり、まあ学部を卒業して入社してたたき上げ、社長・会長を歴任した72歳の相談役、という人はそれなりの数いらっしゃると思うのですが(いやそのくらいしか「1つの会社に50年も60年も」というのが思いつかないのです)、そういう人と(たぶん40歳で「定年退職」して49歳まで「学び直し」して)「50歳から20年間働」いた人とを「どちらが健全か」比較することは無意味なように思われますし、それを40歳定年の是非と関係付けることも無理が大きすぎるように思われます。
これらは結局のところ、長期雇用で60歳定年まで就労してしまうとその後70歳、80歳まで就労することが難しいが、40歳定年で退職して/退職させて「学び直し」をすれば70歳、80歳まで働けるようになるという根拠のない決め付けを前提に議論している(またはその根拠づけに失敗している)ことに根本的な問題があるように思われます。
もちろん「学び直し」自体を否定する意図はありませんが、しかし40歳でキャリアを中断することで失われる「学び」もあることには十分な注意が必要です。せっかく20年前後の間経験や知識を積み重ねて熟練度を高めてきたのに、40歳でリセット、というのは非常にもったいない話だろうと思います。そこでの損失にはまったく配慮することなく、「学び直し」の利点のみを強調するのは、きわめて一面的な破綻した論理と申し上げざるを得ません。
一応これに対してはこういうエクスキューズが準備されてはいるのですが、

…大事なことは、大学も変わらないといけないということ。大学や大学院が、在学中のカリキュラムをきちんとこなせば、特定の産業で確実に就職ができるというような実践的な教育の仕組みを作るべきだ。
 例えば、「○○大学観光学部」と言っても、「観光産業の歴史」とか、「観光文化論」などの理論講義ばかりで、実践的ではない。それを否定しないが、その学部を出ても観光業界に就職できている学生は一部だ。
 例えば、アメリカでいえば、有名なコーネル大学の「ホテル学」は、日本の大学に比べてはるかに実践的で、社会に出てから役立つ学問を教えている。そういう実践的なカリキュラムを、少子高齢化で経営難に喘いでいる地方大学でやればいいと思う。そこで学ぶのは若者ではない。40歳くらいの再就職希望者を対象にする。

いや大学が儲かって結構ですねなどという戯言はともかく、本当に変わってから言ってくれとはいいたくなるかなあ。「在学中のカリキュラムをきちんとこなせば、特定の産業で確実に就職ができるというような実践的な教育の仕組み」が作れるものなら作ってください。大学がきちんと実践的な教育をしたのに採用されないのは採用しない企業がけしからん、なんて理屈は、さすがに経済学者は振り回さないと信じます
なお余計なことながら、私はコーネルのホテル学専攻の就職実績が優れている(のだと思いますが)のはコーネルで学ぶような優れた人材だからだと思うなあ。柳川先生は「少子高齢化で経営難に喘いでいる地方大学で」「40歳くらいの再就職希望者を対象に」コーネルと同じカリキュラムをやれば、コーネルと同じような就職実績が上がるとお考えなのでしょうか。採用しない企業が悪いという理屈はダメですよ。いくら仕組みが優れていたって労働需要がなければ…という話は後述。なおもちろん「働きながら学ぶ」とかリカレント教育の重要性や有用性を否定するものではありませんので為念。
あと、

 現役時代のホワイトカラーやブルーカラーの概念も壊していくことが肝要だ。自分はホワイトカラーを何十年やってきたから、ブルーカラーはできないとか、そういうプライドは取り払う必要がある。
 「俺は1部上場会社の部長までやったんだから、今更、農業なんかできるか」とか、「部下が何人しかいないような中小企業では働けない」とか、そんな考えは変えていかねばならない。

ここに端的に現れているように思われますが、この文章全体から受ける印象として「70歳、80歳まで働ける」ではなく「70歳、80歳まで働かなければならない」という主張がされているように思われます。まあ、そもそも文章のタイトルが「社会保障を根底から変える「40歳定年制」」ですし、冒頭部分で「このまま社会の制度を放置すれば、財政破綻への道を突き進んでしまう」という記述もありますので、福祉も再分配も最小限にとどめるべきとの小さな政府論を前提に、70歳だろうが80歳だろうが明日のパンのために働けという議論を展開されているのかもしれません。なるほど、それを実現するには40歳定年でいったんキャリアを中断して賃金上昇を止めることで、それ以降の留保賃金を抑制することが合理的(なのか?)なのかもしれません。たしかにそうすれば「俺は1部上場会社の部長までやったんだから、今更、農業なんかできるか」とかいう事態は回避できるのでしょう。なお40代以降の賃金上昇を抑制すれば当然ながら社会保険料収入も減少するので再分配の縮小はそこからも要請されることになるでしょう。
ただまあ私は職業選択の自由や引退の自由はかなり大切なものだと思っていますし、70歳になっても80歳になっても明日のパンのために無理して働かなければいけない社会というのもかなりヤバイ感じのする社会だなあとも思いますので、そこはまた異なるオルタナティブを考える必要があるのではないかと思います。もちろん異なるオルタナティブがあるのかという議論もあるわけですが、少なくとも「労使の合意」をめざすことはなかなか難しいビジョンではないかと思います。
さてもう一つ、文章の最後は「会社にしがみ付く「悲劇」を知ろう」となっていて例によって例の如しの脅し文句で締め括られています。内容は引用しなくても想像がつくでしょうから引用しません(笑)。
ただまあ

 産業構造としても、企業の寿命がどんどん短くなっている。1つの企業の耐性が20年という時代がくるかもしれない。事実、就職の時に最も元気だった産業が、40歳頃には衰退し、60歳には「あの会社にいなくてよかった」ということはよくある話だ。
 逆に、就職時にはパッとしない地味な会社だったが、産業構造の変化とともに、成長産業になっていたということもある。

というのはもちろん前者を強調したいわけでしょうが、しかし後者において40歳定年で退職させられた人はどうなるのかな。せっかく地味な会社をがんばって働いて成長させてきたのに、さあこれから、という時期になってあなた40歳ですからサヨウナラということに、特に不況期にはなりかねないわけです。で、不況期だからいかに「あの会社を成長させました」という実績があるにしても再就職はままならないということになったら、まあかなりツライものがあるでしょう。
ということで、これはこれまたお決まりの指摘になるのですが、構造要因を声高に叫ぶ一方で循環要因を無視しているという話になります。もちろんどんな不況でもどんとこい、いくら労働需給が緩んでも転職先はありますよ、というくらいの高度な専門スキルを保有できればそれにこしたことはないわけですが、しかしそういう高度技能は実は30年くらいの経験を通じた熟練が必要だったりもするわけです。
いっぽう、「学び直し」で得られる程度のスキルでどこまで転職可能かというと、失業の発生しやすい不況期においてはそれほど容易ではないのではないでしょうか。特に、それなりの賃金が得られる(ここが重要)転職となると、これはなかなか難しいものと思います。結局のところ、長期雇用の正社員が失業して生計が成り立たなくなるのは、転職できないからというよりは転職すると賃金が下がってしまうからでしょう。これはいつも書いているとおり日本企業では長期雇用において企業特殊的熟練に対しても賃金が支払われているから発生する問題です。ここで重要なのは失業のリスクを意識した生活設計をすること(特に住宅ローンなどは失業・転職しても対応可能な水準にとどめること)であり、転職して賃金が下がらないように転職前から低い賃金水準にとめおくことではないでしょう。
つまるところ、再就職の可否やその際の労働条件については、スキルの水準もさることながら、その時点での経済情勢がより大きく影響するのではないでしょうか。少なくとも長期雇用と「学び直し」との間で、再就職にあたって経済情勢以上に影響があるほどの差があるとは考えにくいのではないでしょうか。
ということで、残念ながらこの解説記事においては40歳定年制について世間を説得可能な理論武装にはとうてい成功していないと申し上げざるを得ないようです。まずは人事管理や労働市場の実態を知るところから再出発の必要がありそうです。