「山崎元氏、学生に助言する」フォロー

前回(2月7日)のエントリは意外にも一部の方をいたく刺戟したようで、某ツイッターによればなんでもあれは「山崎氏のまっとうな回答に対する…嫌味な絡み」であり、「ある特定のキャリアとポジションをもつタイプの人間の振舞い方であることをよく観察しておこう」ということだそうですよはあそうですか。いやいや当代一流の研究者からのお墨付ですので皆様どうかそのようにご鑑賞ください(笑)。まあ「嫌味な絡み」であることはご指摘のとおりですし、「絡み」たくなる背景にはたしかに私のキャリアがあるわけですが、しかし「嫌味な」の方は私の個人的特徴であってキャリアやポジションとは無関係なので、私と類似のキャリアやポジションの人まで一般化してそうだとは言わないでほしいなあ。
それはそれとして私は最初山崎氏の回答を大学教員が「まっとう」と評したことにかなり驚倒したのですが、考えてもみれば教育の職業的レリバンスとか唱導する人たちからすれば「大学新入生に、古典を読め、思索せよ、自分探しをしなさい、等々のことを言うのは、はっきり言って無駄かお節介」と説き、外国語など「将来「道具として」役に立つものの運用能力をアップする」ことや、会計や民・商法など「将来使うであろう「実用的な科目」の基礎を学んでお」くことを推奨する山崎氏の回答は、なるほど職業的レリバンス論と大変に親和的な「まっとうな」ものなのかもしれないと思いなおしました(というか最初から「職業的レリバンス厨っぽい」とか書いてますね)。
これについての私の意見は過去繰り返し書いていますのでここでは省略しますが、まあいろいろな議論がありうると思います。そして前回のエントリでも、そうした議論に関する部分については違う意見を書いてはいますが嫌味な絡み方はしていないし、全否定もしていないことはご確認いただけるものと思います(まあ「厨っぽい」は嫌味だろうといえばそうですが)。むしろ「専門家や専門知識を的確に「疑う」ことや、最先端の知識へのアクセス方法を知っていることが必要」に関しては絶賛のうえ全面(拡大)賛同しているわけですし。
つまるところ、私が嫌味に絡んでいるのはもっぱら山崎氏の「大学新入生の「伸びしろ」はそう大きなものではありません。」とか「将来立派な人は、大学の新入生時点で既に相当に立派である」とか「それまでに哲学や思想の本を読みたいと自分から思い、既にその方面の読書に手を着けたような学生でなければ、今更思想的な古典を読ませて利口になるとは思えません」という主張に対してであって(そんなこと言ってる人にこんなこと言われたくないよね、とか)、これに反発する背景にはたしかに私のキャリアもあろうとは思いますが、しかしもっとずっとベーシックで普遍的な価値観の問題であるようにも思います。
まあ山崎氏も平均的に9割とか少なからずピークとか書いておられるので必ずしも矛盾はないかもしれませんし、わずか4年間で伸ばせと言われても限界があるという意味であればわからないではありませんが、それにしても大学で大きく伸びる人だって相当程度いるでしょうし、30代や40代で大きく伸びる人だって少なからずいると私は思います。哲学に関心のない人に関心を持つように仕向けることもすべてムダではないと思いますし、試験に出るから単位のために仕方なく読んだ古典から多くを学んだという人も全員とは言いませんが中にはいるだろう(というか古典とはそういうものだから古典なのでしょう)とも思います。したがって、私は大学生の伸びしろには大きな可能性があると考えており、教員の適切な指導がその成長を促すことに期待していますし、それのきっかけが古典との出会いだったということも十分にありうると思っています。ですから、山崎氏の「飛び級で進学できるような学生でなければ大学での伸びしろはないんだし、どうせ君たちに哲学とか教えても意味ないんだから、あとあと役立つかもしれない外国語や会計の勉強でもやっておけば」といった論調にはかなりのいらだちを覚えます。
もちろん、山崎氏だって独協大学で教員を務めておられているわけですし、これが本当に大方の大学教員のコンセンサスであるのなら、それはそれで現実として受け入れるにやぶさかではありません。こんにち大学も大学生も非常に多様ですから、一部にはそうした実態もあるのかもしれないとは思いますし、山崎氏ご自身がそうした教育を実践することも一定の意義があると思います(推測するに獨協大学の山崎氏への期待はそのあたりにありそうな気もします)。しかし国民の大学教員への期待(これが正当かどうかを疑う議論は別途ありうると思います)に照らして、仮にそうであるにしても大学教員がああも露悪的かつあからさまにそれを述べることって本当にまっとうなのかしら。さすがに山崎氏も独協の学生さんに向かって「君たちには大学での伸びしろはないんだから私が実学を教えるんだよ」とは言ってないと思うのですが。
ということで、「大学新入生に、古典を読め、思索せよ、自分探しをしなさい、等々のことを言うのは、はっきり言って無駄かお節介」とか、外国語など「将来「道具として」役に立つものの運用能力をアップする」ことが大事だとか、会計や民・商法など「将来使うであろう「実用的な科目」の基礎を学んでお」くことを推奨するとかいった主たる結論がまっとうというか自分と同じであれば、その他の意見も結論に達するプロセスもすべてまっとうだと判断し、その主たる結論以外の論点について嫌味な苦情を述べている人をつかまえて「ある特定のキャリアとポジションをもつタイプの人間の振舞い方」とか言っちゃうのってどうなんだろうと思いました。「結論が同じならすべて正しい」ってのはhamachan先生が特定の金融政策を支持する人たちの一部に見られる傾向として強く批判されていたっけなあ。そうそうhamachan先生といえば、キャリアやポジションを担ぎ出して他人の意見を批判するというのも池(ryいやまあこういう観察は社会学ではありうるのかな。
まあ冒頭ご紹介したツイートはずいぶんな勢いでリツイートされたようでありまして、キャリアとかポジションとか、お仲間内で楽しくおやりになる分にはご同慶だと思ったことでした。本エントリも「予想どおり」とかお楽しみいただければと思います。いやはや。