hamachanブログから

逆からみれば

一昨日のユニクロのエントリですが、またしてもhamachan先生と同じネタだったようです。同じものを逆からみればこうも違ってみえるものかと非常に感心しましたのでご紹介します。お題からして、私の「どういう青田買い」に対して先生は「それは高卒採用とどう違う?」と正反対ですね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-ca85.html

 これって、高卒で採用して、管理職になるまでの4年間の養成期間は大学に通わせてあげる、というのとどう違うのだろう。
 ある意味で、企業主導の究極の「労働と学習の組み合わせ」。
 それを「高卒」採用としないために、わざわざ大学1年になってから採用するというわけかな。

ふーむ、なるほど。究極の青田買いではなくて、高卒の一年過年度だと考えることもできるわけですね。そう考えると、かつての使用者が労働者を中卒採用して定時制高校に通わせるのと同じような話になって、美談の部類に入るわけですか。うーん先生と私の人格の違いの現れということでしょうか。いや私どうもユニクロの話になるとネガティブに見てしまいがちなんですよお。
で、こう考えると大学教育も一転して管理職育成のために有意義なものだということになるわけですね。このあたり、現行の大学教育に批判的なhamachan先生と、それなりの意義はあると部分的に擁護している私とが、日頃とは逆の立場になってしまっているのも面白いところかと。

社畜のススメ

この本も取り上げられていて驚きました。hamachan先生の勤勉さは常々感心するところなのですが、こんなところまで手を伸ばしておられたとは。
私といえばまだ立ち読みすらしていない(藤本さんすみません)ので、先生のエントリの記述についての感想しか書けないわけですが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b130.html

 藤本さんの致命的な勘違い。それは、これだけさんざんに歯車になれといいながら、24時間戦う人間を賛美したり、ワークライフバランスを貶したりすることです。
 世界中どこでも、単なる歯車は24時間戦ったりしません。それは経営者やエリート労働者の仕事です。歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。
 世界中どこでも、経営者やエリート労働者は猛烈なワーカホリックです。ワークライフバランスなんてのは、歯車の歯車のための概念です。
 そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう。

なにせ読んでないので偉そうなことを書いてまったく見当違いでしたという痛い事態に陥るような気はひしひしとしますが、藤本さんは要するに未熟練のうちは個性だの自分で考えるだのいわずに歯車として24時間戦うくらいの気合で働いて仕事ができるようになりなさい、そうして一人前以上になれば個性も発揮できますよ、というくらいのことを言っているのでしょう。これは日本企業にそれなりの人材育成力があるから言えることで、ノンエリートには「歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。」ことだけを求める他国の企業については成立しない議論であろうことは先生ご指摘のとおりと思われます。
そこで、歯車は一生歯車のままという世の中と、歯車が意欲と能力(とあれこれ)次第では程度の差はあれエリートに接近しうる社会とを較べたら、私は後者のほうがだいぶいいんじゃないかと思うのですが、競争が嫌いな人たちには前者のほうがよく思えるのでしょう。世間の人たちは私が思うほどには自由とか求めてないのかもしれませんし。
ただ、現状のようにゼロ成長という環境になると、組織の拡大も止まりますし、エリートに接近しうる確率は明らかにかつ大きく低下しているという問題はあります。その裏返しで、その気になって24時間戦う気合で働いたけれどなかなか思うようにキャリアや能力が伸びず、あげく働き過ぎでダウン、ということになる危険おか性も高まっているかもしれません。そのあたりの確率、リスクは十分に考えに入れる必要があるわけで、働く人もさることながら人事管理もそうでなければならないでしょう(実際「わが社では死ぬほど働けば必ず報われます」みたいな動機付け?をする人もまだまだ多々いるようでして。インターンは安上がりなバイトだと思ってるITベンチャーの若手起業家とか、某Yカメラの採用担当者wとかね)。でまあ、これに対してソシアルなhamachan先生はノンエリートは無理やりにでもワークバランスさせて一生歯車にとどめおけと主張されるのに対してリベラルな私は好きにさせてやれよ他人に迷惑かけないならと思うわけですが、繰り返しになりますが世間には自由なんてどうでもいい人のが多いのかなあと今日は妙に弱気になる私。

ホスピタリティ?

もうひとつhamachanブログから。本題は先生十八番のサービス業の生産性の話なのですが、このエントリのマクラにつかわれたやりとりが面白い。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-24ed.html

天下のいんちきりんさんに、山形浩生氏が噛みついていますが、

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111121(今、日本で最も時代遅れな団体=「経団連」)

>そしてこの分野、日本は圧倒的な競争力があります。アメリカのスタバで、スタッフの態度があまりにあまりなため、ゲンナリしてコーヒーが不味く感じられた経験のある人も多いはずです。にこやかにきびきび対応しても、ムスッとぞんざいに対応しても労働時間は代わりません。けれど「客が感じる価値」は圧倒的に違います。日本は「ホスピタリティの生産性」が非常に高い国なんです。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20111122/1321955537(日本の優位性がホスピタリティ産業、ですって? ご冗談を。)

>日本人は日本の「サービス」がきめ細やかでよいと思っているけど、実際は日本の「サービス」の多くは客には何の意味もない自己満。成田で、地上整備の人が飛行機に手を振らされているのを観たことがあるでしょう。客にとって何の役にもたたないことを「心をこめました」とか言うのが日本の「サービス」。それに感激する人もいる一方で、それを押しつけがましくてうっとうしいと思う人もたくさんいる。このぼくを含め。

ほほぉ最も時代遅れですか…ということでどんな話か見に行ってみたのですが、いんちきりんさんじゃなくてChikirinさんなんですね(笑)。知りませんでしたが相当人気のある覆面ブロガーのようです。ただまあ少し読んだ限りでは藤沢数希氏とかと同じで内容は基本的にネタのようで、こういうのの需要はずいぶんあるんだなあ。
さて私としては「最近の経団連はなにかというとすぐに「日本から出て行かざるを得ない」と(政治家や国民を)恫喝するけれど、狼少年みたいなことばっかり言ってないで、出て行きたければ出て行けよ!って感じです。」とか書いてるあたりで日刊ゲンダイあたりと同じ箱に入れることにしました。いやこんなこと言ったら日刊ゲンダイに怒られるか(笑)。あのねえ、「恫喝」するだけマシなほうでしてね、過去三十年間くらいでどれほど多くの企業が黙って雇用を海外に移したか、たいして調べなくても簡単にわかる話だと思います。普通は狼が来ると騒ぐまでもなく逃げちゃうんですよ。もちろん騒ぐのにも理由があるわけで、サプライチェーンが大きすぎて出て行こうにもものすごくコストがかかるからポジショントークとか利益誘導とかしてなんとかとどまりたいという思惑でしょう。ですから、恫喝するほど簡単には出て行かないでしょという読みはある意味正しいといえます。といえますが、したがって出て行くときにはサプライチェーン丸ごとごっそり行かれてしまうという問題がないではありません。このあたりの話はさすがに藤沢数希氏とかは正しく書くわけですので、まあ得意分野とかあるのかもしれませんが。
ということで山形先生もネタにマジレスという感じなのですが、とりあえず海外に出て行って日本の「ホスピタリティ」なるもので現地の客から2割も3割も余分にかっぱげるかというとまあそんなことはないよねという話はよくわかります。というか国内でもまさに「スマイル0円」というくらいで、値段は同じでも気分よくサービスを楽しんでいただけますという点で差異化をはかっているという程度の話ですし。それで客のほうはヘイコラしてもらうのが当たり前になって無茶をやりだす、というか店先ではヘイコラしているその人が他の店では王族かなにかのように振る舞うというのが「ホスピタリティ」なるものの現実だというのは感情労働とかの議論でよく言われますね。よしあしは一概にはいえないのでしょうが。
ただ、「成田で、地上整備の人が飛行機に手を振らされているのを観たことがあるでしょう」というのはどうなんでしょうか。その後の文脈からして、山形先生はあれは(厳密には飛行機ではなく)乗客に手を振らされている、とお考えなのだと思うのですが、しかし乗客に向かって「「心をこめました」とか」言いたいのなら頭を下げさせそうなものですが。まあ山形先生のことですからウラを取られているのだと思いますが、私は自分が整備した飛行機が出発するときに(客に対してではなく飛行機に対して)手を振りたくなるというのは悪いもんじゃないと善意にとらえておりました。違うのかなあ。まあそんなんで忙しい中わざわざ出てきたりはしないか…。