漫画家の労働者性、じゃなくて。

先週のエントリで日経電子版の「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか」という記事を取り上げたのですが、これが掲載されていた日経電子版の「ライフ」というコンテンツが実は面白いことを発見しました。今日は売れっ子漫画家の弘兼憲史氏のエッセイをご紹介したいと思います。どうもこれは連載になるらしいのですが、以前もとりあげましたが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070827#p2)けっこう愉快なことを言われる方ですので目が離せません。

 島耕作を書き始めた初期のころ、作品の中で島がこんなことを話しました。
 「嫌な仕事で偉くなるよりは、好きな仕事で犬のように働きたい」――。
 これは島の本音であると同時に僕の本音でもあります。「ワーク・ライフ・バランス」なんて言葉がありますが、島も私も、この言葉とは正反対の人生を歩んできました。人それぞれの考え方がありますが、仕事漬けだから不幸、なんてことはない。僕はそう、思います。
 漫画家の日常には、オンもオフもありません。土曜も日曜もありません。1年365日、完全な仕事漬けです。なぜこんなことができるのか。それは漫画家という仕事が好きだからです。とにかく漫画を描くのが楽しくてたまらない。毎日描いても飽きません。仕事を面白いと感じることができれば、働くことは苦痛ではないのです。
http://www.nikkei.com/life/column/article/g=96958A90889DE1E7EBEBE0E1E2E2E0EAE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0EAE3E2E0E2E3E3E7E3E1E0およびこれに続くページから、以下同じ

まあ弘兼氏くらいの売れっ子になれば実際忙しいでしょうし、書けば書いただけ売れるならそれは楽しかろうとも思います。ただ、漫画家といっても多様なわけで、それこそ工房制作をしている漫画家のプロダクションで業務請負で背景書いたりベタ塗ったりしている人まで「好きだから365日仕事漬け」とはまいらないのではないでしょうか。弘兼氏が工房制作をしているかどうかは知りませんがあれだけ売れてればアシスタントの2〜3人はいるはずで、弘兼氏のアシスタントも漫画が好きだから喜んで365日完全な仕事漬けになっているのかなあ。
もちろんそういう人だって漫画が好きだから漫画家になったのでしょうが、しかし365日やらされたらさすがに苦痛ではないかと思うのですが。漫画が好きだからと漫画を仕事にしたはいいけれど、思うような仕事や収入が得られず苦労を続けているうちに、あんなに好きだった漫画が大嫌いになってしまった…などということも起こっているような気がするなあ。このあたりの話は以前『13歳のハローワーク』を叩いていた頃にずいぶん書いたかな。懐かしい。最近好みの切り口でいえば漫画家の使用者性/労働者性ということになりますが。
さて弘兼氏は365日仕事漬けだから「「ワーク・ライフ・バランス」…とは正反対の人生」と述べられるわけですが、私はこれはこれで立派なワーク・ライフ・バランスではないかと思います。まあ世間一般では「ワーク・ライフ・バランス」は365日仕事漬けの人生と対立するものとして概念されることが多いとは思いますが、しかしそれで本人が充実していて周囲に迷惑をかけてないなら別に否定されるいわれはないでしょう。弘兼氏もなにをムキになってるのかなあという感じです。

 私は漫画家になる前、3年ほど大手家電メーカーでサラリーマンを経験しました。宣伝の仕事をしていたのですが、これが面白かった。それまでだらだらした大学生活を送っていた反動もありましたが、休みの日にも仕事をしていた記憶があります。オンとオフの切り替えなんてあまり意識したことはありません。
 島耕作も同じです。彼の場合、会社人間ではなくて仕事人間。好きな仕事だったら遊んでいるよりも楽しい。仕事そのものを楽しんでいるので、オンとオフを無理に切り替える必要はないのです。

弘兼氏が松下電器(現パナソニック)に勤務していたのは有名な話で、まあ思い出話なので美化されている部分もあるでしょう(漫画は当然美化されてますし)が、こういう経験を持つ人もかなり多いのではないでしょうか。もちろんいつもそうだというのは弘兼氏のような幸福な例外に限られるでしょうが、興が乗ってきてもっといい仕事にしたい、もっとやりたい…という時期というのもあるものです。そういう時には、周囲に迷惑をかけない範囲で思う存分働けるようにしたほうがいいのではないか。1日12時間しか働いてはいけませんとか、一度仕事をやめたら8時間は働いてはいけないとか、そんな野暮なことを言いなさんな…と私は思います(もちろんそういう状態がそうでない状態に較べて必ずよいものであるとか、みんなそうなりましょうとかいうことではありませんので為念)。一人そういう人がいると周りまでそうせざるを得なくなるかもしれないからそういうのは禁止しましょうという発想の人もいるようですが、私はある程度自由でいいと思います。

  • 私はここでは一応支払われるべき手当等は支払われるべきという前提で議論しておりますのでこれまた為念。仕事が面白いからどんどん働きたい、経営上手当の予算がこれ以上ないからやめろというなら手当なんかいらないから仕事をしたい…という希望を認めるにあたってはそれなりに厳格な規制が必要だろうと思います。そういえばこれも以前ずいぶん書いたなあ。

 よく、外国の政治家が休暇を取って家族と楽しんでいる姿が報道されることがありますが、これってもしかすると「そうすべき」という義務感でやっているのかもしれない。「家族は大切にしなければいけない」「仕事の切り替えのために休まなければならない」というのは一種の呪縛かもしれない、と思うことがあります。

まあどんなもんなんでしょうかね。そうしておいたほうが支持率がという事情もあるのかなあ。どっちにしてもライフスタイルはかくあるべし、と決められている社会というのは居心地が悪かろうと私などは思いますが、まあ自由とかあまり好きではない人もいるのでしょう。政府が国民に特定のライフスタイルを強要するのはさすがにかなりヤバい国家像ではないかと思うのですが、まあそういうのが好きな人もいるから戦争とかやっちゃうのかなあと思わなくもありません。

 これだけ忙しく仕事をしていると、家庭のことは妻に任せっきりです。妻も漫画家なので理解はしてくれますが、それでも不満顔ではあります。でも実際に家庭と仕事とを完璧にこなしている人がどれだけいるでしょうか? 理想ではありますが、現実には極めて少ないと言っていいでしょう。
 僕がこれまで見てきた限り、仕事でうまくいっている人は、家庭がうまくいっていないケースが多い。会社で出世して社会的に高い地位を得るのか、出世とか社会的な地位など考えず、家庭の中で尊敬される存在になるのか。両方できれば理想ですが、どちらかを目指すというのが現実ではないでしょうか。

弘兼氏の夫人はやはり人気漫画家の柴門ふみ氏ですので、まあさすがに柴門氏が掃除や洗濯をしているとも思えず(まあ炊事は楽しみにやるかもしれないが)、そのあたりは人を雇っているのではないかと推測します。いや業務請負のアシスタントにやらせてたりしたらそれこそ漫画家の労働者性が(ry
それはそれとして「仕事でうまくいっている人は、家庭がうまくいっていないケースが多い」って本当なんでしょうかね?まあ仕事がうまくいって多額のカネを持つと甲斐性とやらを発揮したくなって…というケースはあるのかなとは思いますし、課長島耕作バツイチで大町久美子さん(でしたっけ?)とよろしくやっておられたと思いますが、しかし私がみる限り会社で出世して社会的に高い地位を得た人は、また家庭の中でも尊敬されているというケースのほうが支配的に思えるのですが、違うのでしょうか?仕事の成功のためには家庭円満が必要などという月並みな話を持ち出すのも気が利きませんが、しかし仕事で成功する人は家庭でもまた成功者であり(弘兼氏だって「理解はしてくれるが不満顔」程度なら十分にこちらに入るでしょう)、非正規雇用の若者はそもそも家庭を持つことも難しいという大変に不公平な世の中であるというのが現実ではないかと思うわけです。いやもちろん「完璧に」となると少数だというのには同意しますが。