hamachan先生のコメントに対して

高年齢者雇用研究会の報告書について、hamachan先生に再度私の所論にコメントしていただいておりました。いやなにかと立て込んでいて気づいておりませんでした。教えてくださった方ありがとうございました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2404.html
最初のところは同じことを言ってますねという話なので割愛させていただいて、

…それに対して、わたくしが、65歳定年を法制化するのではなく65歳継続雇用を全面義務化するというやり方を採ることに、政策論としての意味があると考えている「非正規化」は、質的な面に着目したものです。正社員とは異なる身分で、異なる処遇がされる労働力になるという点に、意味があるという見方です。
 確かに継続雇用の上限年齢まで雇い止めすることは困難ではありますが、正社員のルートから外して非正規労働者としての処遇に移すことによって、(もちろん量的な取り合いの面が無くなるわけではないとはいいながら)正社員としての若者の採用枠に対する影響を最小限にとどめようとしていることは確かではないかと思われます。
 というようなことは、労務屋さんも実はよくご理解されているのだと思います。ただ、厳密な法制論議からすると、定年と継続雇用が処遇の面においていかなる違いがあるかということについては、実は必ずしも明確であるとは言い難い面があることもわきまえられた上で、継続雇用の全面義務化がもたらす権利としての強化が事実上の65歳定年に近づくことを牽制したいという意図があるのではないかと、やや深読み気味ですが、感じております。

前段についていえば、「希望者全員再雇用」となると、(1)「これまで希望していたが基準に達しなかった人」と(2)「これまでは希望しなかったが今後は希望する人」が新たに再雇用されるようになります。後者には、(2a)「年金が出るなら働こうとは思わないが、年金が出ないから働きたい」人と(2b)「明らかに基準に達しないから希望しなかったが、基準がなくなれば希望する」という2パターンがありそうです。
で、(1)と(2b)については処遇も仕事も非正規労働者的な軽易な仕事につくことが多くなりそうですから、おそらく若年の正社員採用とは競合しないと思われます。こちらの問題は業種・企業によってはこうした人たちに適切な仕事が十分に確保できず、結果として処遇が極度に低くなってしまう危険性があることですね。
(2a)はかなりの割合で若年の正社員採用と競合しそうですが、まあそれが「最小限にとどめる」ということなのだ、と言われればまあそうなのかもしれません。
後段は実は図星でして(笑)、希望者全員の再雇用が義務化されたとしても、雇用調整が不可避な状況下においては再雇用しない、あるいは65歳前に雇止めするといったことは起こるでしょう。このときに、再雇用しないことや雇止めの正当・不当はどう判断されるのか。これが労働契約法16条の合理性・相当性判断と同じだということになると、少なくとも雇用の柔軟性に関しては希望者全員再雇用は定年延長と実務的にほとんど違わないということになります。もちろん、労働者側に「希望する」という手続きを必要とすることや、実用的には雇用契約を結びなおすことで仕事や労働条件の変更がやりやすいといった点などで依然として大きな違いがありますが。

 結局、処遇の問題を括弧に入れて、量的な労働力問題として論ずるのであれば、報告書が言うように

>若年者の失業問題に対処するために、例えばドイツでは年金の繰上支給や高年齢者の失業給付の受給要件の緩和が行われ、フランスでは年金支給開始年齢の引下げが行われるなど、高年齢者の早期引退促進政策が推進されたが、結局若年者の失業の解消には効果は見られず、かえって社会的コストの増大につながったとの認識が示されていることなどから、必ずしも高年齢者の早期退職を促せば若年者の雇用の増加につながるというものではない。

 というのが世界的にほぼ共通の認識であり、かつてヨーロッパ諸国がやった高齢者を引退させて若者の職を確保しようというような政策はことごとく失敗したといっていいと思われます。労働市場全体として、仕事が絶対的に不足するのが定常状態という(BI派によく見られる)認識は正しいとは思われません。

いやたしかに報告書のこの部分は事実の記述であって、たしかに世界の共通認識でしょうし、私も同じ認識です。もし誰かが「日本では若い人の雇用情勢が厳しいから、60歳で全員定年退職させて、その後の就労は禁止しよう、そうすればその分は若い人が職に就けるだろう」と主張したら、私も当然「いやそれをやってうまくいった国はありません」と反論すると思います。ただ、この部分で問題になっているのは繰り返し書いているように「日本では若い人の雇用情勢が厳しいから、60歳過ぎても働く人を増やしたら、若い人がさらに職に就きにくくなるのではないか」という心配があることなのです。そして私は、そういう心配などもふまえて「なんで今」と申し上げているわけです(したがって、労働市場全体として、仕事が絶対的に不足するのが定常状態という認識は私も正しいとは思いません)。しかるに、報告書は欧州の例を引くことによって、あたかも今高齢法改正を行っても若年雇用に影響しないかのような印象を与える書き方をしているように私には思われ、これは若年に対してフェアでないと思います。

 ただ、日本の雇用システムにおいては、正社員という限られたより優遇された労働者の地位を高齢者が占め続けることは、若者の正社員として雇用される可能性を狭め、(トータルの労働需要は変わらなくても)彼らを非正規労働力として雇用されることに追いやる危険性はあると思いますし、だからこそ、高齢者の方を非正規化するという選択肢を選びやすいようにしているわけですね。
 ここは、そもそも論から言えば、定年後の高齢者の処遇だけを論ずるべきものではなく、その前の中年期の処遇自体が高すぎるのではないか、だからそれをそのまま延長すると高すぎる処遇が延長されてしまって持続可能でなくなるという問題に関わるわけです。

 いずれにしても、高齢者雇用問題を論じるということは、結局高齢者になる前の中年期の賃金処遇制度の問題を論じることにつながるわけで、むしろ、そこまできちんと踏み込んだ上でトータルな議論がなされることこそが、重要ではないかと思います。
 なんといっても、現代の日本では、高齢者が嘱託で働いているために若者が労働市場からたたき出されて、失業や無業の悲運をかこっているというわけではなく、むしろ中年層の正社員ポストがなかなか減らないあおりで正社員就職が難しくて非正規に回っている面があるわけですから、そういう非正規の仕事はむしろ高齢者が積極的にやった方がいいと思うのですね。

前段はそのとおりで、60歳定年を前提に長期雇用のしくみが出来上がっているところ、形はともあれ大半が65歳まで働くとなれば、60歳前も含めて全体としてしくみをつくりなおさなければならないでしょう。
後段は少し悩ましいところで、60歳定年後は積極的に自分は後進に道を譲って、ほどほどの非正規労働者としての仕事・労働条件で働くというのも立派な生き方・すばらしいキャリアだ…という意識が定着しているのならいいのですが、現状はまだそこまではいっていないでしょう。つまり、定年後は非正規の仕事でかまわないと思っている人でも、定年までバリバリ働いていた会社で、後輩に囲まれて非正規の仕事というのはちょっと…と思う人がいるだろうことは心情的におおいに想像されるところです。
それを思うと、報告書がとにかく60歳まで働いていた企業が65歳まで雇え、それさえやれば十分だ、というのに近い態度をとっていることには不安を覚えます。そういう人は再雇用を希望せず自力で次の仕事を探すだろうということでしょうが、仕事が見つかりそうもないと思えば仕方なく希望して再雇用されるということになるのでしょう。60歳以降は異なる場所に活躍の場を求めたいという人に対する配慮は報告書にはほとんどみられませんし、公開されている資料などをみる限りそうした人に対する支援を研究会で議論した形跡もありません。現状のもので大丈夫だということかもしれませんが、しかしハローワークに60歳超に対する就職指導のノウハウが十分に蓄積されているとは考えにくいものがあります。
繰り返しになりますが、いかに義務化したとしても働けなくなる人は一定数出るわけですから、そうした人に対する支援、公的支援だけではなく、割増退職金などの支援について労使に努力を求めるといった話はあってしかるべきではないでしょうか。