キャリア「段位」への違和感

今朝の日経新聞で小さく報じられていました。

 政府は18日の緊急雇用対策本部の分科会で、職業ごとの人材の知識や能力を公的に証明する新資格「キャリア段位制度」を新設することを決めた。第1弾は将来、成長が見込まれる「温暖化ガス削減指導」「農商工連携のプランナー」「介護人材」の3業種で始める。
 段位を公的に認定する根拠法を制定することも検討。今年度は一部の地域で実施するモデル事業の位置付けで、来年度から全国的に導入。段位は各業種とも入門レベルから業界のトッププロまで7段階で構成する。
平成23年5月19日付日本経済新聞朝刊から)

まだ官邸のサイトには資料等はアップされていないようですのでこの記事しか情報がないのですが、とりあえず「キャリア段位」という名称はどうもうまくないような気がします。
段位というのはご承知のとおりわが国の伝統競技における練達度を、多くの場合は初段から九段までの9段階で表示するもので、具体的には剣道や柔道といった武道・武術、囲碁・将棋などの競技、珠算・書道などの技芸で用いられています。ディテールは種目等によって異なるようなのですが、数年前に囲碁の段位制度が改定された際に少し調べて人事管理との類似性についてのエッセイを書いたことがあり(http://www.roumuya.net/jihou/igo.pdf)、以下は基本的にそのときの知識をもとに書いています(つまり今は違うとか他種目は別だという話があるかもしれません)。
さてうまくないなと思う理由のひとつは一度得た段位は基本的に下がらないという点にあります。まあ段位というのは相対的な力量の比較関係ではなく絶対的な力量を認定するものであり(実際各ワーキンググループの資料をみるかぎりそのようなものとして構想されているようですが)、一度獲得した能力が失われることはないということであれば、別に下がるしくみがなくてもかまわないということになりますが、現実にはしばらくその仕事から離れている間に力量が減退するといったことは当然起こりますし、技術革新などによって技能が陳腐化してしまうことも常にありうるわけです。
実際、ワーキンググループの資料を斜め読みしたところ、そのあたりかなり考えて書かれているようで、各段の能力に基準ついてはたとえば介護をでは「利用者の状態像に応じた介護や多職種の連携等を行うための幅広い領域の知識・技術を習得し、的確な介護を実践(例:施設等において、主たる夜勤者を担うことができる)」とか「基本的な知識・技術を活用し、決められた手順等に従って、基本的な介護を実践(例:施設等において「夜勤」に従事することができる)」などといった抽象的な職能要件で記載されており、技術革新などによる必要知識は研修で得るということで技術の変化に応じて研修の内容も見直すという整理をしているようです。

ワーキンググループ資料はこちらです。
省エネ・温室効果ガス削減等人材(カーボンマネジメント人材)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kinkyukoyou/suisinteam/TF/carbon_dai4/risyou1.pdf
6次産業化人材
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kinkyukoyou/suisinteam/TF/6th_dai5/siryou1.pdf
介護人材
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kinkyukoyou/suisinteam/TF/kaigo_dai4/siryou1.pdf
実はこれらの資料をみると、「段」ではなく「レベル」という表現がされており、「段位」も「キャリア段位制度」として用いられる以外は使われていません。つまり、ここで書いているような問題意識のもとに、具体的な議論ではこの言葉を避けているのかもしれません。

ただ、そう書けば技術革新があるたびに基準のメンテナンスをする必要はなくなるかもしれませんが、しかしスキルの減退や陳腐化は現実に起こるわけです。段位審査はより上位の段位者がアセスメントするということのようですが、認定に有効期限があるのか、定期的にリバイスするのかどうかといった詳細はよくわかりません。ただ、いずれにしても、下がらないとしたら制度の実用性に疑問が残る(長期雇用の企業内の職能資格制度であれば長期的集団的な貢献と報酬のバランスがとれればいいわけですが、キャリア段位は外部労働市場における個人の評価に使いたいというわけですから、それではまずいでしょう)、下がるとしたら一般的に使われる意味での「段位」とはマッチしないということにはなるでしょう。
ふたつめは似たような話ですが、段位はその時点の競技力を必ずしも反映しない、というか無関係といったほうが現実に近いことも多いという点です。そもそもオリンピックの柔道で選手が何段かなんてことが意識されること自体がほとんどなく、実際問題としてメダルを取るような選手だとまあ三段か四段といったところではないかと思います。将棋の羽生先生が五段当時に名人経験者4人(当然全員九段)を連破して優勝した話も有名です。
これはなにかというとこれら競技では段位とは競技力に加えて経験などのキャリアに対しても付与されるという年功的な性格が強いということでしょう。囲碁の例をみても大きな試合で優勝して飛び級で九段、八段に昇ることもありますが、通算勝利数で昇段していくルートもあります。競技によっては競技力とは直接は関係ない、普及面での貢献や競技団体等における功績などが加味されることもあるようですし、引退時、さらには逝去時に「特進」のある例も多く、たぶんに名誉的な側面を持っているわけです。それはそれで競技者の顕彰といった意味でけっこうなことだと思うのですが、外部労働市場での能力保証を意図した制度に「段位」というのはどうかなあとも思うわけです。
もうひとつあって、記事によれば「段位は各業種とも入門レベルから業界のトッププロまで7段階」ということのようですが、通常段位においては初段といえば「有段者」として相当な腕前が保証される(級制度が前置されている)という点です。ワーキンググループ資料をみると、レベル1は「初任者研修により、在宅・施設で働く上で必要となる基本的な知識・技術を修得」になっていますが、これで初段ですといわれると伝統的分野における初段の方々と大いに均衡を失することになります。たとえば珠算の場合は、かつてさかんだった時代において商業高校生が目指すのは有段者ではなく1級合格でしたし、当時は事務職の求人票に「珠算3級以上」と記載されていることも珍しくありませんでした。囲碁は初段の下に1級から25級まであります(これは普及を意識して上達感が感じられやすくしているのでしょう)。
ということで、どうも「キャリア段位」というのはうまくないなあ、段位というものの実情をご存知ない方が思いつきで言い出したのを周囲が修正できなくて困ってるんじゃないなかあなどと空気を読んでいるのですが、まあこれは初段〜七段ではなく7級〜1級にすればすむ話かもしれません。そこで(どこで?)最後に現時点の検討状況に関する簡単な感想(といっても資料をななめ読みしたくらいのレベルなので勘違いや間違いがある可能性は大あり)を書いておきます。

  • レベル7とかレベル6とかは「カリスマ経営者・指導者」とか「当該分野の有識者オピニオンリーダー」とか書かれていてそんなのわざわざ段位認定しなくても見りゃわかるという感はあります。いっぽうレベル3くらいだと「経験者優遇」の水準ということでしょうか。このあたりをさらに高技能な人がきちんと認定してくれればそれなりに採用実務に役立つかもしれません。
  • この内容だと、レベル4、レベル5も、社内検定であれば「わが社できちんと仕事を教えて育ててこれだけの水準に到達させました」という質保証をするということになるわけで、これは案外私が時折書いてきた「企業による推薦状」に近いものかもしれません。だとすると安易な・実態をともなわない質保証をさせないしくみが必要で、「推薦者が恥をかく」だけではだめでしょうねえ。ここを担保することが決定的に重要ですが、しかし「実際はレベル3だけど、レベル5を認定するから希望退職に応じてくれ」とかいうのが出てきそうだなあ。どうしたものか。
  • 介護分野はそれなりにまとまった市場規模があるでしょうが、6次産業化人材やカーボンマネジメント人材ってのはどのくらいの需要があるのでしょうか。6次産業化のほうは農協や自治体の職員とかも念頭におかれているようなのでそこそこかな。成長産業であるとは思いますが、規模の小さいところに労力を費やすのも効率が悪いような気がそこはかとなく。
  • 報酬を段位に連動させるのはさすがに無理でしょう。もちろんワーキンググループもそこまでは考えていないと思いますが、言い出す人はいそうなので。