労働政策を考える(23)多様な正社員

「賃金事情」2601号(2011年2月5日号)に寄稿したエッセイを転載します。
http://www.e-sanro.net/sri/books/chinginjijyou/a_contents/a_2011_02_01_H1_P3.pdf


 昨年(2010年)7月、厚生労働省の雇用政策研究会報告「持続可能な活力ある社会を実現する経済・雇用システム」が発表されました。同省の報道発表資料によれば、これは「近年の経済環境、労働市場における変化を踏まえ、…2020年に向け、重点的に取り組むべき雇用・労働政策の方向性について検討を重ね、…結果を取りまとめました」というもので、内容は多岐にわたりますが、資料はそのポイントとして「正規・非正規労働者の二極化解消のため、働き方の改善を提言」「労働力減少と非正規労働者の増加に対応する支援を推進」を示しています。そして、前者の最初にあげられているのが、今回ご紹介する「「多様な正社員」の環境整備」です。昨今のホット・イシューである「有期雇用ルールの整備」や「最低賃金の引上げ」を抑えて真っ先に紹介されているのですから、研究会としてはこれを報告書の「目玉」と位置付けているのでしょう。
 さて、報告書によれば「多様な正社員」とは「従来の正社員でも非正規労働者でもない、正規・非正規労働者の中間に位置する雇用形態」とされており、具体例として「「職種限定正社員」や「勤務地限定正社員」といった、業務や勤務地等を限定した契約期間に定めのない雇用形態」があげられています。
 これ自体は以前からあるアイデアであり、実態として類似の人事管理が行われている例も見られるところです。それが今日あらためて注目された背景には、非正規労働の増加と、それにともなう正規・非正規の二極化があることは言うまでもありません。
 報告書は、非正規労働の増加について「経営の不確実性が増大し、予測が困難な状況の中で、変化に柔軟に対応する」「長期・固定的な雇用よりも、柔軟で多様な働き方を求める」という「労使双方のニーズ」によるものである一方で、現状のまま「労働者全体に占める非正規労働者比率が高まれば生産性が低下する」といった問題点もあるとしています。その上で「正規・非正規の差」を指摘し、「二極化構造を解消し、雇用形態の多様化を目指していくことが望まれる」と述べています。つまり、望ましいのは「多様化」であるのに対し、現実に起こっているのが「二極化」であることが問題だ、ということでしょう。
 報告書は詳しくは述べていませんし、二極化とは言ってももとより相当の多様性はあるわけですが、あえて典型的なスタイルを考えてみると、正規労働者は残業や休日出勤、あるいは配置転換や転勤などを求められるなど仕事への拘束が強く、負荷が高い一方で、雇用は安定し、労働条件も比較的良好で、OJTなどを通じた能力の伸長も見込める。長期間雇用する、雇用しなければならないだけに、企業としても人材育成に取り組み、それがより高度な仕事や労働条件の向上に結びつくわけです。
 これに対し、非正規労働者は勤務日や労働時間の自由度が高く、配置転換や転勤なども基本的に求められず、業務負荷もそれほど高くはない一方、雇用は安定せず、能力の向上も限定的で、労働条件も上がりにくい。長期勤続が正規労働者ほどには期待されておらず、業績悪化時などの雇止めが見込まれているとなると、企業・職場としても能力の向上につながるような育成や業務付与は正規労働者ほどには行いにくくなるのは自然でしょう。その結果、付加価値の高くない仕事に固定されがちになり、労働条件も上がりにくいということになり、それが二極化につながるわけです。
 とりわけ問題なのが、非正規労働比率が上昇する中で、一家の家計を支える生計維持者が倒産などで失業した場合や、若年者が学校を卒業して社会人となる際に、正規労働者として就職できず、不本意ながら非正規労働者となるケースが増えてきたことです。生計維持者の場合は収入の低下を通じて生活困窮に直結しかねませんし、若年者は当面は生活は保護者などに依存できるとしても、職業能力の向上・キャリア形成が進みにくく、将来の国家経済を支える人材として育ちにくいという問題があります。こうした不本意非正規労働者については、なるべく早くより良好な雇用に移行することが望まれますし、現実に前回の景気拡大期には多くの企業で非正規労働者から正規労働者への転換が実施されました。とはいえ、とりわけ現在のような経済低迷の中では、こうした転換は進みにくくなります。
 また、通常正規労働者にはフルタイム勤務に加えて時間外労働や、場合によっては転勤なども求められますが、育児など家庭責任との両立が求められる人の中にはこれに対応できない人も多いでしょう。そうなると、労働条件などに劣る非正規労働で働くしかなくなってしまうという問題もあります。二極化は、ワーク・ライフ・バランスや少子化対策の面でも好ましくないと言えそうです。
 そこで期待されるのが「多様な正社員」ということになります。報告書が例示した「職種限定正社員」や「勤務地限定正社員」のほか、5年、10年といった長期の有期雇用を提案する人もいますし、2009年10月に発表された連合総研の「雇用ニューディール政策研究委員会報告書」は、「中間的な雇用区分として「準正規雇用」区分をつくり、業務・仕事が続く限り解雇できないことを定め」ることを提言しています。業績悪化時の雇用調整を念頭に、期間の定めはないが営業赤字の場合には退職するとか、同じく期間の定めはないが事業部の売上が入社時に較べて15%以上減少したら退職すると取り決めた契約もアイデアとしては考えられると思われます。
 こうした労働契約・雇用形態を導入することで、比較的長期の勤続が見込めるようになり、労働者にとっては雇用の安定が改善すると同時に、企業にとっては教育訓練を行うインセンティブが高まることで、能力の向上・労働条件の改善につながることが期待できます。もちろん、こうした働き方は現状の正規労働者のような拘束度の強い働き方ではなくなるでしょうから、勤務地や労働時間の自由度も相対的に高く、ワーク・ライフ・バランスにも資する働き方になりそうです。そのかわり、能力の向上やキャリア形成も正社員に較べれば比較的緩やかなものになるわけで、あえて単純にいえばキャリアも労働条件も勤務地や労働条件の自由度もそれぞれに「ほどほど」な働き方です。夫婦がともにこの働き方を選択することで、それなりに生計費が確保できることが望まれるでしょう。
 また、こうした中間的な形態が充実することで、いったん不本意に非正規労働で就労せざるを得なかった人のキャリア形成が容易になることも期待されます。現状では、非正規労働者が正規労働に移行するには能力面や働き方の面でかなりのギャップがあるため、ダイレクトな転換には困難がともないます。その中間的な働き方が存在すれば、非正規労働からいったん中間的な形態に移行し、そこからさらに正規労働に移行するといった「キャリアの飛び石」ができることになります。時間はかかるかもしれませんが、飛び石がない状態に較べれば格段に移行しやすくなるでしょう。
 現時点では、こうした労働契約を締結することは不可能ではないものの、有期労働契約でも無期労働契約と実質的に異ならないと認められる場合などについては解雇権濫用法理が類推適用されるとする判例法理(雇止め法理)が形成されているため、実際に契約に基づいて雇止めを行った際にそれが有効とされるかどうかの予測可能性が低いという問題が指摘されています。こうした課題を解決することで「多様な正社員」を導入する環境が整備されることがまずは求められると思われます。