解雇権濫用法理と高知放送事件

本日発行されたシノドスメールマガジンシノドスα」に、安藤至大先生が解雇規制に関する一文を寄せておられます。たいへん興味深く説得力のある議論が展開されていますので、ぜひご一読をおすすめしたいと思います(気が向いたらその続きもお読みください…安藤先生に較べると非常に見劣りするのですが)。たぶん、近いうちにシノドスのサイトにも掲載されるのではないかと思いますが…どうなのかな。
ここでは一点だけ、安藤先生の解雇規制に関する説明について、補足のコメントをしておきたいと思います。

 続いて解雇規制とは何かを説明しましょう。これは使用者側が(雇う側のことを労働の専門家の間では「使用者側」と言います)労働者を解雇した際に、裁判所によってその解雇が権利の乱用であると認定された場合には解雇が認められないことを意味します。裁判所の判例により形成されたこの解雇権濫用法理は、現在は労働契約法第十六条として定められています。

 例えば、職場のボールペンを一本だけ家に持ち帰ったことが分かったからといって懲戒解雇をするのはやり過ぎでしょう。また飲み過ぎて翌朝に遅刻した労働者は確かに契約通りに仕事を遂行できていないわけですが、それが初めてのことであるならやはり解雇は行き過ぎだといえるのではないでしょうか。このような考え方から「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」とされているのです。

 しかし次のようなケースはどうでしょうか。あるラジオ放送局のアナウンサーが、朝寝坊してしまい定められた放送ができず、いわゆる放送事故を起こしてしまいました。そしてこれが一度だけでなく、二週間の間に2回も寝坊してしまったのです。そこで放送局はこのアナウンサーは仕事を適切に遂行する能力がないと考えて普通解雇にしたところ、それが濫用ではないかとの争いになりました。そして昭和52年に示された最高裁判所の判断は、この解雇を無効とするものでした。これが普通解雇について争われた高知放送事件の概要ですが、人によってはこの場合は解雇されても仕方がないと感じるかもしれませんね。

たいへんわかりやすい説明だと思うのですが、高知放送事件については補足が必要だろうと思います。これは解雇権濫用法理のリーディングケースのひとつとして非常に著名なものであり、たびたび紹介されていますが、往々にしてこの部分だけが紹介されることによって、解雇権濫用法理がいかにも厳しいような印象を与えてしまっているきらいがあるからです。
実際には、当時の高知放送には朝のニュースで放送する原稿をファクシミリで受信してアナウンサーに渡す「ファックス担当者」という役割の人がいて、この人がアナウンサーを起こしてニュースを渡すことになっていました。そして、アナウンサーが寝過ごした2日の2日ともに、アナウンサーを起こすべきファックス担当者もやはり寝過ごしていました。
ちなみにアナウンサーが解雇されたのに対してファックス担当者は譴責処分にとどめられていました。譴責は懲戒ではありますが、しかし普通解雇に較べれば実質的にはかなり軽い処分でしょうし、さらに高知放送では過去の放送事故では解雇が行われてこなかったという実態もありました。
また、初回の寝過ごしの後に会社が適切な処置をとっていれば2回めの寝過ごしは防げたであろうと考えられるところ、会社がなんらの処置をとっていなかったこと、一年程度前に放送責任者の宿直制度が廃止され、早朝の放送体制が手薄になっていたことなど、会社の管理体制にも不備があったとされました(なお二回めの事故については報告が遅れ、また事実と違う報告があったなど、アナウンサーに不利な状況もありました)。
これらの事情のほか、アナウンサーの普段の勤務状況や反省の程度といった情状を総合的に勘案し、解雇は社会通念上相当であるとはいえないとして無効とした地裁判決が、高裁、最高裁でも支持されたという事件です。もちろん、それでも解雇で仕方がないと考える人もいるかもしれませんが、「2週間に2回も寝過ごして放送に穴をあけた」という情報だけで考えた場合に較べて、だいぶ減るのではないでしょうか。解雇権濫用法理とはそういうものなのでしょう。