ワークライフバランスとライフワークbyヨドバシカメラ人事

匿名の方からブログのネタを燃料投下していただきました。ありがとうございます。なかなか面白い材料なので、さっそく取り上げてみたいと思います。リクナビの各社サイトにある「人事ブログ」という記事で、株式会社ヨドバシカメラの採用担当「山下敬史」という署名があります。お題は「「ワークライフバランス」よりも・・・」。なかなかの傑作なので全文引用しましょう。

 「なぜ働くのか。」
 この質問に対し、社会人の中にも「生活のためにしかたなく」としか答えられない人がいます。
 せっかくの人生、それではもったいないと思います。
 生活のため、収入を得ることだけを考えるなら、アルバイトのほうがよほど気が楽です。
 しかし、それでは将来が不安。
 「本当は気楽で自由な学生でいたいけれど、将来のためにしかたなく我慢して働く。」
 就職活動中の皆さんの中には、こんな考え方をしている人もいらっしゃるのではないでしょうか。
 実は、私自身、学生時代は「働きたくない」と思っていました。
 しかし、働いてみてわかりました。仕事は、人生を豊かにします。
 ワークライフバランスという言葉があります。
 ここ数年で、耳にすることが増えてきた新しい言葉といえるでしょう。
 「仕事と人生とのバランスがとれている、良い状態」ということを表す言葉だとされているようです。
 しかし、世の中には、もっと以前から言われているすばらしい言葉があります。
 「ライフワーク」
 人生をかけて磨き上げる仕事、技術、製作物。ワークライフバランスという考え方の対極といえるでしょう。
 どちらが幸せか?とか、どちらが正しいか?という議論は不毛です。それは、厳しい部活と自由度の高い同好会を比べ、どちらが学生生活にとって有意義かを議論するようなものです。その人が何を大切にする人なのかによって、結論は全く変わってくるでしょう。
 ただ、議論の余地なくはっきりしていることがあります。
 ライフワーク型の人生を送っている人のほうが、輝いて見えます。人から尊敬されます。そして、世の中に良い影響を及ぼします。歴史に名を残すのもこのタイプの生き方の人です。苦労も多いのですが、周りが考えるほどつらくない。イヤなのを我慢しているのではなく、本人もノリノリでやっていますから。
 学生の皆さんには、「生活のため」以外の働く理由を見つけて欲しい。
 ワークライフバランスという考え方の人生で得られるぼんやりした幸せではなく、ライフワークといえるような、全身全霊をかけて打ち込める仕事を見つけ、充実した人生を送って欲しい。
 だからといって、なにもかも捨てて仕事人間になろうなどと思う必要はありません。
 なぜかというと、ライフワーク型の人物は人から尊敬され、愛されます。努力するので成長し、出世・昇給も早いです。そして努力の貴さ・時間の大切さを知っているので、余暇も有意義に楽しく過ごします。つまり、ワークライフバランスの概念を、ずっと高い次元で実現できてしまうのです。
 ピンとこない人は、これまでの人生を振り返ってみてください。
 あなたの記憶の中で輝きを放っているのは、無理なく適当に努力した思い出ですか。それとも、苦労もしたけれども全力でがんばった思い出ですか。
 「あのとき、もっとがんばっていればよかった」と思っても、思い出は永遠です。後から変えることはできません。
 しかし、これからどんな思い出を作っていくかは、自分自身のこれからの選択と行動にかかっています。
 さあ、就職活動。ライフワークを見つけるために、できるだけ多くの会社を訪問し、自分を表現できる会社を探しましょう。
 先入観は邪魔なだけです。自分の目で、耳で、五感をフルに使って得た情報こそが、自分の人生を懸ける判断の基となります。
 ヨドバシカメラは、本気の人の集団です。
 本気の人生を送りたい方、お待ちしています。

 株式会社ヨドバシカメラ
 採用担当 山下敬史
http://job.rikunabi.com/2011/company/blog/detail/r571700004/13/

これ自体は面白い人だなあどうぞご自由に、でも周囲に迷惑がかからないようにくれぐれもという程度のもので、いや実際これで過労でダウンされでもしたら周りはいい迷惑ですし、私に対して貴様もそうしろと言われれば余計なお世話だ、そんなこと言う人といっしょに働きたくはないなあとも思うわけですが、そういうことをしないならお好きにどうぞということです。仕事をライフワークと見定めて全身全霊をかけてそれに打ち込むのだ、という生き方もそれなりに立派なものになりうるでしょうし、その人にとってはそれが最適なワークライフバランスでもあるわけですから。
会社にしても同じことで、そういう人ばかりの会社にしたいならこれでいいわけです。ホリエモン氏がいうように、立ち上がったばかりのベンチャーなどではメンバー全員が昼夜兼行でシャカリキになって働く、ということも十分ありうるわけで、周囲に迷惑をかけず、メンバー全員がそれをよしとするならそれでいいわけです。ただまあヨドバシカメラってそういう会社だったっけという感はあるわけで、ベンチャーであれば成功すればメンバー全員が十分満足のいく報酬を得られるでしょうが、ヨドバシカメラだと全員が本当にそうなった場合には全員が「出世・昇給も早い」とはまいらないのではないかと思われます。となると全身全霊かけても結果的に出世・昇給が遅い人も出るわけで、そういう人に対しては「いやでも全身全霊をかけて打ち込んで苦労もしたけど輝く思い出ができたからそれでいいじゃん」ということなのかもしれませんが、しかしなんかこれブラック企業じゃないのと思わなくもありません。
ということで、ご自由ではあるのですがしかしこれで世の中の企業や人事担当者ってのはみんなこんなもんだと思われたら困るなあとも思いますので、この議論のなにがダメかについて少し書いておこうと思います。
この人はおそらく「ワークライフバランス」と「ライフワーク」の字面が似ているのに気がついてこういう文章を着想したのでしょうが、ワークライフバランスの「ワーク」とライフワークの「ワーク」とが同じものだと思い込んでいるところに根本的な間違いがありそうです。ワークライフバランスの「ワーク」はまあ収入を得るための仕事、多くの場合は雇われて働く仕事と考えて問題ないものと思いますが、ライフワークの「ワーク」は必ずしもそうした仕事とは限りません。たとえば国語の教師をやりながら小説を書いて文芸誌の新人賞に応募し続けてます、というような人はけっこういるわけですが、この人にあなたのライフワークはなんですかと聞けば当然「小説」という答が返ってくるわけです。教師の仕事は「生活のためにしかたなく」やっているにしても、立派なライフワークがあるわけで、こういう生き方がヨドバシカメラ的仕事をライフワークとする生き方と比較して優劣があるとは私には思えません。とりあえず学校では全身全霊かけた熱血教師のほうが輝いてみえるかもしれませんが、人生すべて職場で過ごすわけじゃありませんしね。
あるいは、もっと一般的に、70歳過ぎた人たちにあなたの人生振り返ってみてライフワークはなんだったと思いますかと質問してみれば、まあ○○会社を定年まで勤め上げたこととか答える人も相当割合いると思いますが、「いろいろありましたが二人の子どもをなんとか育て上げました」といった答も同じくらい出てくるのではないでしょうか。これまた仕事は「生活のためにしかたなく」やっていたけれど、家庭を生きがいに、子どもを育て上げることをライフワークにするという生き方は、これは一定のワークライフバランスを伴うものだと思いますが、これまた立派な人生と申せましょう。というか、この人が結婚されているかどうかわかりませんが、されているならあなたの配偶者のライフワークについてどう思ってるんですか小一時間問い詰めたい(笑)気もしないではありません。まあいまどきこういう人はなかなか結婚できないだろうと思いますけどね。いやそれとも、文章を読んでなんとなく入社数年めくらいの若い人を想像していたのですが、案外「男は仕事、女は家庭」式の旧弊な性役割意識を持ち、夢追い型フリータに対して「いつまでも定職につかないとは今時の若い奴等はけしからん」とか説教してしまう勘違いオヤジだったりするのかも?いやこれは失礼。
ですから、この人の脳内ではライフワークが「ワークライフバランスという考え方の対極」ということになっているようですが、これもまったくの間違いで、この人のお好きな仕事をライフワークにして全身全霊かけるのもこの人にとってのワークライフバランスですし、なるべく要領よく働いて小説を書いたり育児に携わったりする時間を確保しようというのも一つのワークライフバランスであるわけです。この場合、小説や子育てをライフワークとする人にとってはライフワークとワークライフバランスは対極どころか密接不可分のものです。
もちろん、この方がそういう生き方がお好きならそれは好みの問題ですし、ヨドバシカメラにとってはそういうのが「本気の人」であってそういう人ばかりを揃えたいのならそういう採用をすればいいでしょう。とりあえずそれでうまくいっているというのであれば外部が文句を言うことではないでしょう。とはいえ、おそらくほとんどの企業や人事担当者は「そんなんでうまくいくわけないよねえ」と考えているはずで、多様な人材を集め、ワークライフバランスを人材確保や定着、意欲向上のツールとして活用することを考えているはずです。自分の狭量な信念があたかも唯一の真実であるかのように論じられると、同じ人事担当者としては恥ずかしいなあと、まあそういう感想を持ちました。感じない人は感じないんでしょうが。