セーフティネット(1)

「キャリアデザインマガジン」98号に掲載したエッセイを転載します。


 2002年から2006年にかけて、国立国語研究所は「外来語」委員会を設置して、公共性の高い場で使われている分かりにくい「外来語」について、その言い換えの検討を実施した。その結果、4回にわたり176語の外来語の言い換えが提案されたが、第2回の提案の中に「セーフティーネット」が含まれている。当時の評価では、この語を理解しているのは全国民の50%未満、60歳以上に限れば25%未満とされているから、当時はまだ耳慣れない用語だったのだろう。ちなみに、提案に記載された「意味説明」には「経済的な危機に陥っても、最低限の安全を保障してくれる、社会的な制度や対策」との定義がある。さらに「手引き」には「社会保障制度、金融機関破綻の際の預金者保護制度など、一部の危機が全体に及ばないようにするための安全保障制度や安全対策を指す」との解説があり、語源について「サーカスなどで落下防止のために張る網を指す語が,社会的な安全保障の制度を指すようになったもの」と記載がある。
 これに対して国立国語研究所の委員会が提案した言い換えは「安全網」だった。用例としては「社会保障制度の最後の安全網である生活保護制度がその期待される役割を適切に果たしていけるよう」と示されている。直訳だが、語源からくる雰囲気を伝えるには最適かもしれない。委員会はその他の言い換え語例として「安全保障制度」「安全対策」も提案しているが、前者は軍事的な安全保障の印象が強く、後者ももっぱら交通安全や災害対策などを想起させるだろう。
 もっとも、2002年当時に較べれば、現時点では外来語のままの「セーフティネット」の認知度もかなり上昇しているのではないか。この語が近年「公共性の高い場」で用いられた最初の目立つ例は、小泉政権発足後の2001年6月に閣議決定された経済財政諮問会議の「経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」、いわゆる「骨太の方針」においてだと思われる。amazonのサイトで「セーフティネット」「セーフティーネット」などを書名に含む和書を検索してみたところ29点ヒットしたが、2001年6月以前の本は2冊のみとなっているから、2002年時点であまり認知されていなかったのも無理はない。しかしそれ以降、競争促進策の採用が進んだり、低成長が続く中で雇用問題や「格差」、「ワーキングプア」などに注目が集まったりしたこともあって、セーフティネットはほぼ常に重要な政策課題のひとつとされてきた。この間に相当の周知が進んだことは想像に難くないし、実際に2008年のリーマン・ショックを受けて同年10月に打ち出された総合経済対策である「生活対策」においても、雇用と金融(資金繰り)の両面で「セーフティネット」が連呼されていて、「安全網」との言い換えは行われていない。ちなみにamazonの検索で「安全網」を書名に含む和書は1点のみで、しかも漁業書だ。どうやら「セーフティネット」は日本語に言い換えるまでもなく普及しているようだ。