佐藤博樹・佐野嘉秀・堀田聰子編著『実証研究 日本の人材ビジネス』

「キャリアデザインマガジン」第97号に掲載した書評を転載します。堀田先生、また名前を間違われていますね…正しくは「聰子」です。

実証研究 日本の人材ビジネス

実証研究 日本の人材ビジネス

 東京大学社会科学研究所人材ビジネス研究寄付研究部門は、株式会社スタッフサービス・ホールディングスの奨学寄附金にもとづいて、2004年から2010年にかけて6年間設置され、多くの研究成果がもたらされた。調査プロジェクトは数え上げるのが困難なほどの多数にのぼり、いずれもが大規模なアンケート調査や聞き取り調査、あるいはその双方を実施している。成果物としても「研究シリーズ」として2004年10月の佐藤博樹・佐野嘉秀・藤本真・木村琢磨『生産現場における外部人材の活用と人材ビジネス(1)』から2010年3月の木村琢磨・鹿生治行『登録型派遣業における営業担当者の仕事と技能』にいたる17冊を数えるし、「資料シリーズ」も5回にわたって実施された「人材ビジネスの市場と経営に関する総合実態調査」の結果を中心に7冊にのぼる。そのほか、この研究をもとにした出版、論文も数多く、博士論文5本など研究者の育成にも大きな成果を残した。
 この研究部門が開設された2004年は製造派遣が解禁された年でもあり、「失われた10年」を抜けて労働需要が回復する中で、人材ビジネスは新たなマッチングのしくみとして注目されていた時期だ。しかしその後、2006年のNHKスペシャル「ワーキングプア」の放送や、その直後の安倍内閣の発足あたりを契機として非正規労働問題が大きな注目を集めるようになり、人材ビジネスに対しても「不安定・低賃金雇用の温床であり、ワーキングプアの元凶」といった否定的な論調が拡大していった。それが頂点に達したのが2008年から2009年の年末年始に日比谷公園で開催された「派遣村」であったと言ってもそれほど大きな間違いではあるまい。
 こうした中で、派遣労働は大幅な製造派遣の再禁止など規制強化の方向に向かうことになったが、しかし、この「派遣村」自体、直後から「集まった人のどれほどが(元)派遣社員だったのか」といった疑問が呈されていた。ことほどさように、こうした世間での議論も、法改正の検討も、人材ビジネスの正しい実情が必ずしも周知されないままに展開されていたきらいは否めない。実際、急速に拡大した人材ビジネスについて、その実情を明らかにした調査は乏しく、その中でこの研究部門は非常に貴重な存在だったはずだ。
 この本は、この「人材ビジネス研究寄付研究部門」の集大成ともいうべきものだろう。3人の共編者はいずれもこの研究部門の中心的な役割を担った。研究対象は派遣と請負が中心だが、一部で民間職業紹介も取り上げられている。研究の視点も、人材ビジネスの機能と経営管理、生産・設計・事務・営業・介護さらにはコールセンターなどのさまざまな職種・業種における派遣や請負の人材活用、派遣・請負人材の動機づけや技能形成・キャリア形成、さらには人材ビジネス従事者の人材育成など、まことに広汎であり、重要なポイントを網羅している。それゆえにまことに大部ではあるが、わが国人材ビジネスの現時点における実情を広汎に知ることのできる信頼できる研究書である。内容をみても、世間で人材ビジネスや派遣・請負労働者に対して持たれているイメージとはかなり異なる現実も示されており、政策論においてもきわめて貴重な貢献であって、今後の議論に大いに生かされることを期待したい。
 逆にいえば、こうした実証研究の成果が十分に踏まえられず、主に政治的要請によって派遣法改正が行われようとしている現状は遺憾というよりない。たとえばこの本の第1章は登録型人材派遣、第2章は資本系人材派遣(いわゆる「インハウス派遣」)の経営管理について述べられていて、これらはいずれも今回の改正法案では禁止を含む厳しい規制が課されることとされているが、これらの章と後続の関連の各章とをあわせ読めば、これらを禁止することへの疑問はかなり大きいことが知られよう。
 もちろん、この本からは現在の人材ビジネスが抱える課題や問題点なども多数浮かび上がってくる。決して人材ビジネスが現状のままでよいとされているわけではない。大切なことは問題があるから一律に禁止するということではなく、実態をふまえてより健全で高付加価値な産業として人材ビジネスを育成し発展させていくことであろう。そのための議論の基礎として、この本をはじめとする人材ビジネス研究寄付研究部門の業績はおおいに有意義だろうと思われる。