受動喫煙のない職場の実現

きのうのエントリでご紹介しましたが、昨年7月に発足した厚生労働省の「職場における受動喫煙防止対策に関する検討会」が、この5月26日に報告書を発表しました。
初回の資料によれば、この検討会の目的はこうなっています。

 職場における受動喫煙防止対策については、平成4年以降、快適職場形成の一環として分煙対策等を進めてきたところであるが、職場における喫煙対策に対する労働者の意識が高まりつつあり、また、WHOたばこ規制枠組条約へのわが国の署名・条約の発効などの環境変化を踏まえ、労働者の健康障害の防止のための措置としての受動喫煙の防止対策のあり方について、所要の検討を行うこととする。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/07/dl/s0709-17b.pdf

まあ労働基準局的にはこういうことになるのでしょうが、一般になじみが深いのは平成14年の健康増進法でしょう。これは同じ厚生労働省ではありますが健康局の管轄であり、こちらはこちらで「受動喫煙防止対策のあり方に関する検討会」を開催し、昨年3月にはすでに報告書も発表されています。
そこで、まずWHOの条約というのがどうなっているのかを見てみますと、これは平成15年に採択、平成17年に発効した「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」で、受動喫煙だけではなく、密輸の禁止、有害性の告知や広告の規制、需要を減らすための価格政策や課税、情報開示などが幅広く定められています。その中で、受動喫煙について定めたのが次の第8条です。

第八条 たばこの煙にさらされることからの保護
1 締約国は、たばこの煙にさらされることが死亡、疾病及び障害を引き起こすことが科学的証拠により明白に証明されていることを認識する。
2 締約国は、屋内の職場、公共の輸送機関、屋内の公共の場所及び適当な場合には他の公共の場所におけるたばこの煙にさらされることからの保護を定める効果的な立法上、執行上、行政上又は他の措置を国内法によって決定された既存の国の権限の範囲内で採択し及び実施し、並びに権限のある他の当局による当該措置の採択及び実施を積極的に促進する。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty159_17a.pdf

さらに、これについてはより具体的な内容を示した「履行のためのガイドライン」も平成19年に採択されています。安全衛生情報センターの「平成19年度受動喫煙の健康への影響及び防止対策に関する調査研究委員会報告書」にその骨子が掲載されていますので転載しましょう。

  • ちなみに安全衛生情報センターは中災防が運営していて、さる5月21日の事業仕分けで「事業の廃止」とされてしまいましたが、これがまた公開資料を見るかぎりはいいかげんでなんとなくの仕分けでして。労働保険のカネでやっていて、現役の出向や天下りがいるという時点で結論が決まっていて、あとはあれこれ後付けで難癖みたいな理屈をつけてみた、というようなシロモノにしかみえません。

(1)たばこの煙にさらされて安全というレベルはなく、受動喫煙による健康被害を完全に防止するためには、100%禁煙とすべき。換気、空気ろ過、指定喫煙区域の使用等では不十分である。
(2)すべての屋内の職場及び屋内の公共の場は禁煙とすべきである。
(3)人々をたばこの煙からさらされることから保護するための立法措置が必要である。また、自主規制による禁煙対策は不十分である。有効であるためには、法律は単純、明快でかつ強制力をもつべきである。
http://www.jaish.gr.jp/user/anzen/sho/kitsuen/h19_kitsuen/H19kitsuen_fu_3.pdf

次にわが国の法規制はというと、労働安全衛生法第71条の2が「事業者は、事業場における安全衛生の水準の向上を図るため、快適な職場環境を形成するように努めなければならない。」と快適環境の努力義務を定めていて、同第71条の3で厚生労働大臣が指針を公表するとされています。この指針は非常に広範な範囲をカバーしていますが、その中に「屋内作業場では、空気環境における浮遊粉じんや臭気等について、労働者が不快と感ずることのないよう維持管理されるよう必要な措置を講ずることとし、必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずること。」との一項があります。これを根拠に、局長通達で可能な限り喫煙室を設置すること、空気清浄機設置では不十分なこと、満足すべき基準数値などが示されています。
健康増進法のほうは第25条で「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。」という努力義務が定められており、これまた平成15年の局長通達で、全面禁煙は極めて有効だが、施設の態様や利用者のニーズに応じた適切な分煙対策が必要であり、やはりその満足すべき基準数値(労働安全衛生法と通達と同じ、というかこちらが先)が示されていました。
いずれにしても努力義務であり、WHOの文書に較べるとかなり緩やかなものにとどまっています。まあ、WHOのものが厳格になるのは当然といえば当然とも申せましょう。
そこで諸外国はどうかというと、厚生労働省の研究会の報告書の巻末に諸外国の例が出ていて、たとえば米国では連邦法による規制はなく州法に委ねられています。この手の規制がいちばん厳しいカリフォルニア州では「職場の閉ざされた空間内において、使用者は故意に喫煙を許可してはならず、また、何人も喫煙をしてはならないと規制している。一般的なレストラン、バーでの喫煙は不可(ただし、一定の要件を満たす喫煙室等については除外されている)」となっています。ニューヨーク州は「職場、レストラン・バー等の飲食店、公共交通機関等では喫煙禁止(喫煙室の設置そのものが禁止されていると解釈されている)。ただし、会員制のクラブ、一部のシガーバーやレストランの屋外席の一部を除く」だそうで、吸いたければ外で吸えということですねこれは。まあ、厳しい例があげられているかもしれませんが。欧州をみると英国も全国レベルの規制はなく、イングランドでは「レストラン・バーを含めた屋内の公共の場、職場及び公共交通機関において喫煙禁止」。ドイツは「使用者は非喫煙者がたばこの煙による健康被害をこうむることがないよう必要な措置を講じなければならない。必要があれば、職場の全部若しくは一部に限定して喫煙禁止を定めなければならない。ただし、飲食店等接客業の使用者は事業の性質や労働の種類に照らして可能な限りで保護措置をとる義務を負う」。フランスは「多数の者が共用する場所(企業、レストラン、公共交通機関等)においては、換気型の喫煙室を除き、喫煙は禁止される」ということで、ニュアンスの違いはありますが、わが国にような努力義務ではなく、かつ内容的にも厳しいものになっているようです。
さてわが国に戻りますと、この2月25日には、まず健康増進法のほうが先行し、昨年発表された「受動喫煙防止対策のあり方に関する検討会報告書」をふまえた新たな局長通知が発出されました。そこでは「全面禁煙は、受動喫煙対策として極めて有効であると考えられているため、受動喫煙防止対策の基本的な方向性として、多数の者が利用する公共的な空間については、原則として全面禁煙であるべきである」と全面禁煙促進を打ち出しました。全面禁煙が極めて困難である場合にも、従来基準を遵守し、将来的には全面禁煙を目指すことを求めるとしています。これに追随する形で、労働安全衛生法のほうでも研究会報告が出たということになるわけです。
その内容をみてみますと、まずは基本的方向として「快適職場形成ではなく、、労働者の健康障害防止という観点から対策に取り組む」「労働安全衛生法受動喫煙防止対策を規定する」ことが示されました。
具体的な措置としては「全面禁煙又は空間分煙」とし、空間分煙の場合は従来基準を満足することとされています。飲食店、ホテル・旅館等、顧客が喫煙するため全面禁煙・空間分煙が困難な職場では、「顧客に対して禁煙等とすることを一律に事業者に求めることは困難」としながらも、喫煙区域の割合の減少、換気等の設備的対応、さらにば「適当な場合は保護具の着用等」の措置により、「可能な限り労働者の受動喫煙の機会を低減させることが必要である」としています。保護具ねぇ…たばこの煙はどのくらいのフィルターで除去できるのでしょうか。花粉症のマスクをぬらしたくらいじゃダメだよなぁ…通常の粉塵用マスク(こんなのとかhttp://www.mmm.co.jp/ohesd/particulate/index.html)でも大丈夫なのか、有機溶剤とかも吸収できるような工業用の防毒マスク(こういうのとかhttp://www.mmm.co.jp/ohesd/gas/スリーエムの回し者かおまえは)が必要なのか…そのうち、喫茶店のウェイターや居酒屋やパチンコ屋のフロア係が防毒マスク着用なんてのが普通になるのかもしれません。ちなみにこうしたケースについては定量的にチェックできるように「換気量や何らかの濃度基準等の設定を検討することが必要」だともされています。
その他、受動喫煙防止対策の責任者の明確化、労使への受動喫煙による健康影響についての教育の実施などが盛り込まれています。
その上で、以上の取り組みについては快適職場ではなく労働者の健康障害防止であるから「事業者の努力義務ではなく、義務とすべき」と義務化を提唱しています。さらに「労働者が、当該措置に関する事業者の指示に従うべきことは言うまでもない」としており、これは禁煙に従わず喫煙する労働者は懲罰の対象となりうることを示唆しているように思われます。
義務化ということになると、空間分煙のために相当の設備投資を余儀なくされるケースが当然想定されますが、報告書は一応、顧客が喫煙する職場において「喫煙専用室の設置など労働者の受動喫煙防止に有効な対策を講ずる中小企業に対しては、経済的な負担にも配慮し、財政的支援を行うことが望まれる」と、限定的ではありますが中小企業への補助金のようなものにも言及しています。まあ、そもそも喫煙はしないことが望ましいという考え方に立てば、喫煙の便宜のために公費を費やすことは認められないという理屈はよくわかります。そこで、商売上どうしようもない中小企業に限って…ということになったのでしょう。
ということは、逆に言えば一般的な工場や事務所などの職場の空間分煙に対しては規模の大小を問わず助成金は出ないということになりそうです。となると、それだけの設備投資が難しい企業においては、義務化と同時に「全面禁煙」に踏み切る企業も少なからず出て来そうです。事業主にしてみれば、影響は愛煙家の生産性が若干低下するくらいのものですから、それでいいよということになるかもしれません。実際、都心の新しいオフィスビルでは全館禁煙という例も珍しくなく、加えて路上禁煙もあいまって、ビルの玄関先で数人が所在なげに喫煙しているという風景もみかけるようになりました。こうした光景に対しては、「外で吸っている人はみっともないが、ビルの所有者や入居者に対しては禁煙に積極的でむしろ好印象」という意識も広がりつつあるとか。
こうした中で、愛煙家にとって最後の拠りどころは案外労働組合なのかもしれません。しかし、労組はもちろん快適職場環境の観点から分煙には積極的ということになっているのでしょうが、2008年に策定された連合の労働安全衛生取り組み指針(http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/roudouanzen/data/torikumi_shishin200805.pdf)をみると、受動喫煙対策は項目として文言だけは出てくるものの、具体的な記述はほとんどなく、この問題にはそれほど熱意を持っていないようにみえます。同じころに実施された連合の第6回「安全衛生に関する調査」の報告(http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/roudouanzen/data/6thhoukoku_200902.pdf)をみても、5項目選択できる複数回答にもかかわらず、組合が取り組んでいる安全衛生対策活動として受動喫煙対策をあげている労組は11.8%しかなく、会社(当局)が取り組んでいるという回答の18.2%を下回っています。このように組合より会社の数字が大きくなる項目は、報告書の記述によれば「「4S活動」や「KY活動」に対し、取り組む組合は少ない。これらの取り組みは既に組合が対策と改善を要求し、会社において実行に移されたものと考えられる」とのことで、ということは受動喫煙対策もすでに会社が適宜やっているから組合としてはそれほど力は入らない、ということなのかもしれません。まあ、労組としてみれば、組合員の中には当然ながら愛煙家も相当数いるわけで、あまりに喫煙が不便になるのはこうした組合員のことを考えると好ましくないとの考えもあるのでしょう。「全面禁煙」のようにあまりに受動喫煙対策を徹底してしまうと愛煙家組合員の不満が高まるということで、不満が出ない程度に会社がやってくれるのが好都合、ということかもしれません。
現状はそれで済むとしても、いよいよ受動喫煙対策が義務化ということになると、労組としてもこの問題に対するスタンスの明確化を迫られるかもしれません。使用者が「受動喫煙対策が義務化されたが、わが社では株主のおカネで空間分煙をするわけにはいかないので、全面禁煙とする」と決定しようとしたときに、労組として愛煙家組合員のために会社に喫煙室設置を要求するのかどうか、という問題です。喫煙している間はそれほど生産的な活動をしているようには見えないわけで、会社に対して喫煙室設置投資に見合うだけの生産性向上がありうると納得させるのは至難の業でしょう。となると、喫煙室の設置は労働条件の向上に利用可能な限られた原資の中から行わざるを得ないことになり、喫煙しない組合員からは「喫煙室よりベアを取れ」「なぜ、喫煙者に対してそこまで便宜をはかるのか」といった不満の声も出てきかねません。このあたり、組織内をどのようにまとめていくのか、受動喫煙対策の義務化は使用者よりむしろ労組にとって難しい課題になるのかもしれません。