安定配当は株主にも利益

少し間があいてしまいましたが、一昨日の日経新聞「経済教室」を取り上げます。宮川寿夫大阪市大専任講師と伊藤彰敏一橋大教授が登場され、きわめて興味深い議論を展開しておられます。見出しは「「安定配当」、株主の利益にも」「経営の裁量、価値生む 人的資産の能力発揮へ」となっています。


 配当に関する理論は、ミラーとモジリアーニ(MM)の配当無関連命題(1961年)を出発点として、飛躍的な発展を遂げた。一定の条件の下で配当をいくら変更しても企業価値に影響を与えないとする彼らの主張は、逆に彼らが課した条件を一つ一つ取り除くことによって、配当は企業価値に影響を与えうることを示唆した。…
 株主と経営者の利害が常に一致していることも、MM命題の条件である。しかし、一般的な企業では「所有と経営」が分離しており、…経営者は企業経営に際して一定の裁量を持ち、自らの個人的便益を優先することが可能で、株主利益の最大化のみを目的に行動はできない。…
 企業を「契約の束」であると考えるエージェンシー理論は、経営者は株主との契約で経営という業務にあたっており、株主が強い支配権を持って経営者を監視することが企業価値の拡大につながると考える。ジェンセン米ハーバード大学名誉教授のフリーキャッシュフロー仮説(86年)はその支配権の代替的存在として配当をとらえている。つまり、無駄なキャッシュを配当として株主に支払えば経営者の裁量を奪うことができ、個人的便益を優先する経営者の身勝手な行動を抑止する。この考え方では、配当を支払うことは企業価値にプラスの影響を与える。一昨年まで、内外の投資ファンドが企業に対して数多くしてきた提案も、その多くはエージェンシー理論の考え方をよりどころとしたものである。
 しかし、エージェンシー理論を現代企業の実務にそのままあてはめるのはやや問題がある。なぜなら経営者が何の制約も受けず行動するリスクより、経営者の能力を発揮させるリターンの方が、株主にとっては重要な場面が多いと考えられるからである。
…高度な情報化が進んだ現代企業では、物的資産よりも従業員の技術力やノウハウ、経営者の知識や経営能力、組織のネットワークなど、広い意味で固有企業に特化した知的資産が競争力となることが多い。このようなケースでは経営に対する株主の支配力のみを過剰に拡大することには慎重になるべきであろう。むしろ経営者の裁量を拡大し、人的資産へのインセンティブ(誘因)を高めることによって、その企業に特殊な能力の発揮を促進することが株主にとっても合理的である。
 もし、経営者の裁量を狭めなければ企業価値が低下するという理由によって、企業が生み出すキャッシュフローを毎期、株主に配分したら、経営者や従業員は一体何をモチベーションとして努力するのであろうか。エージェンシー理論はこの仕組みを積極的に説明できない。そこでマイヤーズ米マサチューセッツ工科大学教授の外部株主モデル(2000年)による株主と経営者の関係に着目する。
…株主は究極的には企業の資産を経営者から剥奪する権利(残余コントロール権)を持つ。一方で、経営者と従業員は自分たちが企業から去ることによって企業特殊化した人的資本を持ち去ることができる。
 このような株主と経営者のトレードオフを調整する手段が固定的な配当政策であると主張するのがマイヤーズ教授である。すなわち経営者が毎期安定した配当を支払い続ける限り、株主の将来配当に対する期待は安定し、株主は現経営者による企業活動の継続を認め、経営への介入を行わないよう意思決定する。そうした固定的配当政策を継続できる限り、経営者の企業特殊的な人的資本投入のインセンティブが保持される。株主はそうした経営者のインセンティブを活用しながら株主資本コストに見合った投資収益を確保するのである。
 株主は企業に投資している以上、リターンを獲得するためには経営者にその能力を存分に発揮させ、企業価値を拡大させなければならない。そこで、株主は経営者の経営能力が収益に結びついたとき、そのすべてを配当として獲得するのではなく、経営者や従業員の企業特殊的能力を引き出すインセンティブとして内部留保を容認し、残りを配当として受け取る。経営者がインセンティブを失って企業収益が低下すると、株主の長期的利得は期待できないからである。そして、次の期も株主として投資を継続することを決める。これが、企業が配当を利益に100%連動させない理由である。
 企業の競争力の源泉が本当に経営者や従業員の人的資本に依存しているかどうかは企業による。しかし、固定的な配当政策を維持することは経営者が十分な経営能力を投下していることのシグナルとなる可能性が高い。
 実際に筆者2人による日本企業を対象とした共同研究(08年)では、こうした外部株主モデルを実証する結果を得ている。また、宮川が昨年発表した研究でも、企業特殊的能力とリンクする「研究開発費」が効率的に回収されている企業では配当と利益の連動性は低下し、配当は安定するとの実証結果を得ている。
 すべての企業にとって一律に妥当である配当政策は存在しない。なぜなら配当理論は一定の条件の下でしか成立しない「条件付き理論」だからである。ある企業にとって、どの配当理論が妥当であるかは、当該企業を知る経営者自らが真剣に考えなければならない。重要なことは、横並び意識ではなく、独自の配当政策を自ら検討し、その配当政策に行き着いた理屈を明確かつ毅然として経営者が株主に打ち出すことである。
 経営成果の株主への配分を意味する配当は、経営者と株主との十分なコミュニケーションによって徐々にお互いの妥協点を探っていくテーマであり、目先の直感的な視野で支払ったり要求したりするものではないはずだ。配当を利益に連動させることのみが必ずしも常に正しいわけではなく、配当を多く支払う企業が常に優良な企業であるとも限らないのである。
(平成22年6月1日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から)

人事管理の立場からも、まことに実感にあった、納得できる議論だと思います。
で、まあ備忘的にご紹介する以上の議論は特段できないのではありますが、ちょっとだけ敷衍すると周知のとおり、1990年代の後半ころから企業ガバナンスに注目が集まり、株主・投資家の発言力が強まりました。その中で、株式の持ち合いなどとともに、安定配当が「株主の利益を軽視するもの」として批判されるようになりました。
その論調は、こんにちでも基本的に変わっていないようです。その一例として、手近で目についた「IT業界を読み解くための経営分析入門」という日経BPのサイトの記事をご紹介します。「経営分析『入門』」というくらいですから、これが一般的な認識だということなのでしょう。

 従来から,日本においては,この1株当たり配当が,配当に関する指標として最も重視されてきたといえる。そして,ほとんどの企業が,1株当たり配当を一定にする配当政策を取っていた。すなわち,その年度の利益がどうであれ,1株につき10円配当すると決めたら,半ば意地でも10円配当し続ける政策である。これを,安定配当政策という。
 しかし,安定配当政策は,おかしな配当政策である。本来,配当は,1年間の利益を株主というオーナー間で山分けするというのが趣旨である。つまり,利益の多寡に応じて,当然,配当もアップダウンする性質のものだ。
 ところが,「とにかく配当してさえいれば,株主に対する義務は果たしている」という考えが強かったのか,1株当たり配当を一定にする安定配当政策が長年取られてきたのが日本の実態である。また,株の持合という慣行があり,企業同士がお互いに発行株式を持ち合うことで,配当の多寡にはいちいち物言わぬ「安定株主」を作ってきたのも,安定配当政策を支えてきた一因と言える。
 しかし,安定配当政策は,結果的には株主に対する義務も満足に果たさないことになることが多い。安定配当政策を取ると,配当水準は一般的に低くなるからだ。なぜならば,利益の多少にかかわらず,1株に対して常に一定の配当をしようとするのである。そうなると,どうしても利益が出ない悪い状態のときが基準になってしまうので,全体的に「低空の安定飛行」になってしまうからだ。

…配当性向を用いるという考え方がある。すなわち,「配当性向○%の配当をする」という配当政策である。こうすれば,利益の多寡に正比例して,利益が多ければ自動的に配当は多くなり,利益が少なければ配当も自動的に少なくなる。そして,その年度の当期純利益がマイナスの場合は,自動的に配当はゼロ,すなわち無配となる。
 こうすれば,利益の山分けという配当の本来の性質に忠実な配当が可能となるので,合理的である。また,業績がタイムリーかつ如実に配当額に反映されるので,株主にとって経営者の責任もシンボリックに明確に伝わる。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061006/250067/

たしかに、かつてのわが国では(とりわけ株式が持ち合われる中で)安定配当が「低空飛行」になりがちだったことや、それを含めて日本企業の多くが株主をやや軽視しすぎていたということは認めざるを得ないでしょう。その是正が漸進的に進められてきたのもまずは妥当な成り行きだろうと思われます。
それはそれでいいのですが、私のような素人にはわかりにくかったのが、株主への分配を増やすための方法論として「安定配当から配当性向重視にしましょうよ」という話が出てきたところです。分配を増やすなら、安定配当のまま配当額を上げるという方法だってあります。もちろん、「そもそも配当とは利益の山分け」であるとしても、必ずしも単年度で辻褄を合わせなければいけないわけではないでしょう。
そう考えてみると、「配当性向重視」というのは実は「株主重視」ではなく、「短期保有株主重視」ということではないかと思われるわけです。短期間でも売買を繰り返す投資家からみれば、今儲かっているなら今配当をよこせ、業績を長い目で見るなんて悠長なこと言われては困る、ということになるでしょう。また、上の「経営分析入門」にあるように、短期で考えれば配当はマイナスにはならず、赤字でもゼロにとどまります。しかし、中長期で考えると当然その期間の通算の業績をもとに配当が決まりますから、その分投資家としてみれば損になるということもあるかもしれません。
逆にいえば、「経済教室」がいうように、安定配当であってもそれが企業の成長や利益の増加を通じて、中長期のトータルでは配当性向重視の場合より多くの配当を株主にもたらすのであれば、それは「長期保有株主重視」ということになるのだろうと思われます。
どうも、近年のわが国では、「株主軽視の是正」を叫びながらも、実際には短期保有株主の利益がはかられてきたのではないかという印象があります。実際、会社法の改正以降、四半期決算のたびに配当する企業も増えてきましたが、これも投資家の短期指向が進んだ結果とみることができるでしょう。もちろん、短期指向がすべて悪いわけではないにせよ、行き過ぎると当然弊害があるわけで、たとえば中長期的な利益をにらんだ投資といったものはやりにくくなってくるわけで、人材育成についても同様、時間をかけて育てるなんてことはやっていられない、という方向に向かいがちになります。

  • やや脱線しますが、こうした短期指向の行き着く先のひとつとして、かつては「無駄なキャッシュを配当として株主に支払えば…経営者の身勝手な行動を抑止する」「配当は、1年間の利益を株主というオーナー間で山分けする」といった考え方を掲げて、内部留保の厚い企業の株を買い占めては配当の大幅な増額を迫り、その後売り抜けてしまえばあとは野となれ山となれ、といった総会屋まがいの投資ファンドが幅を利かせたことがありました。たとえば東京スタイルの経営陣に対してファッションビルへの投資をやめて配当せよと迫った村上ファンドなどはその典型と申せましょう。当時はのちに日銀総裁になる人までが「応援したい」と言ってこうしたファンドに出資していた(しかも、日銀総裁就任後も投資を続けていた)という実態まであったわけです。さすがに現在ではこうした極端なものは鳴りを潜めたようですが…。

しかし、米国の経営学研究でも、たとえばフェファーなどの著作を読むと、短期業績重視の経営は人材育成を阻害して企業の成長を妨げる、といったことが示されています。わが国でも近年では短期指向の行き過ぎへの反省が広がっているとみていいでしょう。
最初にご紹介した「経済教室」でも、「株主の長期的利得」が強調されています。日本企業が引き続き中長期的な成長を期するのであれば、さまざまな経営施策もそれに沿ったものになるでしょう。人材面においては、やはり引き続き長期的な企業内人材育成を競争力の源泉とする人材戦略を採用することになるでしょうし、配当政策においてはそれが安定配当だということなのだろうと思います。安定配当政策が長期保有の株主に有利で短期保有の株主に不利だということになれば、これは長期保有株主を増やすための方策にもなるでしょう。こうした考え方を支持する実証結果が出ているというのは勇気付けられる話です。