「私立中入試―経済学で考える 競合校ほど試験日同じに」吉田あつし筑波大学教授

長くなりましたがもうひとつ。5月5日に掲載された吉田あつし先生の論考です。見出しには「違いの最小化が有利 受験機会の拡大へ規制も」となっています。「こどもの日」にこれが掲載されたのは意図があってのことでしょうか?偶然でしょうかね?ちなみに前日(5月4日)は「しつけを経済学で考える」でしたが…。

…東京都と神奈川県の私立中学の…入試は例年2月1日に解禁となり、1週間程度続く。しかし、偏差値が近かったり地理的に近接したりする私立中学の試験日は重なる傾向が強い。なぜだろうか。
…生徒獲得の戦略として、価格戦略差別化戦略が考えられる。…他方、競合校と競争しながら優秀な生徒を獲得する方法として、競合校との違いを最小にするという「最小差別化」戦略も考えられる。この点を明らかにしたのが、米国の統計学ハロルド・ホテリングである。
 ホテリングの有名な寓話(ぐうわ)は、一直線に横に広がるビーチで、2人のアイスクリーム売りがどこに店を構えたらいいかという立地場所決め競争の話である。ただし、海水浴客はまんべんなくビーチに居て、みなアイスクリームを食べたいと思っており、一番近いアイスクリーム屋に買いに行くものとしよう。また、アイスクリームの値段は同じだとする。
 その時、競争の結果、2人のアイスクリーム売りは、ちょうどビーチの中央を境界にして隣り合わせに立地することになる。それぞれがビーチの右半分と左半分の需要を分け合っている状態だ。どちらかが少しでも中央から離れると、もう1人の売り子がその横にぴたりとつけば、半分以上の需要をとることができる。そのため、2人とも中央から動かない。これが立地場所の最小差別化である。
 しかし、海水浴客全体からみると、この立地は望ましくない。アイスクリームを買うために移動する距離の総和がもっと小さくなる立地場所があるからだ。ビーチに等間隔に、つまり、左端から3分の1の距離の場所と右端から同距離の場所にアイスクリーム売りが立地している場合が、海水浴客全体の移動距離の総和は最小になる。この寓話の教訓は、価格が固定されているときに立地場所の競争を行うと、最小差別化がおこり、必ずしも消費者の利益にはならないということだ。

 実際の経済はこれほど単純ではない。企業の新規参入は起こるし、価格競争も起こる。しかし、費用構造に大きな違いはなく、競争が厳しい産業では、最小差別化戦略がとられやすくなる。例えば、同一路線で競合する航空会社の出発時間がある時間帯に集中するのは、この理論から説明できる。実際、競争が厳しくなるほど出発時間が集中することが、米国やノルウェーの航空市場で確認されてきた。その集中は、特定の出発時間帯に対する需要の大きさからだけでは説明できない。出発時間の集中は、消費者にとって不便であることは間違いない。
 それでは実際の私立中学の試験日程はどうなっているだろうか。競合校と同じ程度の偏差値で地理的にも近いなら、入試解禁日の2月1日に試験をするのが最適な選択であろう。競合校に対して競争力がないと考えるならば、2日以降に試験をするだろう。競合校の不合格者の受け皿になることができるからだ。募集人員を分割して試験を複数回行うという選択も可能である。実際、偏差値が60以上の学校でも、2回程度の入試を行っている学校は多い。60以下の偏差値では、3〜5回程度は入試を行っている。…65を超えるような高い偏差値帯では1日から3日までの間のどこかで1回だけ試験をする学校が多い。50〜60くらいの偏差値帯では、ばらつきが大きく、50未満だと2日のあたりに集中することがわかる。
 学校数が一番多いのは50未満の偏差値帯であり、ここでの学校間競争が最も厳しい。多くの学校は、1日、2日は必ず試験を行い、それ以外の日に数回試験を行う。競争が厳しくなるほど試験日…が集中する傾向にある。
 日程戦略をより具体的に考えるためには「サンデーショック」がある年に、各校がどのように試験日程を変えたかを見ればよい。サンデーショックとは、2月1日に入試を行っているキリスト教系の女子中学が、その日が日曜日であった場合に、日曜礼拝を優先させるため試験日を2日に移動させ、それに対応して競合校が試験日程を変えることをいう。最近では09年に起こった。
 このとき、キリスト教系校に追随して2日に移動させた学校のほか、逆に2日から1日に移動させた学校もあった。ショックに対応して2日に移動させた学校と1日に移動させた学校の違いは、直面する競争の厳しさである。前者の学校は、地理的にも偏差値的にも近接している直接の競合校がキリスト教系校である一方、後者の学校はその併願校になっているのだ。結局、競争が厳しければ競合校の試験日と同じにしていることがわかる。
 競合校の入試が集中するということは、子供の学力に見合った学校の受験機会が少なくなることを意味している。第1志望校に落ちた場合、第2志望校は学力に見合っていなかったり、遠い学校になったりする可能性がある。子供の学力に見合っていて、希望する学校に入学できた状態が社会的にみて望ましいとするならば、現状はホテリングの寓話の教訓そのままで、望ましい状態ではない。
 しかし、望ましい状態を実現するために、よりましな制度を導入するのは実際にはなかなか難しい。かつての国公立大学入試制度に、試験日を3回に分け、有力大学をそれぞれに割り振るという連続方式があったが、2年で崩壊してしまった。その理由は、東京大学京都大学の両方に合格した学生の多くが東大に入学したからである。
 もちろん入試解禁日さえ決めれば、私立中学が独自の判断で入試日を設定することに問題はないという考え方もある。しかし、私立中学といえどもすべて授業料や寄付金のみで運営されているわけではない。東京都の場合、都から生徒1人当たり40万円弱の経常経費補助が出ている。さらに、近年議論されているように、教育バウチャーを導入するなど私学に対する財政支援を今以上に増やしていくというのであれば、社会的に望ましい状態を実現するように、入試日程の規制も考えるべきであろう。
(平成22年5月5日付日本経済新聞「経済教室」から)
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE2E4E4EBE2E4E4E2E2E3E2E7E0E2E3E29997EAE2E2E2;b=20100505

まことに興味深い内容で、本ブログの読者の方ならこれが企業の採用日程(特に大卒文系)にも該当するのではないかと即座に感じられるでしょう。もちろん、企業は私立中学に較べれば、労働条件を改善したり(価格戦略)、業績のよさや人材育成の充実度などを売り物にする(差別化戦略)などの方法で競争する余地ははるかに大きいだろうとは思いますが、いっぽうで市場競争が厳しい中では同業と較べて労働条件や業績、人材育成などを大きく優れたものとすることもそれほど容易ではないでしょう。
もちろん、企業は特定の日だけに入社試験を行うわけではなく、ある程度の期間がありますので、私立中学のように試験日を同一にして併願をシャットアウトすることはできません*1。とはいえ、選考の時期が集中するのは似たような事情によるのではないでしょうか。たとえば、経団連の機関誌上で倫理憲章の遵守を宣言する経団連会員企業は、採用を行う企業全体からみれば相互にそれほど競争力の差があるわけではないでしょう。いっぽうでこれら企業は「最終学年に達しない学生には実質的な選考活動は行わない」という経団連の倫理憲章の規制に服しますから、結果的に4月1日から選考を開始して比較的短期間に終わる、という活動になることが多くなるのでしょう*2
また、倫理憲章はしょせん紳士協定であって、紳士協定を守らない紳士というのは当然(では困るのですが)いますし、そもそも経団連会員企業(で倫理憲章に参加している企業)でなければ倫理憲章も関係ないということで、卒業の前年度からの選考活動が横行しているというのも周知のとおりです。これも、俗に世間で「出足(選考開始時期)が早い」と言われるのは、「マスコミ」や「コンサル・シンクタンク」といった「業界」で語られたり、あるいは「外資系」といったカテゴリで語られたりするわけで、これらのように相互に労働条件や業績などの面での競争力の違いが大きくない「似ている」企業群においては、やはりどこか一社が抜け駆けをすれば他社もやらざるを得なくなるわけで、したがって早期化するということになるのでしょう。
いっぽうで、比較的新卒採用市場での競争力が高くないと目される*3中小企業などは、採用活動の(開始時期はともかく)主力となる時期は遅くなり、また期間も長くなっているのではないでしょうか。今年は有力中小企業の採用時期が早まっているそうですが、これも今年は新卒就職市場が厳しいことに加えて、市場で競争力のある大企業が採用予定数を減らしていることもあって、有力中小企業の競争力が相対的に高まっていることの現れとみることもできるかもしれません*4
こう考えると、就職できないままに卒業してしまった既卒者の就職がさらに厳しくなるのも自然だということになってしまいます(わが国ではそこの落差が極端すぎる感はありますが)。再度新卒就職に挑むべく留年する例が増えているそうですが、この理屈でいけばかなり厳しくなるはずで(それでも卒業してしまうよりは新卒採用に再参戦できるだけでもかなりマシですが)、留年した理由をよほどうまく説明できないと苦しくなりそうです。3月31日のエントリのコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/comment?date=20100331#c)にある朝日新聞の社説では、「日本学術会議の分科会が、大学生を卒業後3年間は新卒と同様に扱うよう提案した」ことを紹介していますが、これも経済学的に考えれば、既卒になると極度に厳しくなることの緩和にはなっても、遅くなればなるほど厳しくなることの解決にはなりそうもない、ということになるのでしょう。
さて、こうした早期化・集中化・短期化の結果として就活生の望ましい就職が阻害されている可能性は、本文中の私立中学の例ほどではないにしても、かなり高そうな感じはします。まあ、就職が厳しいのは採用予定数の減少という循環的要因の影響が大部分だろうとは思われますが、しかししくみの問題があるのであればそれはそれで対応が必要でしょう(大きな期待はかけられないにしても)。
とはいえ、たしかに本文中にもあるように「よりましな制度を導入するのは実際にはなかなか難しい」わけですが、とはいえ私立中学に較べればまだしもできることもありそうに思えます。単純に考えて、早期化で困っているのなら開始時期を遅らせればいいわけで、いまの倫理憲章をより実効あるものとして(ここが非常に難しいわけですが)、選考開始時期を大幅に遅らせればいいわけです。実際、1985年までは選考開始時期は9月とされていたわけですので、やってできないというわけではないでしょう*5。集中化や短期化はこれでは解決せず、むしろ開始が遅くなる分集中化や短期化が進む懸念はあります。企業としても、新入社員研修など受け入れ準備を考えれば年内には終わっておきたいところでしょう。もっとも、採用数の少ない中小企業などでは年明けでもかまわないというケースも多いでしょうから、たとえば9月に始めて年末までの4か月ですべて終わってしまうということにもならないでしょう。むしろ、現状では学生からみた就活の長期化が問題視されているくらいですから、それほど障害にはならないでしょう。
問題はフライングによる早期化の防止ですが、この理屈でいけば競争力のある企業が憲章を守ればかなりの効果はありそうです。つまり、競争力の相対的に低い企業が早期化しても、その後新卒市場に大企業が参入してくると内定辞退が続発するでしょう。問題は競争力がある企業がフライングした場合で、これについては社会的な批判で抑止するしかなさそうなのですが、しかしその役割を担うべきマスコミがフライングしているのだからなぁ・・・orz
また、選考解禁日を遅らせることができたとしても、業界や企業ごとに採用日程をコントロールするというのは、仮にやってもいいということであってもかなり困難なはずです。それ以外の現実的な方法もなかなか考えつかず、企業に関しては「入試解禁日さえ決めれば、私立中学が独自の判断で入試日を設定することに問題はないという考え方」を取らざるを得ないかもしれません。なにかいい方法があればいいのですが…。

*1:これがに近いことが行われるのは内定解禁日に一斉に行われる「内定式」で、複数内定を獲得した学生はこの日に選択を迫られることが多いようです。

*2:秋冬まで長期的に選考を行う企業もありますが、それでも主力は4・5月というケースが多いようで、中には秋冬の選考は大学院からの進路変更者や海外大学卒業者が対象という例もあるそうです。

*3:当然ながら、傾向や確率の問題としてはともかく、競争力のある企業が必ずいい企業であるという保証はなく、競争力のない企業にもいい企業はたくさんあるでしょう。

*4:もちろん、供給サイド(就活生)の戦略変化もあるでしょうし、全体的に早期化している影響もあるのかもしれませんが。

*5:もっとも、その当時でも大手企業では各大学OBが非公式に後輩に接触する「リクルーター」活動はそれ以前から行われて、事実上の選考となっていたこともあるわけですが。