またも職業訓練バウチャーが浮上

もうひとつ連休中のネタです。数年前に「教育バウチャー」が取り沙汰され、いつの間にか消えました(なぜ消えてしまったのだろう?)が、今度は職業訓練バウチャーが再浮上してきたそうです。2日の日経新聞から。

 長妻昭厚生労働相職業訓練に使い道を限ったバウチャー(利用券)制度の創設を検討する。求職者が利用券を使って訓練施設を自由に選べる仕組み。訓練施設間の競争を促すことで、訓練内容の充実や就職率の引き上げも狙う。雇用回復が鈍いなかで、雇用の安全網(セーフティーネット)を拡充させる。
 厚労相は政府が6月にまとめる新成長戦略に盛り込む方針で、内閣府などと調整に入る。
 現行の職業訓練制度には年30万人強が受けている国や都道府県の「公共職業訓練」や、無償で訓練を受けながら月10万〜12万円の生活費をもらえる「緊急人材育成支援事業」がある。利用券制度を現行制度と置き換えるか、新たに加えるかは政府内で調整する。
 検討中の利用券制度は求職者が利用券を使って訓練費用の支払いに充てる仕組みで、換金や他人への譲渡は認めない。訓練施設は利用券を国か地方自治体に提出し、利用額を受け取る。対象者や限度額などの詳細な設計は今後詰める。
 現行制度は国指定の訓練施設に補助金を出すため、求職者はハローワークの職員らと相談して訓練先を決めるが、希望と合わない場合もある。厚労相は利用券にすれば、利用者獲得のために施設間の競争意識が強まり、就職率の底上げにつながるとみている。
 ただ厚労省内には「今も本人の希望を尊重している」との意見もある。緊急人材育成支援事業の予算は2009、10年度合計で約3500億円。雇用保険の対象者限定だが、利用者が訓練先を選べる制度として、英会話学校などの受講料の一部(上限10万円)を補助する「教育訓練給付」もある。財政が深刻な状況で新たなばらまき政策との批判が出る恐れもある。
(平成22年5月2日付日本経済新聞朝刊から)
http://www.nikkei.com/paper/article/g=9695999693819481E2E3E2E3828DE2E3E2E7E0E2E3E29F9FEAE2E2E2;b=20100502

記事によると現行制度として「公共職業訓練」と「緊急人材育成支援事業」があり、「利用券制度を現行制度と置き換えるか、新たに加えるかは政府内で調整する。」とのことですが、公共職業訓練は無償ではなく、別途学費(受講料)の支払が必要です。職業訓練バウチャーが支給されればその学費の支払いに充てることはできるでしょうが、「現行制度と置き換える」というのはいささか意味不明の感があります。また、「緊急人材育成支援事業」(訓練期間中の生活保障給付制度)の対象になる離職者訓練は無償なので、そもそも職業訓練バウチャーを支給されなくても受講することはできます。この事業が支給するのは記事にもあるように「生活費」なので、教育訓練バウチャーで代替できるものではありません。というか、そもそも生活費などに流用されないように現金ではなくバウチャーで給付するわけでしょう。ということで、これまた「現行制度と置き換える」というのはちょっと理解に苦しむものがあります。記事の書きぶりからは長妻大臣が「現行制度と置き換えるか、新たに加えるかは政府内で調整する」と語ったかのように読めますが、まさか大臣はそんな妙なことは言わないと思いますが…。
記事にもあるように、現行の教育訓練給付金制度は雇用保険の被保険者が対象(しかも被保険者期間が3年以上必要)とされていて、前職非正規社員の求職者の相当部分は対象にならないものと思われます。そこをカバーするために、求職者に対する助成制度を導入しようというのであればそれなりに有意義なアイデアだと思います*1。であれば、これは公共職業訓練や訓練期間中の生活保障給付と置き換えるというものではなく、追加されるのが筋*2だと思います。
さて、「再浮上」というのは2005年頃に経済財政諮問会議などでこれがかなり議論になったからで、栃木県ではモデル事業も行われ、いまでも継続されているようです。そもそもは当時すでに記事にもある教育訓練給付金制度が存在していたものの、その対象となる講座が厚生労働大臣が指定するもの*3に限定されていたため、受講者が受講したい講座がないとか、対象となる講座がビジネス界のニーズに即応していないとかいった指摘があり、だったらいっそバウチャーを労働者本人に直接渡して、それを使って自由に受講する教育訓練を選んでもらうようにすればいいのではないか、という議論だったと記憶しています。そうすれば民間事業者がますます競争していいものを提供するだろう、という議論もやはり当時あったように思います。
これが結局見送られたのは、やはり公費の助成を投入する以上は訓練の内容もさることながら訓練機関が安定的・継続的に訓練を提供できることが不可欠であり、それを担保するには行政の一定の関与が必要だという厚生労働省などの論が強かったからだと記憶します。また、記憶が定かではないのですが、受講開始時にバウチャーで受講料を支払うと、結局修了しなかった場合にも公費で助成を行うことになってしまうことの是非も議論されたかもしれません。
また、記事にも「換金や他人への譲渡は認めない」とあるように、対象者本人がこれを使って職業訓練を受ける(それを通じて再就職をはかる)ことが重要であって、換金や譲渡は好ましくないわけですが、しかしことはそれほど簡単なではありません。まあ、他人への譲渡に関しては、記名のバウチャーにして利用時に本人証明書類の提出を求める(訓練機関がバウチャーを現金化する際にその記録を必要とする)ことでなんとか対応が可能かもしれません。ただ、換金したいということであれば「受講を開始したもののすぐに中止し、残金は現金で払い戻された」という形式をとれば、訓練機関も痛みを被りませんし、案外容易に可能かもしれません。現実には記名方式への抵抗もあるでしょうし、いっぽうで職業訓練バウチャーの支給対象となる人は生活費が十分に充足されていない可能性が高いことも容易に想像できますので、換金が行われる危険性はかなりあるのではないでしょうか。となると、本当に教育訓練を受けてほしい人ではなく、別の人が受けるということになってしまいますし、なにより就職率の底上げという政策目的にも資さないということになってしまいます。
そう考えると、このように換金されては困る助成については、基本的には離職者訓練のような現物給付が望ましく、でなければそれに近い現行のようなしくみ(訓練内容が保証された機関について修了後に助成)にすべきなのではないでしょうか*4。つまり、現在教育訓練給付受給資格のない求職者を対象に、指定訓練講座を修了したら受講料を助成する制度をつくるわけです。指定講座は現行教育訓練給付制度と同一でいいでしょう。助成率については対象者の支払能力をふまえて、必ずしも教育訓練給付とは同一とせず、必要な水準を確保することも考えられるかもしれません。現行制度と別制度とするのは、被保険者期間の不十分な人を対象とするわけなので、財源は当然雇用保険ではなく一般財源によるべき*5であり、したがって明確に別制度とすることが望ましいからです。
逆にいえば、一時期「育児バウチャー」も少子化対策などで議論されたことがあったと思いますが、これは換金されてもさほど問題はないわけです。バウチャーを使ってサービスを利用しても、換金して自分で育児をしても、育児が行われることには変わりはありませんし、現物給付と較べて出産・育児を後押しする効果もさほど違わないでしょう(自分で育児するから現物給付なんかいらない、だったらおカネがほしい、という人がいる分、効果は大きいかもしれません)。もちろん、サービス供給の拡大や、競争を通じたサービスの価格低下・質向上も期待できるでしょう(まあ、あわせて所要の規制改革などが必要ではありますが)。となると、実は使途限定のバウチャーとする必要性も実は低くて、現金給付でもいっこうに差し支えない、というかこれはもはや「子ども手当」以外のなにものでもないわけで、したがってこの点からは子ども手当を現金給付することは妥当といえるわけです。あとは、サービス供給の活性化につながる諸般の規制改革が急務ということになるわけですが。

*1:栃木県の制度も、教育訓練給付制度との併用はできないこととされていたと思います。

*2:現行の訓練期間中の生活保障給付制度については、その対象となる離職者訓練は無償なので、こちらの制度を適用されている人は新たな訓練バウチャー制度の対象にはならない、という調整が必要でしょう。あるいは、訓練期間中の生活保障給付制度の対象となる職業訓練を有料のものにまで拡大し、それに対して新たな訓練バウチャーを充当できるようにするという方法も考えられるかもしれません。適否はまた別の話として。

*3:現実の指定を行っているのは外郭団体の中央職業能力開発協会なので、これも長妻大臣のお気に召さないのかもしれません。

*4:離職者訓練や、公共職業訓練のかなりの部分が独立行政法人雇用・能力開発機構)によって実施されていることも、長妻大臣のお気に召さないのかもしれません。同機構は廃止が決まっていますが、訓練自体は同じく独立行政法人の高障機構に移管されるわけですし。

*5:現実をみると、同様に一般財源によるべきであり、現に現在は一般財源で行われている「訓練期間中の生活保障給付制度」についても雇用保険特別会計で恒久化されようとしているというのが嘆かわしい実態なのですが…orz