川喜多喬『人材育成とキャリアデザイン支援』

もう一冊、「キャリアデザインマガジン」第89号に掲載した書評を転載します。

人材育成とキャリアデザイン支援-人材マネジメントの基本哲学-

人材育成とキャリアデザイン支援-人材マネジメントの基本哲学-

 書名が「人材育成とキャリアデザイン支援」と堅気なもので、副題は「人材マネジメントの基本哲学」とさらにものものしいが、一編6〜7頁の随筆を集めたエッセイ集である。著者が「労働新聞」に連載したコラムを中心に、他誌に掲載されたものを加えて全39本が所載されている。
 内容は多岐にわたるが、いずれも書名のとおり「人材育成」や「キャリアデザイン」の一側面を切り取ったものである。著者の類書と同様、その博覧強記ぶりが存分に発揮された多彩なエピソードが縦横に駆使され、そこここにアイロニーの効いた独自の文体から繰り出される箴言の数々には、その痛快さに読みながら思わず頬の緩む人も多かろう…なにぶん独特ゆえ、好みは分かれようが。
 かように、この本は人材育成やキャリアに関心のある人たちにとっては一応はたいへん楽しく読める随想集といえるだろう。ここで「一応は」などとエクスキューズしているのは、この本を楽しめない人、すなわちこの本で語られる著者の理念に反対の見解を持つ人も確実に一定割合いるだろうからだ。さよう、この本はまさしく副題のとおり「基本哲学」を語った本でもある。それがどんな哲学であるかは、本書を通読すれば十分に感得できよう。哲学はなにも論説調の文章でなければ語れないというものではない、ということの好例でもある(学術分野の「哲学」はそうもまいらないだろうが)。
 そこでその基本哲学とは…となるべきところだが、これがまたそうそう簡単に要約できるものではないようなのだ。読めば「感得」できると書いたのはそういう意味である。無理矢理にキーワードを抽出すれば、現場を知れ、長い目で見よ、歴史に学べ、そして流行の言説に惑わされるな…というところか。むしろ、印象に残る一節をいくつか紹介することが本書の紹介としてもふさわしいかもしれない。たとえば…
「大学が職業学校として発達を遂げた国では、企業はその「社会基盤」を利用することができるため、企業内教育はなおざりになる危険性を持つ。しかし日本では、大学などは…大体が職業能力開発とは縁遠い授業内容で、更に職業教育を軽蔑する教員が跋扈した。企業は、やむを得ず、学校での専門を無視し、企業内で教育を徹底する。…経営組織に…職業能力開発を依存するようになった個人には、その開発が組織特殊的な能力の開発であったこともあって、離職による機会費用が大きくなる。…それは企業忠誠心の大きさとなり、組織にもメリットはあった。しかし厳密に言えば、組織にとっては終身雇用に価値があったのではなく、成員の職業能力の伸長に価値があったのである。」(p.14)
「「自立しない」という選択肢もちゃんとある。人に頼りきりになるな。正論であろう。だからといって、人に頼らざるを得ないことを軽蔑の対象にしてはならない。…ひと様を利用させてもらって、自分のちょっとした希望をかなえる、組織との間もそういう、いわば「ビジネスライク」な関係であると考える。…この組織を君のキャリアのためにどう利用したら得か。それをあれこれと教えるべきだろう。同時に、優れた人材がそのキャリアのために利用できる組織にするため、あれこれ改善することも必要であるだろう。」(p.40)
「あえて言えば、(さまざまなキャリア支援の)制度が一つもなくても、組織が成長していれば社員のキャリア支援になることがある。ポストは増えるだろうし、機会も多様になるであろうし、処遇もだんだん良くなるし、教育や休暇の時間も増えよう。」(pp.58-59)
「川の平均の深さが40センチであるからといって、川に足を入れて渡り出す人はいまい。一方、極めて多様な管理職について平均像を描こうというのを誰かが止めない故は、論におぼれても誰も死なないからだ。が、管理職の定義を法律であれこれ縛れば、どこかで何かが流されよう。」(pp.73-74)
 どうだろう。まだ3分の1くらいしか行っていない。続きを読む気になっていただけたか、どうか?