人事評価基準の変更で役所の文化を変えるby長妻厚労相

日経ビジネスオンラインに、長妻厚労相のインタビュー記事が掲載されていました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091106/209074/
お題は「自ら電卓たたきムダ削減」というもので、自ら電卓を叩く件についてもムダ削減の件についても「??」という感じがかなりあるのですが、それはそれとして、ここでは人事評価について語った部分を取り上げてみたいと思います。

問 しかし、補正予算の減額など、思ったほど財源が出てきません。

答 行政刷新会議財務省厚労省関連予算の削減に向けて動いています。実は、厚労省自身もその削減に取り組んでいるのです。刷新会議や財務省は、あくまで外部の視点で削ります。それを内部からも見つめ直す。事務次官をトップに厚労省の内部からムダな予算を削る作業をしています。

問 そうしたムダの排除を人事評価につなげていく考えとか。

答 ムダを排除しながら、役所の文化そのものを変えていきます。私は大臣という名のマネジャーです。本来の役割は、政策の大きな方向性を決めることと、役所の文化を変えること。その結果、官僚組織が真に国民に資するサービスを自発的に提供できるようになればベストです。私などいなくてもきちんと動き始めれば信用される組織になる。そうなれば、もう電卓をたたく必要もなくなるでしょう。官僚が関係者との間で、どうしても調整がつかない時に政治が出ていく。それが本来あるべき姿だと思います。

問 具体的にどのようにして役所の文化を変えつつあるのですか。

答 人事評価の基準を変えました。様々な項目について目標を設定し、半年ごとにそれをレビューする仕組みを作りました。その人事評価に基づいて昇進などを決めていくのです。
 まず、アフターサービスという考え方の項目。役所は新しい制度を作るのは得意だけど、できてしまった制度を自ら改善しようとしない。会社でいえば新製品を作ったらそれで終わり。そんな会社は永続しません。問題があればそれに対処していく。つまりアフターサービス。自ら制度の問題点を見つけ出し改善していけば、人事評価は二重丸ということになる。

問 具体的には。

答 例えば雇用で、これまでの政策に実効性があるかを調べ始めました。景気の落ち込みで失業率は依然高止まりしています。2つのチームを作って、全国の雇用現場を見るよう喝を入れました。雇用の現場と労働政策のミスマッチは起きていないか。あるとすれば、どう改善すればいいか。それらを検討してもらい、うまくやれば評価が上がる仕組みです。
 次に、ムダ遣いの排除。不要な天下り団体を削ったり、意味のない政策を見つけたりします。また同じ事業をするにも、低いコストでできるようにすれば、人事評価は上がります。
 最後が情報公開という項目。消えた年金問題についても、50年前から内部資料は存在していたわけです。しかし半世紀の間、表には出なかった。薬害エイズC型肝炎についても、同様のことがありました。これらを自発的に公表すれば、それが人事評価につながります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091106/209074/?P=2
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091106/209074/?P=3

「人事評価の基準を変えて役所の文化を変える」というのは、なんともなつかしい?というかなんというか。「今回、わが社が成果主義賃金制度を導入したのは、人件費の抑制ではなく、従業員の意欲の向上と社内の活性化、企業文化の変革をめざしたものです」…とか、90年代末から00年代初頭にかけて、あちこちで目にし耳にしたことをご記憶の方も多いと思います(架空の例示であり、特定企業を念頭においたものではありません。為念)。そして、多くの民間企業がこの間の経験から学んだのは、「制度を変えることで人間の行動を思い通りに変えようとしてもなかなかうまくいかない」「企業文化を変えるということは、人事評価の基準を変えればすぐにできるような簡単なものではない」という現実だったのではないでしょうか。
もちろん、民間企業であれば人事評価の基準は経営者から従業員に対する重要なメッセージであり、それが企業の文化や風土に密接に関係することは間違いないでしょう。しかし、組織の文化をこのようなものにしたい、したがってそれに沿った行動をとることを目標とし、半年ごとにチェックして適合した人は昇給・昇進し、適合しない人は(解雇まではともかく)減給・降格、といった制度を導入した場合は、意図しない弊害の方が大きくなって失敗に終わる危険性が高いでしょう。
つまり、長妻大臣としてみれば、たとえば大臣の方針に沿って民主党マニフェスト政策の財源として自ら担当する事業などの予算を「これはムダです」といって差し出す官僚や、官僚組織や前政権にとって不都合な(したがって民主党には好都合な)資料やデータを密告、じゃなくて内部告発する官僚を取り立てて要職に起用し、これに従わない官僚は冷遇することで、組織文化が民主党・長妻大臣の意向にそった、もとい「真に国民に資するサービスを自発的に提供できる」ものになるだろう、とのお考えなのかもしれません。
しかし、本当にこれを強行した場合、うっかりすると自分自身の昇進や保身を第一に考えて、現実には「真に国民に資するサービス」であっても「これはムダですから」と長妻大臣に差し出す官僚だって出てきかねません。そんなことが起きれば必要なサービスを得られなくなる国民が大きな迷惑ですし、その事業に従事していた人たちの雇用問題にもなします。まさしく「一将功成りて万骨枯る」…はちょっと違うか。まあそんなことにもなりかねないわけですが、実際、それで「昇進などを決めていく」と大臣が言っているわけですし、昇進できなかった場合にも「天下りのあっせんは禁止だ」と言っているわけですから、官僚としてみれば「背に腹は代えられない」「これをやらなかったら俺は局長になれないじゃないか…」という状況になりかねません。それこそ「そんな会社は永続しません」ですね。事実、短期的な評価で処遇に大きな差がつくような成果主義人事を導入した企業では、「達成容易な目標しか掲げない」「目標達成に関係しない業務は必要であってもやらない」「他人の業務には協力しない、むしろ足をひっぱる」などといった弊害が(やや表現はおおげさですが)噴出し、制度見直しのやむなしに至りました。
もっとも、そこまで心配する必要はないかもしれません。この人事制度については過去のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091014)で取り上げたことがあるのですが、その内容とインタビューとは微妙に(というか、かなり)食い違っています。なにかというと、長妻大臣は「様々な項目について目標を設定し、半年ごとにそれをレビューする仕組みを作りました。その人事評価に基づいて昇進などを決めていくのです」と考えておられるようなのですが、実際の人事制度のほうは「業績評価については、各職員が期間ごとに業務に関する目標を定め、期末における目標の達成状況等を勘案して評価」し、「各期の勤勉手当(民間でいえば賞与の一部)に反映」することとされているようなのです。ちなみに、昇給および任用、昇格などに反映されるのは業績評価ではなく、年1回「発揮した能力」を評価する「能力評価」のほうです。ですから、とりあえず長妻大臣のアフターサービスとかムダ遣いとか情報公開とかの目標を達成しなくても、ボーナスが少なくなるだけで昇進などには直接には響かない…ということに一応はなっているわけです。
そうはいっても、長妻大臣がこれだけ熱意を示しているわけですから、まったくボーナス「だけ」ともいかないだろうということも容易に推測できるわけで、それなりの影響力はあるでしょう。世間ではこのような「短期的な成果はボーナス、昇進・昇格などは長期的な視点も加えて能力やプロセスなども総合的に考慮」というやり方が、民間企業がさまざまな試行錯誤を重ねた結果として定着しつつあるわけで、厚生労働省も(さすが、というべきか)これを踏襲していると言えるのではないでしょうか。