大学体育会の役割

柳沢敏勝明治大学教授といえば、この業界では人事管理論の研究者として知られています。ワーカーズ・コレクティブやソーシャル・エンタープライズといった新しい動向についても紹介しておられます。
その柳沢教授ですが、昨年、明治大学が「スポーツ振興担当副学長」を設立した際に、その初代担当副学長に就任されました。昨日の日経新聞「教育」欄では、その所信を寄稿しておられます。
どこかでコピペできないものかと(笑)あちこち探してみたのですが見つからず、仕方なく自分でタイプします。タイポがあろうかと思いますがご容赦を(笑)。
ということで、まず前半部分のポイントを簡単にまとめておきます。

  • 大学体育会は、学生の自発的自主的な活動である課外活動として位置づけられ、正課教育から一段低い評価しか与えられてこなかった。
  • 課外活動は有為な人材の育成に貢献するとの認識はあるが、自主的であるゆえに大学からの十分な支援を受けられない。トップレベルの選手を送り込む体育会が自主的な課外活動というのには違和感がある。
  • 学生が自主的に司法試験や公認会計士試験の勉強をするのを正課外教育ととらえ、支援する大学も多い。これは専門能力育成の場であり、トップアスリートを育成する体育会も同様に専門能力を高める正課外教育の場であるべき。

そして、柳沢先生は続けてこのように述べられます。

 世上いわれているように、体育会運動部での活動が、身体的能力はいうまでもなく、競技を通じて培われる状況分析能力や対応能力の向上、戦略戦術眼の鍛錬、そして様々な人間関係を通じたコミュニケーション能力の育成に資するならば、体育会は立派な教育の場である。言い換えれば、体育会は、学生の単なる自主的活動の場にとどまらず、昨今いわれる「社会人基礎力」や「学士力」の涵養に大きな役割を果たす正課外教育の場だと、とらえることができる。
(平成21年10月12日付日本経済新聞朝刊から)

その後のポイントもまとめておきます。

  • 今後の大学教育では体育会活動の正課外教育と位置づけ、修学や練習などの環境整備を急ぐ必要がある。
  • 大学スポーツはアマチュアスポーツの安定的な受け皿として重要な役割を有し、中高生が目指すべき存在という観点からの総合的な条件整備も必要。
  • こうした役割が私学に偏在している現状は考え物。

例によって私の要約は不正確な可能性がありますので、ぜひオリジナルの全文におあたりいただきたいと思いますが、このブログでの関心事項はやはり全文引用した職業能力育成という側面にあります。
現実に、以前ほどではないにせよ、多くの企業が体育会出身の人材を好んで採用する傾向があることは周知です。それはまさに柳沢先生が指摘されるとおり「体育会運動部での活動が、身体的能力はいうまでもなく、競技を通じて培われる状況分析能力や対応能力の向上、戦略戦術眼の鍛錬、そして様々な人間関係を通じたコミュニケーション能力の育成に資する」からでありましょう。
これに対し、「社会人基礎力」や「学士力」といった考え方を嫌悪するような一部の論者(に限りませんが)の中には、「企業が体育会を好むのは監督や先輩の理不尽な命令にも無批判に服従するからだ」といったヒネた議論で体育会を否定しようとする向きがあることは残念です。たしかに、一部の体育会にはそうした前近代的な風潮が残存していることも事実でしょうが、しかし相当に希薄化していることも間違いなく、それにも関わらず企業が体育会人材を引き続き需要していることをみれば、そのようなヒネた考え方が現実に合っていないことは明白でしょう。もちろん、一部体育会のそうした前近代的な体質を好まない人は多いでしょうし(私も好みません)、それを批判する意見にはもっともなものがありますが、しかしそれをもってあらゆる体育会の優れた側面まで全否定するのはまともな議論とは申せないように思います。
実際、柳沢先生は明治大学の広報誌「明治大学広報」の第597号(2008年7月1日発行)において、スポーツ振興担当副学長への就任所感を寄せておられますが、そこにはこうした記載があります。

 従来、大学は、体育会を自主的な課外活動と位置づけてきたにすぎません。しかしながら、課外活動で自発的に世界を目指せ、トップアスリートになれというのでは、いかにも無理があります。
 この矛盾には理由がありました。本学には21世紀初頭までの20年余り、党利党略的に悪用され続けた学生自治組織が存在し、体育会(本部)も学生自治の一翼を担うものと規定し続けてきました。大学は2001年に学園の正常化を実現しましたが、この間、体育会支援に有効な手立てをとることができなかったのです。
 本学が長い間繋ぎ止められてきた呪縛から今こそ脱却する必要があります。学生自治を大事にすることは当然ですが、それにも増して、体育会には教育機関としての大学のサポートがもっと必要なのです。
http://xn--pss25c1zql1g.jp/koho/meidaikouhou/20080701/p09_yanagisawa.html

柳沢先生のこの見解が適切なものなのかどうかは私には判断できませんが、冒頭もご紹介したようにワーカーズ・コレクティブやソーシャル・エンタープライズといったものに関心を寄せる柳沢先生がここまで述べられることの重みはそれなりにあると考えるべきではないでしょうか。実感として、企業の体育会人材採用に批判的な一部の論者の主張には、明らかに党派性が感じられることは否定しにくいのではないかと思います。それがスポーツの振興や、スポーツを通じた人材育成を妨げているとしたら非常に残念な話です。
もちろん、企業が求める人材は多様であり、体育会人材だけでは組織はうまく運営できないことも間違いありません。体育会が好ましく、それ以外が好ましくないという単細胞な二分法で人事管理を行っている企業などないでしょう(評論家や研究者などには逆の二分法を用いる論者はいるようですが)。それは企業が需要する人材のひとつの類型にすぎませんが、しかし体育会がスポーツを通じて社会的に有為な人材を輩出していることは間違いないでしょう。
スポーツに感動や勇気を与えられた経験のある人は多いはずです。運動選手に対して曇りのない目で適切な評価が与えられる社会であってほしいものです。