コメント欄

昨日のエントリは匿名の方からのご指摘を受けて書いたのですが、同じ方から、それはhamachan先生のブログの「コメント欄」だ、と重ねてのご指摘がありました。たしかに「コメント欄」と書いてありました。失礼しました。
加えて、最近のものを3つ具体的にご教示いただきました。ヨソのブログのコメント欄を見ることはまずありませんので、教えていただかない限り気づくこともなく、まずはお礼申し上げます。
ただ、ヨソのブログのコメント欄の記載となると、嫌な言い方で申し訳ありませんが内容が怪しいものも多く、いちいち対応しようかという意欲もなかなか出てこないのも率直なところでして、教えては欲しいけれど対応するかどうかは内容と気分次第…という、まことに勝手といえば勝手ですが、そのあたりはご容赦いただけないかと。
今回は一応初回なので、ご教示いただいたものについては以下にコメントしますが、今後は私の対応には期待せずに教えていただければまことにありがたい…と、ホント勝手だなぁ。

3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!コメント欄

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b14a.html#comments
ココログは個別のコメントへの固定リンクはないのかな。
で、このコメント欄では、解雇権濫用法理をめぐる議論が弁護士の小倉秀夫先生(本物だと思うのですが)まで参加して展開されています。正直に白状すると私にはいまひとつ議論が理解できない(hamachan先生も対応に苦心されているようです)ので、意見を述べるのはいささか気が進まないのではありますが、とりあえず私がこんなふうに引き合いに出されています。

労務屋」さんの言葉から引用します。

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正社員雇用について「期間の定めのない雇用」という法律上の概念を念頭において議論されるからではないかと思います。しかし、実務の現実においては、正社員雇用は決して「期間の定めのない雇用」ではなく、「定年までの有期雇用」です。
企業が定年までの雇用を約束して労働者からいろいろな貢献を引き出したあげく、定年前に解雇する、というのは明らかに約束違反ですから、これが法律で規制されることは当然です。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090123

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法律用語で、定年制は「期間の定めのない雇用」なのでしょう。しかし、もしも約束しているなら、それは契約です。雇用期間に関しての契約です。多分、私の法律的な間違いは以下ですね。

法律用語での有期雇用:双方とも解約が制限される。

それに対して、定年制は労働者からの解約は制限されない。だから、定年制は有期雇用ではなく、期間の定めのない雇用であると。

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当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる

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改めて「日常的に解釈」すると、これって一見、何も言っていないのに等しい文言ですよね。でも、もっと良く考えて、日常的解釈を推し進めると
当事者以外の者が期間を定めたとしても、各当事者は解約を申し入れることができる
となります。多分、法律家はこうは解釈しないのでしょうけども。判例から解釈をするのかな?

投稿: それはー | 2009年5月20日 (水) 19時56分

これに対して、hamachan先生はこうコメントされているのですが:

法律論を論じようという人には、厳密な法律概念論で返します。
実態としての労使関係論を論じようという人には、もちろんそれにふさわしく返します。
どちらでも十分対応いたしますが、ごっちゃにされると、腑分けしないといけなくなります。

投稿: hamachan | 2009年5月20日 (水) 20時31分

いやまったくご指摘のとおりでして。私も概念論と実態論とは分けているつもりです。引き合いに出された部分だけを読んでいただいても、『正社員雇用について「期間の定めのない雇用」という法律上の概念を念頭において議論されるからではないかと思います』という概念論と『実務の現実においては、正社員雇用は決して「期間の定めのない雇用」ではなく、「定年までの有期雇用」です』という実態論とが分かれていますよね。
で、この後も続いてなかなか理解しにくい議論が続き、またぞろ引き合いに出されています。

話があらぬ方向に行ってしまったのでもうやめますが、労務屋さんが期限の定めのない雇用契約を定年までの有期契約だと主張なさっているのは知っています。しかし、現在の法律からするとそれは間違いなんです。そう主張しても裁判では勝てないんですよ(厳密に言えば、そんな主張を聞いたことがないのでどうなるかは不明ですが)。労働法改革を唱え、法の不備を是正するのであれば、法律論で議論していただくよりほかにはないと思います。はっきりいって、経済学者と呼ばれる人々の議論は法律の現場ではまったく役に立ちません。それこそ、民法の第1条から労基法、労契法まで全部一度に書き換えてくれるのならお願いしたいくらいですが、そんな根性はなさそうですし。

投稿: 通り雨 | 2009年5月20日 (水) 22時17分

ですから、こういうふうに引き合いに出されるのははななだ不本意ですね。私がこの議論をするときには必ず「実務的には期間の定めのない雇用契約事実上定年までの有期雇用です」など、実態論であることを示す表現を入れていて、概念論として「期限の定めのない雇用契約を定年までの有期契約だ」などと主張してはいません(ひょっとしたらどこかで書き忘れているかもしれませんが、それは誤りと率直に認めますのでご容赦)。

ワークシェアリングの光と闇」コメント欄

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b7eb.html#comments
エントリ本文は経営法曹会議の会報に掲載された記事「不況時における労務管理の諸問題」の、「諸問題」の設例を紹介しているものです。この内容について、コメント欄で

労務屋さん等からも異論が出そうですが、正社員とパートの仕事内容が全く変わらないという設定が現実的ではないと思います。設問上も、正社員組合が主張してるようなサービス残業の存在で、既に正社員とパートに相違が出てると思うのですが。

思考実験としては有りなのでしょうけれど、現実と乖離した設問と言うのは、「紙の上の理屈」という類の設問に陥っているのではないでしょうか?

投稿: とおる | 2009年5月 3日 (日) 06時01分

とお呼びがかかっています。これって私のことなんでしょうかね?
ただ、このエントリはたしかに興味深いので、これには対応しようかという意欲がわきます。全文におあたりいただきたいのではありますが、まず以下にhamachan先生のエントリ本文から引用します。

…この福島弁護士がつくった設問が、これまた興味深い。自動車部品メーカーで、正社員30名、パート30名、このパートは時間はフルタイムで仕事内容も正社員と変わらない。それぞれ別の組合に加入していて、その間は険悪。今回の不況で合理化を計画。正社員とパートとも、従来の1日8時間、1週40時間、週休2日を、1日7時間、1週28時間、週休3日にし、正社員の月給は20%カット、パートは時間数通り30%カット。等々・・・。
 これに対する正社員組合とパート組合の言い分が、「いかにも」なので、引用しますね。

>正社員の月給を20%もカットしながら、パートの契約の更新をするというのは、正社員の賃金を軽んじるものであり、これでは雇用を確保するといっても生活できない。パートの雇い止めを行えば、従来の労働時間は維持できるはず。残業は主として正社員が行ってきた。言いたくはないが、サービス残業で協力してきたのは正社員だ。労働時間の短縮をするとしても、パートを大幅に短縮し、正社員の賃金ダウンは最小限にとどめてほしい。

>パートといっても正社員と同じ仕事をしてきたのに、時間給だからといって賃金ダウンの幅が正社員より大きいのはおかしい。残業は正社員がしてきたというが、正社員の残業代を稼がせるために、会社と正社員がぐるでそうしてきたのであって、パートが残業を忌避してきたわけではない。残業が少ないこと自体がパート差別だった。これでは生活していけないのは、正社員より賃金の低いパートの方がずっと深刻である。雇用期間といっても10年、20年と働いてきた者も多く、生活できないので、辞めるときに正社員には特別にお金を払うが、パートは勝手に辞めたらよいというのは差別である。パートの賃金を期間雇用中に一方的に減額することはおかしい。念のために言っておくが、パートの多くは更新を重ねてきたことによって実質的に無期契約になっており、一方的な雇い止めは整理解雇になる。

これに11の設問がありまして、そのうち、

5.このまま両組合の同意なしに変更を実施した場合、正社員との関係で、パートの雇い止めをしなかったことが「合理性」の評価でマイナスになるのでしょうか。やはりパートの雇い止めを実施すべきなのでしょうか。

つくった設問ですから当たり前ですが、いかにも正規と非正規の労労対立が浮き彫りになるような設問ですね。さて、どう考えますか?
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b7eb.html

紙の上の理屈といえばそのとおりですが、しかし議論の材料としてはこういう思考実験というのは興味深いものです。で、「自動車部品メーカーで、正社員30名、パート30名、このパートは時間はフルタイムで仕事内容も正社員と変わらない。それぞれ別の組合に加入していて、その間は険悪。」というのは、ただちに有名な「丸子警報機事件」を想起させますね。ウラをとらずに記憶で書きますので間違いがありそうですが(ご教示ください)、この事件は昭和40年代のかなり古い話で、もっぱら女性が作業に従事する生産ラインがあり、未婚者は正社員、既婚者は臨時社員とされていて、臨時社員の一部(大半?)が一般労組に加入していたという例です。仕事については作業のほかQCサークルへの参加などもほぼまったく同じ、キャリアについても女性はそもそも監督者への登用は期待されていなかったという、低いレベルで同一でした。賃金も臨時社員のほうがかなり低く、これは要するに家計補助だから低くていいだろ、という生計費的発想で、時代を感じさせるものがあります。いやホント隔世の感ですが、単純な臨時社員差別ではなく、そもそもキャリアにおいて女性差別があるところに、既婚者差別と組合員差別とが複合した、なかなか珍しいケースでもあるわけです(いや、ここまで極端なのはともかく、近いものなら当時はザラにありましたかね)。
で、まあさすがに今日では製造業でこういうのを探すのはなかなか難しいでしょう(別のコメントで、IT業界ならある、というのもありましたが、やはりキャリアなどの人事管理の方針は異なるのではないでしょうか。実際、IT業界ではフリーランスのほうが正社員より収入が多いというのもざらでしょうし。いずれにしても業界による違いがあることは事実だろうと思います)。普通に考えれば、正社員とパートでは就労形態や足元の担当業務が同じでもキャリア期待(人事管理の方針)は大差でしょうし、それをふまえて潜在能力などを評価して採用しているのでしょうから、であればやはり私としては繰り返し書いているとおり「違うものは違う」ということにしかなりようがないわけで。したがって、雇用調整の方針も正社員とパートで異なるのが当然で、それは最適な方法を企業が考えるということになるわけです。
ですから、これが丸子警報機事件のようにキャリアなども含めて違いがないというのであれば、そもそも設例のように正社員とパートで異なる方針をとることの合理性がなくなってしまいます。設例では賃金もパートのほうが低いことになっていますが、それも経営として不合理です。残念ながらこの説例はフルタイム勤務なので、直接改正パート法違反にまではならないのですが…(これはhamachan先生がたびたび指摘されていたところです)。昭和40年代と違って、現在は生計費配慮についてパートと正社員とで一律に区分できるような状況ではないでしょう。まあ、実態次第ではありますが…。
したがって、変な回答ですが、私としてはまず「こうしたことは普通は起こらない」というよりありません。
で、これが一般的に見られるようにキャリアなどに違いがあるのだとすれば、それは企業としてはその違いを踏まえて「違うものは違う」ように対処するわけで、あとは各労組にその考え方をきちんと説明して理解を求めるしかないでしょう。
ですから、「このまま両組合の同意なしに変更を実施した場合、正社員との関係で、パートの雇い止めをしなかったことが「合理性」の評価でマイナスになるのでしょうか。やはりパートの雇い止めを実施すべきなのでしょうか。」というのも、経営サイドの「このやり方が最も合理的だ」という判断が、客観的にみても概ね承認できるかどうかという問題になるのではないでしょうか。まあ、これまた、いずれの組合に対しても一切譲歩せずに強行するというのも、現実にはなかなか想定しにくい状況ではあるのですが…(企業内労組であればなおさら)。
なお、本筋から外れますが、パート労組には「雇用期間といっても10年、20年と働いてきた者も多く…更新を重ねてきたことによって実質的に無期契約になっており、一方的な雇い止めは整理解雇になる」との主張もあるようですが、これに関しては企業側の人事管理に怠慢があったと言わざるを得ません。パートにキャリアを期待しないのであれば、これを教訓に、今後は3年程度で(いったん)雇い止めを行うようにしたほうがいいでしょう。ということは、パート労組もこうした主張をするとかえって雇用が不安定になるわけで、プラグマティックに考えればかえって損かもしれません。

連合総研シンポジウム「イニシアチヴ2009」」コメント欄

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/2009-d08d.html#comments

こんにちは。いつも興味深く拝読しています。
新聞に出したコメントに対して、荻野勝彦氏にかつて「吐息の日々」で名指しで中傷されたことがある者です。反論ではなく、乱暴な中傷だったため、驚き、傷つきましたし、恐怖感が生まれました。
今では当時の「吐息の日々」の文章は消されていますが、今だに荻野氏の名前をネットで見るとびくびくして心臓が高まります。
荻野氏は立派なことを書いている人なのかもしれませんが、私は基本的に人物として信頼していません。

投稿: くるみ | 2009年5月11日 (月) 18時54分

どうも、教えてくださった方はこれに対する私のコメントを知りたかったようなのですが(笑)、ハンドルネームで、しかも私のいつのどんな文章に関する内容なのかもわかりませんので、私としてもコメントのしようがありません。そういうものにマジレスするのもいかがなものかとも思うのですが、ただ、なにせhamachan先生のブログのコメント欄なので、関係者の方も目にしている可能性は高く、一応ここで弁明を試みておきたいと思います。
さて「当時の「吐息の日々」の文章は消されています」とのことなので、かつて「さるさる日記」で書いていた旧「吐息の日々」のことなのでしょう。これ自体は今も残っています(http://www2.diary.ne.jp/user/59536/)。ただ、たしかに2001年2月以前の記事は削除されていて、これは他の日記を見てみても同じく、時期は微妙に違いますが2000年〜2001年以前の記事は削除されていますので、日記自体がそういう仕様になっているのでしょう。
で、当然ながらこういうのは思わず読みふけってしまう(笑)ものでして、当時はけっこう労働問題以外の話も書いていますし、今読むとかなり妙なことも書いていて、「おいおい、そう来るかよ」と自分で自分にツッコミたくもなってしまうのですが、それはそれとして。
「新聞に出したコメントに対して」「反論ではなく、乱暴な中傷」とのことですが、申し訳ありませんが正直なところ思い当たりません。もし本当にあったのならお詫び申し上げますが…。たしかに今でも辛辣な表現や口汚くののしったりすることは得意技ですし、当時はさらに過激だったとは思いますが、それは必ず相手の主張に対する反論であって、無関係な中傷をするようなことはなかったはずです。もちろん、激しい表現で反論されることで不愉快に感じることは当然だろうと思いますし、新聞のコメントということはそれほど長いものではなかったでしょうから、それゆえの誤解はあったかもしれませんが、新聞にコメントが載るくらいの人であれば、そこはご容赦願いたいところです。私もネット上のそこここで叩かれ、おそらく知らないところでもっと叩かれていると思いますが、自分だって同じことをしているのですから文句はいえません。

  • というか、この当時は読む人ももっぱらNiftyserveのFWSTAGEから流れてきた少人数に限られていた弱小日記で、その分好き勝手にやっていた(今でも好き勝手といえば好き勝手ですが)という面はありますが、いずれにしても新聞にコメントが載るような人が気にするようなシロモノではなかったはずなのですが、だからいいだろうってことにはなりませんが…。

また、叩くといっても何でもかんでも叩き倒していたかというとそうでもなく、これでも異論にはオープンマインドなつもりではありまして(本当かよ)、書きぶりについては当時から一応自分なりのスタンスは持ってはおりました。なにかというと、叩く対象は報道またはプロフェッショナルな立場での意見表明に限る。新聞の投書欄やアマチュアのブログを叩いたことはないはずです。というか、基本的にほとんど取り上げていないと思います。また、単に意見が違うというだけでなく、どうにも許せないと思う場合に限って叩く。といってもいくつもあるのですが(笑)、代表的なものとしては、たとえば

  • 大企業の中高年正社員がリストラで失業し困窮しているのを取り上げて、起業も転職もせずに会社にしがみついているせいでこうなったのであって自業自得だザマーミロ、これから正社員は全員そうなるのだ、といった、単に自分より恵まれていた他人が不幸になるのを見て喜んでいるだけみたいな新聞記事
  • 自分はリスクを負わずに上前をはねるだけのくせにリスク負担力のない人たちにまでリスクを取れ取れと迫り、それが日本を滅ぼすみたいに言ってるけれど実は自分の利益しか考えていないような評論家
  • 会社は株主のものだから経営者は株価を上げるためにはクビ切りも賃下げもジャンジャンやらなければならない、それで株式市場が活性化すれば日本は復活できる、みたいなことを書いて、証券会社を儲けさせることばかり考えているみたいな論説委員

みたいな、というところはたしかに私の憶測ではありますので、そんなつもりではないのに…というのはあるかもしれませんが、繰り返しになりますが専門家・プロとして対外的に意見表明したわけですから、反論・批判の範囲内としてご容赦願いたいところです。いま考えると信じられないかもしれませんが、1998〜2003年頃にはこんな主張がそれこそあちこちにあって、中には真剣に調べて考えてこうだ、というのではなく、アメリカがこうだからとか流行だからとかいったのも結構混じっていたような状況だったと思います。2003年後半くらいからはこうした極端な論調はだんだん薄れてきましたが…。
あと、叩く相手がそもそも口汚くののしっている場合には(必ずというわけではありませんが)こちらも口汚くののしります。これは面白半分で悪趣味なのですが、まあどっちもどっちなんだから勘弁してくださいということで、具体的には連合の主張なんかで、相手の表現を見てこちらも合わせます。
ということで、意見が違うというだけで相手を低学歴だの天下り教授だの地底人だのと罵るようなことはしていないつもりです。まあ、我慢ならない場合はイカサマ師くらいのことは言いますが(笑)
なんだか昔話みたいになってきてあまり弁明にはなっていないかもしれませんが、一応はこんな考え方で運営していますということで書いておきます。