キャリア辞典「非正規労働」(4)

「キャリアデザインマガジン」第84号に掲載したエッセイを転載します。おお、追いついた(笑)


 非正規労働はなぜ増加したのだろうか。これは日本の労働市場における長期雇用慣行との関係が深い。長期雇用慣行は、事実上定年までの何らかの形での雇用をコミットし、それと引き換えに長期的かつ企業特殊的な能力形成や、時間外労働、あるいは配置転換・職種変更などへの対応(アダプタビリティ)、さらには人材育成や生産性向上への強力などを期待する。これは企業独自の技術やノウハウ、あるいはいわゆる「知的熟練」を効率的に蓄積・形成することで、日本企業の成長と競争力を支えてきた。

 いっぽうで、長期雇用のデメリットは量的のフレキシビリティが低い点にある。長期雇用のメリットはすべて「定年までの雇用を約束し、それまでは基本的に解雇しない」ことが不可欠の要件になっているから、景気の変動などにともなって売上や生産量が減少しても解雇によって量的な調整を行うことが難しく(現実には法的にも規制されている)、余剰人員が発生しがちなのだ。

 そこで、日本企業では時間外労働をそのバッファーとして活用することが広く行われてきた。平常時でも一定の残業を生産計画に織り込み、生産量が減少したら残業を減らすことで対応するわけだ。もっとも、増産時に残業を増やす余地も確保しておく必要もあるから、これで対応できる幅はそれほど多くはない。となると、契約期間満了にともなう雇い止めなどによる調整が可能な有期雇用契約の非正規労働をバッファーとして確保する必要が出てくる。

 従来であれば、景気変動のサイクル、とりわけ景気後退期はそれほど長くはなく、また、日本経済と企業組織が傾向的には成長を続けていたから、それほど大きなバッファーは必要とされなかった。ところが、バブル崩壊金融危機に続く前回の経済不振・雇用調整期はかつてなく長く、また将来的に期待できる経済成長率も下方に屈折した。これは余剰人員の発生するリスクを高め、より大きいバッファーが必要と考えられるようになった。それに先立つ労働時間短縮・残業時間減少の影響もあったかもしれない。そこで企業は採用が必要となってもすぐに正社員を増やすことはせず、有期契約の非正規労働をまず増やしていった。たまたまこの時期には有期契約期間や労働者派遣に関する規制緩和が行われもしたが、それが非正規労働を増やす原因となったというよりは、非正規労働が増えるトレンドの中で現状追認的にマッチングの効率化につながる施策がとられていったと考えるほうが妥当と思われる。

 こうした流れの中で、2006年頃になると、非正規労働が増えすぎたのではないかという反省が企業にも生まれはじめた。企業の成長に貢献した団塊世代の定年退職を前に、その技能を伝承すべき若手正社員が少なすぎる、という問題意識が持たれはじめたのだ。正社員採用が増加しはじめるとともに、非正規労働者の正社員登用が活発に行われるようになった。実際、この時期には非正規労働とともに正規雇用も増加する局面もあった。

 残念ながら、そうした動きがさらに拡大することが期待される場面で、今回の雇用調整期に突入することになってしまった。こうした経緯で非正規労働が増加してきた以上、それが景気後退にともなって雇い止めされていくことは、良し悪しは別としても、ある意味当然の成り行きであったといえるだろう。今後とも、非正規労働が国民経済にとって必要な存在であり続けることは間違いなく、それを前提に適切な政策対応が必要となろう。