川喜多喬・小玉小百合編『実証研究 優れた人材のキャリア形成とその

実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援

実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援

「キャリアデザインマガジン」第87号のために書いた書評を転載します。

 この本は論文集であり、5つの事例調査と編者による解題の6章から成り、事例調査の5章はいずれも非常にユニークな企業・職種を取り上げている。さらに、いずれも社会人大学院生の修士論文がベースとなっており、うち4章が著者が働く勤務先あるいは業界を対象としている。詳細な事例調査の中には外部からはなかなか窺い知ることのできないであろうと思われる内容も多く含まれ、事例集としてまことに興味深い本である。
 第1章は自由闊達で先進的な社風で有名な、誰もが知っている国際的エレクトロニクス企業(読めば特定は容易なのだが、社名は伏せられている)の役員クラスのキャリア形成を調べている。中でも、調査対象者全員が「長期キャリアの計画については特に考えてはいなかった」と応えているとの結果は興味深い。ただ、関連会社への出向、海外勤務、異文化体験、修羅場体験など、その結論は実感に合うものだろうが、この企業であれば、結果的に役員になった人もならなかった人も、相当割合で出向や海外勤務などを経験するだろう。役員になった人とならなかった人を比較して明らかな差がなければ十分な実証とはいえないのではないか。
 第2章も、ユニークな経営と個性的な人材が集まり輩出されることで有名な企業の事例である(これまた読めば特定は容易なのだが、社名は伏せられている)。この企業に著者と同期入社した人のうち、「優れた人材」と目される13人をヒヤリング調査の対象として、その定着や転職・起業等に影響を与えている要因を明らかにしている。きわめて独自色の強い企業だけに事例としてまことに面白い。
 第3章はファッションデザイナーの人材形成を調べている。大手アパレル3社の事例からファッションデザイナーの標準的なキャリアを示し、個別企業の詳細な観察を加えて、企業内経験の有用性を明らかとしている。さらに、著者の勤務先の保有するファッションデザイナーのデータベースを利用して、優れたファッションデザイナーのキャリアの特徴を示している。個人の資質に大きく依存すると考えられがちな職業だが、優れた人で10年程度、トップクラスでも5〜6年程度の企業内経験が有用であるとの結論は興味深い。
 第4章も民間地方放送局のアナウンサーという非常にニッチな職業を対象とする。聞き取り対象者は11人で、そのキャリアを3つのタイプに分類し、それぞれの特徴を明らかにするとともに、アナウンサーがフリーランスに転換する要因についても示した。また、米国でみられるような小規模局から大規模局に転職するというキャリアパスが日本ではみられないことも示している。
 第5章は、これまた先進的な人事管理で知られる著名なIT起業の事例である。この企業は従業員のキャリア開発支援の先進事例としても有名であり、その中で重要な役割を果たしている企業内キャリアカウンセラーの実態を調べている。聞き取り対象は同社のカウンセラー10人と独立のカウンセラー1人である。企業内キャリアカウンセラーの必要性・有用性とそこで求められる能力・資質等について明らかにしており、先進事例の詳細な紹介として非常に有益である。
 第6章は編者による解題の性格を持つ。これら事例研究の意義を確認し、それぞれの研究の持つ含意を先行研究の文脈の中で解き明かしている。著者が述べるように「だいたいが全ての人材マネジメントの仕組みが試行錯誤を通じてできていくものである」。そのときに多くの実務家が参考とするのは理論より実例であろう。もちろん先進企業や同業他社の事例が注目されるだろうが、異業種や特殊な職種の事例にもヒントはあろう。そして、それが単なる事例、事実の紹介だけではなく、なんらかの仮説を実証したものであれば、それはなおさら試行錯誤のうえで参考となる可能性があろう。そういう意味では、この本は学術書であるとともに実用書としても有益かもしれない。