米国で積極的格差是正措置に違憲判決

クォータ制などの積極的格差是正措置にはつねに逆差別の批判がつきまといますが、米国でこれを違憲とする最高裁判決が出たそうです。

 米国で一部の公立学校が導入している人種別に生徒数を割り当てる制度について、米最高裁違憲とする判断を下した。かつて人種別に学校を分けていた反省から、黒人らマイノリティー(少数派)に対する差別をなくそうと出発した制度だけに、反発も出ている。
 問題になったのは学校の多様性確保を目的に黒人生徒の割合を「一五%以上、五〇%未満」に保つよう定めたケンタッキー州の制度。子どもが白人であることを理由に希望する公立学校に入学できなかったのは法の下の平等を定めた憲法修正第一四条に違反するとして、親が訴えていた。
 最高裁は二十八日、原告の訴えを認める判断を言いわたした。黒人の入学を優先するシアトルの制度も否定した。最高裁長官のロバーツ判事は「子どもが多様な人々や文化、考え方に触れるようにする幅広い努力の一部に、『人種』は含まれない」と指摘した。
 ただ、判事の意見は五対四に割れた。判決には「人種は多様性を獲得するための要素となりうる」との意見も付記。人種考慮をすべて排除する考えは退けた。市民団体などは「マイノリティーを教室から再び締め出すことにつながりかねない」と非難している。
(平成19年7月1日付日本経済新聞朝刊から)

これは入試の事件ですが、当然ながら企業での採用や昇進昇格などにも拡張可能な問題でしょう。もともと米国では積極的格差是正措置については世論を二分する議論があり、採用や昇進といった労働問題でも複数の最高裁判決があり、しかも安定的な結論の方向性はまだ示されてはいません。わが国でも、均等法などでポジティブ・アクションを奨励する政策がとられていますが、程度と状況によっては逆差別の批判が強まる可能性もあるでしょう。
さて米国の入試に戻って、数年前にはミシガン大学の学部(グラッツ裁判)とロースクール(グラター裁判)のアファーマティブ・アクションをめぐる最高裁判決が出ました。この判決では、マイノリティを特別扱いすることは違憲ではあるが、多様性確保のためにマイノリティであることを有利に考慮することは違憲ではないという過去の最高裁判決(バッキ裁判)を踏襲して、ロースクールについては個別の総合判断で合格者を決める中でマイノリティであることを有利に考慮しているとして合憲と判断し、いっぽうで学部入試においては、ペーパーテストやエッセイ、ハイスクールの成績などを得点化して機械的に合否判断するシステムの中で、マイノリティであることについて機械的に得点を与えていることは合憲とはいえないとして違憲の判断をくだしました。もっとも、9人の最高裁判事のうち、ロースクールについて合憲としたのは5人、学部について合憲としたのは3人と、判事の意見は分かれていました。いずれにせよ、アファーマティブ・アクションそのものについては違憲とはされなかったため、米国の学校では引き続きアファーマティブ・アクションが行われてきています。
そこで今回の判決となったわけですが、この記事だけでは詳細はわからないのでなんともいえませんが、ケンタッキー州の制度はクォータ制なので、ミシガン大学とはまた異なるスタイルということになります。クォータ制違憲だとして退けたとも、アファーマティブ・アクションが否定されたわけではないでしょう。ただ、「黒人の入学を優先するシアトルの制度も否定した」というのは気になるところで、これはバッキ裁判、グラター裁判の判示を転換したということかもしれません。もともと伏線はあって、米国のブッシュ大統領アファーマティブ・アクションについて違憲という意見(寒)を持っているとされており、しかもグラター裁判で合憲意見を出した判事のうち2人が退任し、大統領が新たな判事を任命していたため、今後も合憲判決が出るかどうかはわからないという見方がされていたようです。
どう考えるべきか難しい問題で、これらの事例をみると、アファーマティブ・アクションは「人種的な多様性を持つことが学校にとって教育上望ましい」という価値観のもとに「多様性維持のため、マイノリティの入学割合を一定範囲にしたり、すでにある格差を是正するための優遇措置を行う」という理屈で正当化されているようです。まあ、人種差別が違法であれば逆差別も当然違法という立場に立てば、こういう理論武装になるのでしょう。今回の判決は、この理屈において「人種的な多様性は学校にとって望ましい多様性とは関係ない」という判断を示したことになっています。とはいえ、結局のところは「すでにある格差をどの程度積極的に是正するのが社会正義か」という価値観の違いが争点になっているのではないかとみるのが素直というものでしょう。これは人によって意見に大きな開きがあるでしょうから、なかなか簡単に結論が出るものではないような気がします。
もちろん、米国と日本ではかなり事情が異なりますし、わが国の企業や学校などが人種的なアファーマティブ・アクションを行うことは考えにくいわけですが、とはいえ将来的には性別を対象としたポジティブ・アクションなどで同様な問題が出てくる可能性はゼロではないでしょう。しっかり議論を蓄積していく必要がありそうです。