企業実務家からみた労働契約法の必要性(4)

昨日の続きです。今日は「判例法規の立法化」と「書面手続」。

季刊 労働法 2006年 04月号

季刊 労働法 2006年 04月号

(4) 判例法理の立法化


研究会報告では、採用内定取消*1や、就業規則が労働契約の内容となる効果*2、同じく労働条件を変更する効力*3など、多くの部分で従来の判例法理の立法化等を行うことが適当とされている。
 判例法理の立法化等は、それ自体が規制強化であることから、企業サイドとしては積極的に賛成する理由は基本的にはないと考えられる。ただし、最高裁判決があり、すでに判例法理として確立されているものなどについては、多くの企業ではすでに人事労務管理の前提として組み込まれているものであり、あらためて成文化されても実務的には大きな影響はないと考えることもできる。また、競業避止義務のように現状では必ずしもルールが明確でないケースにおいては、成文化されることによる予測可能性の向上が期待できるし、そのほかにも各種ルールの社内展開、現場の管理監督者への周知徹底を容易にするといったメリットもありうることから、強く反対する理由もないといえよう。
 ただし、判例法理は現行労働法の枠組みをもとにしていることから、使用者の義務としての規定が多いと考えられ、研究会報告をみても、使用者の義務については労働契約法で規定することが適当とすることが多い一方、労働者の義務を規定することには消極的であるように思われる。実務的にはこれを労働契約法にふさわしく、双務的なものとしていくことを要望したい。例えば、研究会報告は安全配慮義務を法律で明らかにすることが適当と述べているが*4、これに関しては労働者にも自らの安全や健康の維持・確保に努める義務があるとすることを求めたい。実務の現場では、再三の呼び出しにもかかわらず法定健康診断を受診しようとしない労働者も存在するのが実態であり、こうした労働者に対しても実効ある安全配慮を行うためには、労働者も一定の義務を負っていることが明確であることが望ましいと思われる。また、研究会報告は労働者の在職中の秘密保持義務について「不正競争防止法の定め及び民法の一般原則に委ね、特段の規定を設けないことが適当である。*5」としているが、とりわけ中小企業などにおいては、1個の秘密漏洩が経営の存立を揺るがせるケースも十分にありうるのであって、労働者の在職中の秘密保持義務の保護法益は重大であり、労働契約法で明文で規定することが適当であろう。

(5) 書面手続

 書面手続については、当事者の意思を明確化して紛争を予防するとの趣旨から、採用内定取消事由*6や試用期間中の解雇*7、転籍時の労働条件*8、懲戒事由*9などの多くの場面で求められている。そして、書面手続が行われなかった場合の取扱いを、行われなかった部分の労働契約の内容を使用者に不利益なものとみなすというペナルティ・デフォルト・ルール*10を設定することによって、事実上の義務化*11に近いものとしている。
 これに対しては、使用者にとって手間がかかり、過度の負担を課すものとの実務的な批判がある。たしかに従来から、書面手続は中小企業にとって負担となるとの考え方から、行政においてもモデル様式を作成する*12などの配慮が行われてきた経緯もあり、今回、書面手続が大幅に増加することは、中小企業の実務にとって大きな負担となるとの懸念は大いにありうるものであろう。しかし、中小企業であっても融資や保険などの契約は書面で行われているし、日常的な物品購入などでも納品書、請求書、領収書といった書面での手続が商慣行として定着している。労働契約のみがその例外というのは必ずしも十分に説得的ではないとの感は免れず、これは研究会報告が指摘するとおり、「そもそも労使自治契約自由の原則の大前提*13」として受け入れていくべきものではないか。もっとも、これは当事者双方の意識の問題であるから、労働者にも労働契約は当然書面手続が行われるものだという意識が定着することが望まれる。
 これに対して、書面手続の不履行に対してペナルティ・デフォルト・ルールを設定することには、実務上大きな問題がある。もちろん、ペナルティ・デフォルト・ルールは、不完備契約を回避するためには一定の有効性を持つ手法であろう*14。しかし、研究会報告がいうような手続の要式性の担保のためにこれを用いるのは適切ではないと思われる。例えば、研究会報告は「使用者が契約期間を書面で明示しなかったときの労働契約の法的性質については、これを期間の定めのない契約であるとみなすことが適当である。*15」としているが、手続上の瑕疵があることをもって当事者の合意とまったく異なる効果を発生させることは、私的自治の原則を大幅に逸脱するものであり、まことに理不尽である。これは要式性担保のためにペナルティ・デフォルト・ルールを設定したことによる矛盾であろう。また、より実務的にも、手続上の瑕疵によってある労働者について有期契約が期間の定めのない契約となることは、他の従業員との均衡の観点から人事管理上きわめて問題が大きい。あるいは、実務家としては、労働者が口頭では有期契約で同意しながら、書面明示を忌避して事実上就労を開始し、手続上の瑕疵を生ぜしめることで、後から期間の定めのないことを主張するといった紛争が発生することも大いに懸念せざるを得ない。懲戒に関しても、「使用者が書面通知を行わなかった場合の懲戒解雇、停職、減給は無効とすることが適当である。*16」などとの記述がある が、これも同様の問題がある。実務的にも、懲戒解雇事件においては当事者が行方不明というケースは珍しくないが、この場合どのように書面通知を行うかといった問題が発生しよう。
 たしかに、当事者の意思を明確化し、紛争を防ぐうえにおいては、書面手続は効果的であろうし、それが必ずしも十分に行われていない実態もあるだろう。そこに一定の強制力を働かせること自体は必ずしも全否定するものではないが、その方法はペナルティ・デフォルト・ルールではなく、罰則の設置や強化などによることが適当ではあるまいか*17

*1:研究会報告p.21。

*2:研究会報告p.26。

*3:研究会報告p.27。

*4:研究会報告p.52。

*5:研究会報告p.51。

*6:研究会報告p.21。

*7:研究会報告p.23。

*8:研究会報告p.42。

*9:研究会報告pp.45-46。

*10:ペナルティ・デフォルト・ルールとは、情報優位の当事者が反対の約定をしないと不利な法律効果、つまりペナルティーが与えられるような任意法規をいう。田中亘(2000-2003)「取締役の社外活動に関する規制の構造」法学協会雑誌117巻3号・10-12号、118巻6-7号、119巻12号、120巻11号参照。

*11:そのなかには、有期雇用契約期間の書面交付のように、現行法ですでに義務とされているものも含まれる。

*12:例えば、平成9年12月11日に発表された中央労働基準審議会の「労働時間法制及び労働契約法制の整備について(建議)」では、労働契約締結時の労働条件の書面明示について「中小規模の事業場において明示が使用者にとって過大な負担となることなく適切かつ確実に行われるよう、労働者の雇用形態別に定型化したモデル様式を作成し、その普及に努めることが適当である。」と述べられている。

*13:研究会報告p.4。

*14:米国におけるペナルティ・デフォルト・ルールの活用については、田中(2000-2003)前掲論文、藤田友敬(1997)「情報、インセンティブ、法制度」成蹊法学43巻を参照。なお研究会報告においても、出向の際の賃金水準については「出向労働者と出向元・出向先との間の権利義務関係を明確にするため、出向労働者と出向元との間の別段の合意がない限り、出向期間中の賃金は、出向を命じる直前の賃金水準をもって、出向元及び出向先が連帯して当該出向労働者に支払う義務を負うとの任意規定を設けることが適当である。」としているが、これは不完備契約を回避するためのペナルティ・デフォルト・ルールの活用とみることができる(ただし、出向元と出向先の間で出向労働者の賃金の負担について出向協定等で明確化されている場合にまで、出向労働者と出向元との特約がなければ出向元と出向先が連帯責任を負うことが適当かどうかは疑問がある)。

*15:研究会報告p.68。

*16:研究会報告p.44-45。

*17:労働基準法は、労働契約の書面明示を怠った使用者に30万円以下の罰金を規定している。