三菱UFJ銀の総合職、「地域限定」年単位で選択

少々旧聞となりますが、週末の日経新聞から。

 三菱UFJ銀行は2019年4月から人事制度を改定し、海外を含む遠隔地への転勤がある勤務か、地域限定で働くかを年単位で選べるようにする。出産・育児や親の介護といったライフサイクルの変化に合わせて働き方を変えられるようにする狙い。どちらを選んでも給与面の待遇には差をつけず、より働きやすい環境をつくる。
 労働組合と協議した上で導入する。人事制度の改定は9年ぶり。現在の総合職には全国・海外への転勤がある職種と、地域限定で業務内容も絞って働く職種の2つがある。入社時に選択し、賃金体系も異なっていた。
 来春からは1つの「総合職」に統合。地域限定で働くか、遠隔地への転勤もありうる前提で働くかの希望を本人が毎年申告できるようにする。
 これまでは同じ働きをしても給与は全国転勤がある総合職のほうが地域限定職より高いことが多かった。新制度では賃金体系を一本化し、役割や職責で処遇する。責任が重いポストには全国転勤型を選んだ人が就くことが多いとみられる。
 新制度では、親を介護する行員が地域限定で勤め、介護から離れた後で海外への転勤を目指すといった働き方がしやすくなる。入社時に地域限定を選んだものの、仕事をするうちに他地域での仕事も経験したくなるという働き手の意向の変化への対応も想定している。
(平成30年5月13日付日本経済新聞から)

「カネよりキャリア」というわが国の労働慣行を象徴するような事例といえましょう。常識的に考えれば全国転勤のある人はない人より賃金が高く、また役割や職責が重い人は軽い人より賃金が高いというのが当然でしょうし、まあ実際そういう人事管理がほとんどではないかとも思いますが、働く人たちの期待は必ずしもそうではないわけですね。賃金ではなく「役割や職責で処遇する」というのは、まあメガバンクの人たちだからという部分も相当にあるでしょうが、働く人にとっては賃金より権限や裁量を含めた仕事の面白さのほうが大事であり、重い役割や職責を務めることを通じて昇進昇格など中長期なキャリアを形成することのほうがはるかに重要だということでしょう。もちろん昇進昇格が実現すれば賃金も上昇するでしょうが、そちらは従であって主ではないと。まさに高橋伸夫先生の言われるとおり「仕事の報酬は次の仕事」なんですね。
逆にいえば、なんらかの事情で地域限定を選択した人には役割や職責が軽い仕事が割り当てられますよという話でもあり、賃金は同じであってもキャリアの面では不利になるだろうことも想像に難くありません。極論すれば、地域限定を選択した人に対して「カネは同じなんだから、出世はあきらめてね」という制度という見方もできるでしょう(意地悪な見方ですが)。そういう選択をする人、余儀なくされる人がどういう人かと考えれば…まあ、それでも賃金は同じという分だけかなりマシではあるわけですが。そうやって出世競争から納得して「降りて」くれる人が増えればそれも歓迎ということかもしれません。

日本労働法学会誌131号

日本労働法学会から、学会誌131号が送られてまいりました。タイトルは「雇用社会の変容と労働契約終了の法理」で、昨年秋に小樽商大で開催された大会における同名の大シンポの記録が中心です。読むと非常に興味深い内容が続いているので参加できなかったのが残念なのですが、しかしさすがに手弁当の企業人会員は小樽までは行けないなあ。なお今後は1日・年2回開催から2日・年1回開催に変更されるらしく、次回は今秋に早稲田大学で開催されるとのこと。大シンポは労働法と知財法をテーマに野川忍先生と土田道夫先生がリードされるとのことでこれはぜひとも行かなければ。

さて大シンポの報告を概観しますと(いやこうまとめられては困りますという話は多々ありそうなのですがご容赦)、まず野田進先生の総論・問題提起があり、それによると「雇用社会の変容」というのは具体的には近年のさまざまな「成長戦略」類において解雇の金銭解決の制度化や、解雇の正当・不当に関する予見可能性の向上などが主張されていること、HRTechなど、AIをはじめとする技術革新の人事管理への応用が始まっていることに加えて、一昨年2月に山梨県民信組事件の最高裁判決が出たことも背景としては大きいようです。同様の動きは先行してフランスで進んでいるとのことで、それを参考としつつ、グローバル化・IT化が進む中で、時に集団的合意のサポートを得つつ行われる「『攻撃的』雇用終了」の新たなルール作りが訴えられています。
各論の第1は山下昇先生で、具体的な解雇事例や過去の裁判例から解雇の合理性・相当性判断の要素として12項目を抽出され、判断基準のガイドラインを作成したうえで、それを都道府県労働局のあっせんといったADRの中で活用し、解決金額基準の作成につなげることを提案しています。
次は龔敏先生が能力・適正評価について検討されています。まず外資系企業に多く見られる業績改善計画(を通じた解雇)について検討し、さらに今後HRTechの導入拡大によって能力評価の(科学的ではあるものの)ブラックボックス化が進むことへの懸念が示されます。その上で、雇用契約時に(職務は限定しないまでも)使用者に能力・適性明示義務を課して解雇事由の判断に活用することを提案しています。
柳澤武先生は、整理解雇(的な雇用調整)における人選基準を取り上げておられます。関心の中心はAIで、AIによる人選は恣意性が入り込む余地がないという意味で客観的ではあるものの裁判所がその判断プロセスを検討することは困難であり、かつ、過去の差別的慣行による間接差別が判断に織り込まれ、法律学的見地からは認めがたい判断や、新たな形態の紛争を惹起しかねないと警告しています。
所浩代先生は勤務不良による普通解雇における説明義務・協議義務について検討しておられ、まず使用者のとるべき行為規範として、求められる具体的な内容を時系列でモデル化したガイドラインを作成し、その遵守を努力義務化すべきとしています。また、合理性の評価規範として、個別的対話の充実を解雇の有効要件として位置付けること(これは龔先生の紹介された業績改善計画にも通じそう)、集団的対話についても肯定的評価要素と考えるべきことを主張しておられます。
最後の川口美貴先生の報告は山梨県民信組事件をふまえたもので、労働契約終了の「合意」が有効となるには「意思表示の存在」だけではなく「意思の自由」が必要であり、具体的な紛争においては労働者は「効力阻害要件」を疎明すれば足り、意思表示の存在と意思の自由は使用者が挙証すべきとの観点からさまざまな検討を加えておられます。
さてその後のディスカッションの記録もなかなか面白いのですが割愛させていただいて若干の雑駁な感想を書きたいと思います。
まず金銭解決についてですが、野田先生がフランスの例を引かれて強調されているにもかかわらず、それ以降は山下先生が少し触れているくらいでほとんど議論になっていません。まあ他の先生方は金銭解決そのものに否定的なのだろうと思いますが(特段意外でもない)、期待外れの感はあります。野田先生の提起されたような、例えばもっと高い能力の人と入れ替えたい、といった「攻撃的」雇用終了を可能とするには金銭解決が有力な手法だろうと思われますが、まあ他の先生方は「攻撃型」雇用終了にも否定的なのでしょう。
龔先生の能力・適正明示義務については、職種は限定しないまでも評価制度とキャリアパスは明示を求めるということで一定の具体性を担保しようとのアイデアのようなのですが、例示されているのが「課題設定力、ITにかかるスキル、コミュニケーション能力、リーダーになる資質、分野を超えて専門知や技能を組み合わせた実践力等」ということだと、やはり十分な具体性は持ちえないのではないでしょうか。職務無限定のままに能力・適性要件を定めて雇用終了の判断基準とするのはなかなか難しいように思います。
AIやHRTechについてもこうした人事管理の現状においては補助的にしか使えないだろうというのもそのとおりだと思います。ただまあ解雇のようなクリティカルな場面では抑制的に考える必要があるだろうと思いますが、日常的な業務転換や人事異動などではさらに有効に活用できる可能性はあるでしょう。一方で昇進昇格や賃金決定などに直接利用しようとすると柳澤先生ご指摘のとおり統計的差別が入り込んできてしまうことも避けられないだろうなと思うところでもあります。まあ性別については学習させないということで対応できる(のか?)かもしれませんが、育児休業取得歴とかは性別情報がなくても容易に間接差別につながるでしょうし、期待勤続年数と深く関係する年齢と言ったものも、企業の人材育成戦略を考えると不可欠の要素ですが、しかし「統計的差別」に直結しそうではあります(なお私は繰り返し述べているように年齢による区別は原則として不当な差別ではないと考えておりますので為念(だからカギ括弧つきにした))。
あとこれはディスカッションの中でhamachan先生こと濱口桂一郎先生が突っ込んでおられたのですが、龔先生も言及しておられますがhamachan先生の『日本の雇用終了』などによれば能力評価とは言っても現実には態度・行為の評価であることが多いため、AI・ビッグデータによる評価が従来主観的とされてきた態度や行為まで客観化されて解雇理由とされてしまう恐れがあるのではないか、という指摘もありました。ただまあ解雇理由としてはともかく、実務的にはコンピテンシーなんかは(行動特性といった訳語をふられる例もあり)ある意味態度・行為だよなあとも思います。コンピテンシーについては明確に「能力ではない」とされていたはずで、「成果を出しやすい人の行動特性」とかいう言われ方がしていた(すみませんうろ覚えなので自信ないです)と思いますので、であれば態度・行為を科学的に客観化する努力をしていたのだと評価することもできるように思われます。それがAIとビッグデータで可能になるならけっこうなことかもしれません。
いっぽうでそのヤバさというのもあるわけで、おそらくhamachan先生もそこを含めて指摘されたのではないかと思いますが、職務無限定な中では使用者が任意に職務を指定できるので、例えば担当職務を付与しない(その極端な例がいわゆる「追い出し部屋」)ことも自由に可能です。でまあこれで現実の能力とはまったく無関係に「ローパフォーマー」の一丁上がりというわけです。つまり、hamachan先生の言われるようにAIによって「おまえはいかにダメな奴か」が客観化できるとなると、そういう状態を使用者が作ることができる可能性があるわけですね。
ということでAI・ビッグデータはじめHRTechについては、可能性には期待するものの慎重な考慮も必要だろうということで、要するによくわかりません。よくわからないものの常として、まずは採用あたりから補助的に活用をはじめて、様子を見ながら徐々に配置とかに拡大し、昇進昇格や解雇などへの活用はごく慎重に、というところではないでしょうか。
なお山梨県民信組事件の最高裁判決については、合意の有効性について「当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」が厳格に解釈されると法的安定性がかなりの程度損なわれる恐れがあり、私も批判的です。ただ判決文を読むと「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については」と明確に限定がなされており、また事前の説明と実際の結果の乖離について「著しく均衡を欠くものであった」とした上で「上告人らが本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには…上記の同意書案の記載と異なり著しく均衡を欠く結果となることなど,本件基準変更により管理職上告人らに対する退職金の支給につき生ずる具体的な不利益の内容や程度についても,情報提供や説明がされる必要があったというべきである。」ともっぱら情報の非対称性のみ問題視している(うろ覚えですが当時もそういう報道がされていたと記憶)ことから、確かに一般論ではあるもののその射程は相当に限定的と考えるべきでしょう。少なくともここで争われた労契法8条・9条以外への展開は慎重であるべきであり、川口先生が戦線を全面拡大されいているのははなはだ疑問と感じます*1。というか、退職届にサインしてそれを提出した後でも、労働者が「いや本当は退職する気はなかったんです」と言えば、使用者が「意思の自由」を挙証しなければ無効になりますというのは、あまりに不安定で実務が成立しないでしょう。あるいは川口先生は(「攻撃的」に限らず)雇用終了そのものに否定的でこうした説を唱えられるのかもしれませんが…。

*1:この事件が甲府中央信組が2年間で4つの信組を吸収合併するという異常事態の中であり合併条件なども二転三転したという特殊性も考慮する必要がありそうです。