冨山和彦氏

私のツイッターのタイムラインに流れてきたので読売教育ネットワークの「異見交論43 国立大への税金投下に「正当性なし」冨山和彦氏(経営共創基盤 代表取締役CEO)」という記事(http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/43-ceo.php)を読んでみましたよ。ちょうどHRmicsの大学教育改革特集を読んだばかりで、結論的には似ていなくもありませんでしたので(立論としてはHRmicsのほうがはるかにしっかりしているわけではありますが)。
でまあこれは編集した記者の問題もあるでしょうが、それにしてもここまで他人への蔑視と憎悪をむき出しにした文章を名前と顔写真入りで公開できるというのはすげえ神経だと思ったわけですがそれはそれとして、なんかいろいろと間違いがあるように思ったので重箱の隅をつつくようですがそれだけ書いておきます。
たとえば、

冨山 税金でまかなわれている国立大学こそ、はっきりと二分化すべきだ。米国ですら、G型大学は10もない。日本でG型と呼べるのは、総合大学としては東京大学だけだ。京都大の一部や東工大などは、分野ごとにはG型だろう。日本の財政がこれほど悪化していなくても、86の国立大学に税金をばらまく合理性は、とうの昔に失われていた。
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/43-ceo.php、以下同じ

「米国ですら、G型大学は10もない」というのですが、アイビーリーグの8校に冨山氏自身がこの直前で例示しているスタンフォードとMITを加えれば10校ですね。でまあ他にもノースウェスタンとかシカゴとかジョンズホプキンズとかカーネギーメロンとか私のような素人でも名前が上がるような大学がいくつもあるわけです(続きの都合上私学だけにした)。
文脈からして(日本の例が東大・京大・東工大でもあり)国立大学のことなのだ、という話かもしれませんが、アメリカの国立(連邦立)大学はウェストポイントやアナポリスなど軍事関係を中心に十数校しかなく、まあウェストポイントあたりでは研究もかなりの規模で行われているようではありますが基本的な性格は職業人養成であり「G型大学は10もない」どころかひとつもない
あるいは「税金でまかなわれている」ということでアメリカについては州立大学だということかもしれませんが、カリフォルニア大学(UC)だけでG型が5校か6校はありそうな…?これにミシガンとかヴァージニアとかワシントンとかオースティンとかチャペルヒルとか、少なくとも国際大学ランキングで東大より上に行っているG型州立大学はやはり10校ではきかないような。すげえなアメリカ。もちろんG型をアメリカで9校以下になるように定義すれば「10もない」ということにはなるわけですが、しかしまあいかにも誇張ですよねえ。

冨山 前提が全く違う。生と死を常に考えておかなければならない高貴な階級のための教養だ。東京大学の大教室で、400-500人にシェークスピアを講義しても何の意味もない。リベラルアーツとは本質的には言語教育だ。考えるための言語を与えるものだ。立場、生きる世界によって、言語は異なる。最先端のAIを学ぶ人ならば、高度な統計数学を言語として持つ必要がある。一方、普通の会社で普通に働く人に高度な統計数学は関係ない。それより、簿記・会計の方が言語になる。「すぐに役立つもの」はすぐに陳腐化する、と大学人はさげすむ傾向があるが、簿記・会計は300年変わっていない。

東京大学の大教室で、400-500人にシェークスピアを講義しても何の意味もない」というのは絵に描いたようなわら人形と思われ、いや東大の大教室で400人相手にシェイクスピアを講義してるわけないじゃん(これはウラ取りしたわけではないので実際にやっているということであれば恐れ入りますが)。とりあえず東大の学年定員は3,000人台の前半(かなり前)のはずで、文学部に進学するのは1学年せいぜい400人でしょう。仮に駒場で全学対象の教養科目で西洋文学をやったとしても400人は集まらないと考えるのが常識的と思います。
リベラルアーツに関する議論もなんか的外れのような気がしますがまあリベラルアーツ自体が多分にバズワードという感もあり、それこそ編集の問題かもしれませんのでそれはそれとして、「簿記・会計は300年変わっていない」というのもひどいなあ。もちろん複式簿記自体は300年どころか15世紀末には骨格ができていたわけですが、しかし減価償却の概念が導入されたのは19世紀のことであり、繰延資産とか引当金とかはさらに新しいものなので、まあ「300年変わっていない」というのは不適切でしょう。つかどこから300年という数字が出てきたのかが不思議です。ちなみに私は大学で簿記・会計を学びました(笑)

冨山 日本国民が豊かになること、幸せになること、それに貢献することだ。ところが実際は、4年間もレジャーランドで遊ばせているだけだ。日本の若者の学力のピークは19歳で、そこから4年間使って下がっていく。

「ピークは19歳」というのも証拠を出せと言いたいところですが学力の定義次第ではあるでしょう。同じ定義だと諸外国でも同じ結果になる例は多そうですが。「4年間もレジャーランドで遊ばせている」っていうのも、冨山氏の学生時代はそうだったのでしょうが、今は違うと思うなあ。かなりミスリーディングだと思います。

冨山 実際はもう変わってきている。たとえばパナソニックでも、従業員の3分の2は海外で、メンバーシップ型ではない。海外に人を送り込もうとすると、「その人は何ができるのか」と問われ、拒絶されるケースも出ている。コストを負担するのは現地法人だからだ。

これは現実にそういう事例もあったのかもしれませんが一般化するのはかなり危なっかしく(これに続いて思い切り一般化されているわけだが)、なにかというと、現地人にできるポストに日本人を送り込もうとして拒まれるのはむしろ普通だと思われるからです。現地法人にとっても現地の政府にとっても自国民の雇用が重要なわけで、とりわけ賃金の高いポストについてはできるだけ現地人でと考えるのが普通でしょう。
ということで半分くらいまで来たのですがさすがに疲れました。この後も誇張や独善をおりまぜてひたすら他人の罵倒が続くのですが、まあ他人がバカに見えて仕方ない気持ちは想像できなくもありませんがしかしなんかこの他人を説得したいならやり方を考えたほうがいいと思うなあ。「大学でももっと実学を」という主張自体はそれなりにもっともな部分もあるわけですし、実際にその方向に進みつつあるようにも思われるわけですし(とりあえず高校の数学の必修をやめて中退を減らすとかいう主張よりは相当にまともだと思う)。