玄田有史『危機と雇用』書評

「キャリアデザインマガジン」に掲載した書評をこちらにも転載します。
この日曜日の毎日新聞大竹文雄先生による格調高い書評が掲載されていたので、勝手に恥ずかしい気がしておりますが、まあ読み較べる人もいないでしょう。

 東日本大震災から4年が経過した。復興の進捗には濃淡があるが、そのプロセスを振り返り、評価することができるようになるだけの時間は経過したのだろう。この本は、東日本大震災復興構想会議検討部会のメンバーとして、主に「雇用」の見地から震災復興に深く関与してきた著者が、震災とその後の雇用対策とが被災地人々の、あるいは日本人の仕事や意識にどのような変化をもたらしたのかを検証した本である。著者は2005年度から東大社会科学研究所が取り組んでいる「希望学プロジェクト」のリーダーのひとりであり、その主要な調査対象がこの震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市であった(その成果は東大社研・玄田有史・中村尚史編著『希望学[2]希望の再生』、同『希望学[3]希望をつなぐ』にまとめられている。さらに震災後の調査結果もふくむ成果は同『〈持ち場〉の希望学』にまとめられている)から、まさに適任であり、また著者にとって特別な思い入れのある仕事でもあっただろう。
 第1章では「震災前夜」として、震災当時のわが国の雇用・労働市場の状況がレビューされる。当時は2008年に発生したリーマンショック後の大不況から、日本経済がようやく立ち直りつつある時期であった。このリーマンショック時のさまざまな緊急避難的な雇用対策の経験が、震災後の雇用対策にも生きることになるのだ。
 第2章は「震災と仕事」と題して、就業構造基本調査の特別集計を中心に、震災が雇用に与えた影響を検証する。影響を受けた人は被災三県にとどまらず、東日本を中心に570万人にものぼる。特に人的資本を蓄積する機会の乏しかった若年、非正規、中卒・高卒・中退といった人たちが深刻な影響を受ける傾向があること、社会関係資本の築かれた住み慣れた土地を離れることを余儀なくされた人たちの就労が困難なことなどを指摘している。
 第3章の「震災と雇用対策」では、震災後に実施されたさまざまな雇用対策が紹介される。その結果を確認すると、これらの施策は一定の成果を上げており、失業率の上昇を抑制した可能性が大きいと評価している。なお経済的支援が被災者の就労意欲を低下させたといった批判に対しては著者は第2章・第3章を通じて否定的である。
 第4章は「震災と企業」であり、震災からの企業の復興は大方の想定を大きく上回るスピードで進んだが、どのような企業がどのように事業を再建し、危機を克服したかが検証される。そこで重要であったのは企業の人材育成力であり、独自の技術力であり、営業力であったが、著者は経営者のリーダーシップに着目する。
 第5章の「震災と希望」では、震災が人々の意識にどのように影響したかが確認されている。大きな被害を受けた被災者は希望を持ちにくい一方で、ある程度の被害を受けた被災者は被害のなかった人以上に希望を持っており、復興を新たな希望として前向きな意識を持てている可能性があること、希望の対象が仕事から家族へと明らかにシフトしていることなどが指摘される。
 そして終章の「危機に備えて」では、今回の経験に学び、今後の危機に備えるための論点が提示される。まず財源確保のための財政再建を求め、続いて製造業の柔軟さから学ぶこと、過去の経験を忘れずに被災者に対する偏見を排することを指摘する。さらに、深刻な影響を受けやすい不安定な人々を減らすための人的資本蓄積の促進やリーダー人材の育成、家族や地域の信頼関係の構築など、著者が提示する平時から取り組むべき対策は幅広い。
 著者も認めるように、まだ検証は不十分であり、課題も多い。しかし、客観的なデータの分析を通じて導き出された議論には豊かな説得力がある。加えて著者が各章において提示している研究課題、たとえば社会的共通資本の喪失による就職困難対策や、雇用創出に対する支援のあり方(グループ補助金か集中型の雇用促進税制か、など)、補助金助成金などの政策効果の評価手法、そして孤立化・孤独化の拡大を阻止する施策などについても、今回の分析に加えて既存研究の成果も踏まえられており、その重要性を納得できる。
 災害はいつ起こるかわからないが、おそらくは、明日大災害が起きないことより、いつかは大災害が起こることのほうがよほど確からしいのだろう。そのときに、今回の経験は十分に生かされなければなるまい。そのためには、著者らの希望学プロジェクトが地道に積み上げているような、現地、現物、現場にある事実の確認とその積み重ね、そして本書のようなデータをもとにした分析が不可欠であろう。雇用は多くの人にとって生活の基盤となる、身近で重要なものだ。ぜひとも今後とも豊かな成果があがり、政策へと結実していくことを期待したい。
 そして、私もそうだが、たまたま今回はそうならなかった人たちも、いつ被災者となり、災害の当事者となるかわからない。災害への直接的な備えはもちろんのこと、自らの人的資本を高めること、信頼のネットワークをつくる一員となることなど、一人ひとりにやるべきことがある。そんなことにも気づかせてくれる本でもある。ぜひご一読をおすすめしたい。