経済同友会の労働政策提言

経済同友会が発表した「「攻め」の労働政策へ5つの大転換を−労働政策の見直しに関する提言」という政策提言が私のTwitterのタイムラインを賑わせていたので読んでみました。なるほど興味深いものでした。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2014/pdf/141126a.pdf
この提言が面白いのは、近年増加を続けて相当数を占めるに至った中小企業サービス業の従事者を主たる対象として検討しているところで、そこでは大企業製造業とは相当に異なる状況があるのでそれに応じて労働政策も変わってくるだろうという発想です。つまり、

  1. サービス業は人手不足感が強い。
  2. サービス業はローカルであり空洞化の心配はない。
  3. サービス業ではすでに雇用は流動的である。

それに加えて、サービス業は低賃金、長時間労働、低生産性であり労働者の交渉力も弱いという前提もあり、こうした特徴をふまえた政策が必要だと主張しているわけです。たいへん興味深い提案と申せましょう。具体的には、

  1. 最低賃金引き上げのための最低賃金決定要素の見直し
  2. サービス産業における労働基準監督の強化
  3. 雇用流動性の高いサービス産業における人財育成の充実と労働者保護
  4. 労働条件規制の企業規模による格差の解消
  5. 行政庁における労働政策の位置づけの見直し

の5点が提言されています。現代のロバート・オーウェンといったところでしょうか(違うか)。
その意気込みやよしとするところではあるのですが、やや理想主義が過ぎ事実関係の詰めの甘い部分や現実的な検証が不足している部分が散見されますので以下気づいた点を書いていきます。
まず最賃引き上げについては具体的にいくらに上げるのかが記載されていないので正直なんとも言えないのですが、以下のとおり提言しています。

…「通常の事業の賃金支払能力」の勘案に際して、「常用労働者数が30人未満」という、労働者数によるスクリーニングを行う*1のではなく、生産性の高い企業など様々な企業の賃金支払能力も加味していくこと、さらには産業ごとに労働生産性において日本よりも高いレベルにある国や地域*2
最低賃金やそれに相当する基準賃金水準を参考にしつつ、最低賃金を徐々に引き上げていくべきである。

これはもちろん相当のコスト増要因になるわけですが、次に出てくる労働基準監督の強化にともなう現実のコスト増とあわせて、実は提言には明記されていませんが当然にコストアップ分は価格転嫁するということなのだろうと思います。たしかに生産性向上でカバーできる部分もあるでしょうが、価格転嫁不要なレベルでの処遇改善ではあまり意味がないでしょうから、相当程度の価格転嫁があるだろうと思います。もちろんこれ自体は別に悪い話ではなく、値上げした分は付加価値のカウントが増えますから、生産性も上がってサービス業の低生産性も改善されてむしろ非常に結構な話かもしれません。
ただ、サービス業といえども価格が上昇すれば販売量が減少することはおおいに懸念されるというのがむしろ常識的な発想ではないかと思うわけで、そこのところを「対面サービスを基本とするサービス産業においては、製造業のような空洞化リスクは小さく、構造的人手不足と相まって、より高い生産性の企業を基準とした最低賃金上昇を行っても、需要不足失業・構造的失業が発生する可能性は低い。むしろ最低賃金の上昇に耐えられない低賃金事業者の廃業や事業売却を通じて、高い賃金を支払っている(≒労働生産性の高い)企業への事業と雇用の集約化を進める効果の方が期待できる。」で片づけているのはいくらなんでも検証不足と言わざるを得ないでしょう。
もちろんこれはモノによるのであって医療サービスなどは値上げしてもさほど販売量は減らない(だから公定価格にしているわけで)でしょうし、松屋のプレミアム牛丼のように営業上の努力でカバーできる範囲もあるだろうとは思います。最賃引き上げで購買力が上がるという効果も期待できるでしょう。そういうものまで含めて価格転嫁しても人手は余りませんよということをそれなりに示していただかなければ、とりわけ値上がりすれば倹約するという行動パターンの鉄板ぶりをついこの間も確認してなにかと痛い目にあったばかりの現在においては説得力がないと思います。
いやもちろん低賃金・長時間労働に依存した低価格販売がいいわけがなく、消費者もしかるべく負担すべきだというのは正論だと思いますし私も賛同します。とはいえ週2杯すき家の280円の牛丼を食べていた人が、すき家がなくなったときにファミレスで540円の牛丼を同じペースで食べるかというと、まあ消費者は正論通りには動かないだろうと想定せざるを得ないというのが現実的な考え方でしょう。
結局のところ、「これだけ値上げしてもそれなりの売上は確保できるだろう」というのは個別企業の経営戦略レベルの話であって、マクロ経済をそういう計画経済的な発想で運営してもまあうまくいかないとしたものなのではないでしょうか。個別の経営者に賃金引上げを呼びかけることはあっていいと思いますしことによればうまくいくかもしれませんが、それを最低賃金引き上げで強要しようというのは筋悪なのではないかと思います。もちろん最低賃金が上がること自体はいいことだと思いますが、それは人手不足が続いてマーケットで賃金が上がり、やがて価格にも転嫁され最低賃金の上昇にもつながるという自然な流れで実現されるべきものでしょう。
次の「サービス産業における労働基準監督の強化」については、法違反の実態があれば是正されるべきことは当然ですし、最低賃金を(相当額)引き上げるとなればその実効を上げるためにも最賃違反の摘発強化も重要な課題となるでしょう。これについてはこう提言されています。

…労働基準監督の定期監督は、サービス産業への比重を高めるべきである。現状では、申告監督の事件割合はサービス産業の方が多いにも関わらず、定期監督にける製造業への実施割合は高く、実態に即していない。また、申告監督をより充実させるためには、労働基準監督署等に対する通報制度の周知徹底や機能強化を図ることが不可欠である。さらに、従来以上に企業規模や経営状況に関係なく、公平に違反行為の労働基準監督にあたるべきである。
 他方で、広範な中小零細事業者比率が高いために企業数が非常に多くなるサービス産業に対して漏れなく労働基準を遵守させるためには、監督業務の効率性を高めなければならない。そこで、地方自治体に労働基準監督権限を与えるとともに、弁護士や社会保険労務士など民間に労働基準監督行政を委託することが考えられる。

不満。どうして労働基準監督官の質・量両面での増強に踏み込めなかったのでしょう。まあ「弁護士や社会保険労務士など民間に労働基準監督行政を委託」なんてことを書いているくらいなので公務員を増やすことはまかりならぬという行政改革脳なのでしょう。しかし司法警察権を持ち、寄宿舎の即時使用停止を命じうるなどの強い権限を持つ労働基準監督官を民間委託するというのはまあ無茶としたものです。しかもそれを弁護士や社労士に委託するというのは、まあ専門性の要請からそう書いたのでしょうが、しかし実態として労使に明確に色分けされてしまう弁護士に委託するというのも無理ですし、社労士の先生方の大半は就業規則の作成提出とか労働関係事務の代行をご商売にしておられるわけで、作成を代行した就業規則を労基署に代理で提出しに行ったところ受領するのは労働基準監督業務を委託された自分自身でしたなんてのは、まあ噴飯ものの茶番ですわな。つか君たち弁護士や社労士に委託したほうが監督官を増やすより生産性が高い=安上がりだと本気で思っているのかね
あと定期監督先については労災のリスクの大きい建設業や製造業が手厚くなるのはむしろ当然であり、このあたり正直詰めが甘いなと感じます。
次の「雇用流動性の高いサービス産業における人財育成の充実と労働者保護」については、「人財」というのはなんとかしてくれという話は別としても、非正規雇用が多い、流動性が高いということで企業内訓練のインセンティブが働きにくいというのはそのとおりであり、それを踏まえた支援策が必要というのもうなずけるところです。
ただ、L型大学の人が委員長で取りまとめられた提言ということもあってかやや力が入りすぎて空回りしている感はあり、たとえばこんな記述があるのですが、

…サービス産業には、弁護士、医師は言うまでもなく、運転士、看護師、介護士、保育士などの…技能専門職、すなわちジョブ型雇用の職種が多い。こうした技能は企業横断的な専門性と汎用性が高いため、個別企業による職業能力開発よりも、学校教育などによる企業横断的な職業能力開発の効率が高い。

このとおりだとすると弁護士の能力向上は法廷に立つよりロースクールに行くほうが効率的だということになってしまいますので、これは役割分担ではないかと思います。今もそうなっているわけですが基本的な技能は学校で学び、応用的な能力は実務経験で蓄積していくというのがサービス業でも基本だろうと思います。

…今までの教育では、現代の社会や企業の求める人財の育成に貢献できていない。とりわけサービス産業や地域経済の活性化に資する人財需要には応えられていない。そこで、これまでの方針を大きく転換して、サービス産業に特化した高等専門学校を作るなど、中等・高等教育においてもサービス産業を中心にした職業能力開発を積極的に実施していくべきである。

以前もL型大学のエントリで書いたのですが、「需要がこれだけあるはずだから教育(機関)はそれに合わせて教育(設置)すべきだ」という計画経済的な発想がうまくいくとは思えないので、これに関して経営サイドでできることはサービス業の就労環境や労働条件を改善することでその道をめざす若者を増やすことなのではないかと思います。そうすれば自然にそれに役立つ学校も増えるでしょう。現状ではおそらくサービス業従事者よりエンジニアのほうが魅力的で、それが工専はあるけれどサービス専はないことの一因ではないかと思います(いやもちろん他の政策的要請のほうが大きい要因だと思いますが)。いっぽうで商業高校や工業高校のカリキュラムを需要に応じて見直すというのは、これはすでに相当やられていると思いますが、引き続き重要だろうと思います。
「労働条件規制の企業規模による格差の解消」というのは結局は

中小企業優遇策の一つである、月60時間超の時間外労働に関する割増賃金率の中小企業への適用猶予は、この制度が施行された当初に予定されていた通り見直し、撤廃するべきである。

ということなのですが、これも法改正当時このブログでも書いたようにそもそも現実の影響はごく軽微であり、むしろこれが重大だという企業が異常であって正常化が必要であろうと思われますので、予定どおり淡々とやればいいと私も思います。というか、これがそんなに力んで提言するほどのものなのかという気はそこはかと。ちょっと粒度が細かすぎませんか。いや言って悪いことはないですが。
最後に「行政庁における労働政策の位置づけの見直し」というのが来ているのですが、私には正直意図するところが読み取りにくいというのが率直なところです。

…以上に述べてきたように、今や労働政策は、労働者保護の視点だけでなく、経済成長の視点も踏まえなければならない時代に突入し、かつかかる視点を持つことが持続的に労働者の福利を向上させる環境に日本経済は置かれている。
 本来、厚生労働省設置法においては、「国民生活の保障及び向上」だけでなく、「経済の発展に寄与」することも目的とされている。厚生労働省は、今こそ設置法の趣旨に立ち返り、経済戦略官庁として、労働市場からの規律付けによって企業の生産性を向上、ひいては持続的な経済成長を実現させることを考えるべきである。

「経済成長が持続的に労働者の福利を向上させる」というのは「今や」なんでもんじゃなくてずっとそうだったと思うのですが、それはそれとして「労働者保護の視点だけでなく、経済成長の視点も踏まえ」ることが労働者の福利向上に重要だというのはそのとおりだと思います。
でまあ私としては具体的には新しい労働時間制度と多様な正社員だと思っていて、ただそれが即座に経済成長に効くかというとそうでもないよねえという意味で「成長戦略としての労働政策には多くは期待できない」と考えているわけです。
ところがこれはそういう議論でもないようで、「労働市場からの規律付けによって企業の生産性を向上、ひいては持続的な経済成長を実現させる」って何なんでしょう。かつて旧日経連が企業ガバナンスに関して「労働市場によるガバナンス」、つまりインチキな事業をしていたり労働条件が劣悪だったりする企業は結局は労働力が集まらなくなって立ち行かなくなる*3よという主張をしていましたが、そういうことでしょうか。だったらわからなくはありませんが…。
ということでこの提言、なかなか面白い問題設定をしていますし、経済団体の提言にしてはプロレイバーな内容を多く含んでいて意外感もあります。ただし政策としての整合性というか成立性については相当に検証不足であり、まあ経済同友会というのは会員が個人の立場で自由な意見を言いっぱなしにするのが持ち味の団体なので理想を語るもいいのでしょうが、しかし企業経営者や政策関係者が参考として重視するような水準には達していないというのが私の感想です。特に個別論点をとりあげて「経営者も立派な人はここまで言っている!」とつまみぐいしたくなる向きも多いかと思いますが注意されたほうがいいと思います。
(12月1日追記)無理な注文かなあと思いながらももう一点やはり書いておきます。この提言はこう主張しているのですが、これほどまでに集団的労使関係・労働組合に対する期待が絶無なのは、まあ現実がそうだから仕方ないだろうということなのかなあ。

…今や日本の労働者の大半は非組合員(労働組織率は約17%)であり、その多くはサービス産業and/or 中小企業で働いている。すなわち労働条件の交渉力と情報力において典型的な非対称が存在する労働市場環境におかれている。本来、最低賃金制度を含む様々な労働規制は、この非対称性を克服することをも目的としており、わが国においては、ここで産業構造と労働力需給の実態を踏まえ、生産性と賃金向上を企図した賢い規制、スマートレギュレーションを導入することは極めて重要になっている。

しかしその非対称性を克服するためにこそ労働組合があるのではなかろうか。
まあ経営者の出す提言なので労組に口出しするのも余計なお世話ではありますし、現実問題としてこの提言の内容は実は労組とはあまり関係がない話が多いのでこの程度ですませてしまったのかもしれませんが、しかし私としては組織率の低さで規制を正当化することにはかなり抵抗を覚えます。
むしろ、現代のロバート・オウエンを自任するのであれば、経営者として労働者との対話を促進し、労組の設立・組織化を容認ないし積極的に支援すべき、くらいのことは言ってほしかったと思います。いやこれは私が勝手に思っているだけでご本人たちはそんなもん自任してないよということかもしれませんが。

*1:実は中最審や目安小委員会では議事録を読むかぎり「30人未満」という議論がそれほどされている形跡はない(資料は提出されている)のですが、主戦場である公労会議・公使会議では議論されているのでしょう。

*2:国際比較については金額そのものだと為替の影響が大き過ぎるわけですが、各国内における相対的な位置を比較すると日本はまだ低いほうなので引上げの余地があるとは言えそうです。

*3:ただしこれは経済政策・金融政策の失敗によって不況が長期化すると成り立たなくなることがあるということは昨今現実化したわけですが。