すわ「残業代ゼロ」(2)朝型の働き方の話ほか

前回エントリの続きなので(2)にしましたが実は本日はいわゆる「残業代ゼロ」の話はあまりないと思います(笑)。前回ご紹介した記事にある田村厚労相の「対案として、始業・終業時間を自由に選べるフレックスタイム制などを推進すれば、柔軟な働き方は実現できるとした」という話について書きます。
さてこの田村大臣の対案ですが、資料が内閣官房のサイトに掲載されています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou3.pdf
そもそも産業競争力会議雇用・人材分科会長谷川主査のペーパーは「働き過ぎ防止や法令の主旨を尊重しない企業の取締りなどを徹底したうえで、経済成長に寄与する優良かつ真面目な個人や企業の活動を過度に抑制することのないような政策」を求めているわけで、田村大臣提出資料にあるような「「育児・介護の事情がある世帯」の働く人には、「始業・終業時刻の柔軟化」「突発的な事態への対応」といったニーズがあり、これらのニーズに即した対応が必要」という議論をしているわけではないので、最初から論点がずれているわけです。これはおそらくは田村大臣というか厚労省としては長谷川主査ペーパーにある「現在の労働時間制度の下で不本意な待遇・働き方を選択することを余儀なくされている人々に、その意欲と能力に相応しい労働条件が提供される」なんてことのために労働時間規制を柔軟化するつもりはありませんという意思表示でありましょう。で、一応は長谷川主査ペーパーにも「多様な個人の意思や価値観・ライフスタイル等に応じて柔軟に選択できる」と書いてあるし、それが育児介護のためということなら相談に乗らないこともないよということで、まあ働かせたいなら残業代払えばいいじゃんということでしょうかね。
それはそれとして中身を見てみると柔軟な働き方に関しては「朝型」「フレックスタイム」「テレワーク」の3つが中心で、いいこともそれなりに書いてありますがダメな話もある印象です。
まず「朝型の働き方の推進」ですが、これは「やむを得ない残業は朝に回して、夕方に退社」することで「生産性を上げつつ、多様なライフスタイル」を可能にするというご提案のようです。これはご承知のように伊藤忠商事が取り組んでいて、昨年10月から試行したところ良好な結果が得られたということでこの5月から本格実施するとのニュースが先日流れていました。田村大臣提出資料にも「X社」として事例紹介されていますね。

…基本的な勤務時間を午前9時から午後5時15分とした上で、午後8時以降の深夜残業を原則禁止する。
 午前5〜9時の早朝勤務に時間外手当と早朝割増金がつく仕組み。
 夜の勤務時間に制約を設け、効率的な働き方を促し、総労働時間を減らすのが狙い。
 6カ月の試験期間中、総合職で月平均約4時間、事務職で約2時間残業が減り、残業時間はそれぞれ約45時間、約25時間。
 この結果、会社が支払う残業代は7%減った。会社側が健康管理のため無料提供するバナナやヨーグルト、おにぎりなどの軽食代を差し引いても約4%のコスト削減を実現、電気使用量も減った。
 「効率的な働き方で労働時間が減り、仕事と家庭の両立支援、健康管理にもいい」(小林文彦常務執行役員)と期待以上の効果があったという。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/140425/bsd1404250500008-n1.htm

労働時間が減ったとは言っても1〜2%の話ではないかと思いますが、まあ1〜2%の生産性向上というのもそれほど簡単ではないでしょうからこれはこれで立派な成果と思います。居残りの残業は残ろうと思えば残って残業できてしまいますが、早出の残業は出勤時間から始業時間までしか残業できないわけなので、その分効率が上がるというのは見やすい理屈で、おおいに労使で検討するに値する施策だろうと思います。
ただ、行政が政策として推進しようというにはややお粗末な感じもありまず。たとえば、資料の中に夫婦一方が早出することで保育所に預ける子どもの送り迎えを分担する、というパターンが示されていて、夫は7時に出勤・18時に終業(残業2時間ということでしょうか)して迎えに行く、妻は子どもを送ってから9時に出勤し、18時以降も残業する…という絵になっているのですが通勤時間はどうしてくれるんですかこれ。少なくとも、絵の中に通勤がまったく表現されていないのはまずいと思うなあ。加えて、最近では延長保育も一般的になってきましたが、それにしても朝7時以前・夜19時以降も預かってくれる保育所は少数のはずで、これが成り立つには通勤時間は最大でも片道1時間、現実にはまあ30〜40分くらいが上限という感じはします。朝型勤務の普及もけっこうですが育児との関係をいうのならまずは延長保育や駅型保育所の普及が先でしょう。まあ、朝型はもっぱら通勤事情の良好な地方のもの、という割り切り方もあるのかもしれませんが、いっぽうで地方では都市部以上に延長保育が普及していないことは容易に想像されるところ(いまウラを取ったわけではないので自信なし)であり、あるいは厚労省は「企業内託児所」という魔法の呪文を唱えるかもしれませんが今度は都市部で幼児を企業内託児所まで連れて行くという困難が立ちはだかります(いやまあ専用シートとか夢はどこまでも羽ばたくかもしれませんが)。
それから、資料には欧州との比較が出ていて、こんな結果が紹介されています。
「8時より前」に仕事を始める人・・・日本7.0% ドイツ46.7% イギリス20.6%
「17時より前」に仕事を終える人・・・日本3.7% ドイツ51.1% イギリス36.7%
だから日本人ももっと早朝から働きましょうさあそうしましょうと言いたいようなのですが、緯度の違いはどうなってるのという疑問がわきます。これは元ネタ(武石惠美子「働く人のワーク・ライフ・バランスを実現するための企業・職場の課題」(経済産業研究所平成23年3月、http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/11j029.pdf)をあたってみるとわかりますが、欧州の調査は2010年7月に実施されています。欧州では非常に日照時間の長い時期で、したがって早朝に出勤する人も多かろうと容易に想像できるところです。また、これは元ネタにも記載がなくて論文にされる際にはぜひ言及されたほうがいいと思うのですが、この時期の欧州は当然ながら夏時間になっているはずで、もしこれを日本との比較のために冬時間(?)に戻して集計しているとしたら、早朝出勤の比率が大きく上がるのも当然だろうと思うわけです。まあこれは戻していないかもしれませんのでなんとも言えませんが、少なくともそこの記述がないのは問題ではないかとは言えるでしょう。ということで単純に比較して日本は、と言われてしまうとどうかなあと思うわけです。
なお通勤時間も気になるところですが同じ調査で通勤時間も調べられていて、日本が長いことは長いのですが数分程度の話なので、これは基本的にはこの調査については結果の違いに大きくは影響してはいないのだろうと思います(統計によっては日本が長い、というか欧米はもっと短いというデータもあるようなので注意は必要ですが)。イギリスはまあ一極集中とかいう点では日本とそれほど事情は違わないようですが、イギリスでは一般労働者には交通費が支給されないと思われるところ(ウラ取りしてませんので自信なし)電車賃がバカ高いので通勤時間も短くなるかなと想像していましたが、そうでもないようです。まあ定期券とかだとそれほど高くないのかもしれません。ドイツについては地方分権で職住近接だろうと思っていたので、日英とたいして変わらないのは少し意外でした。まあ、一極集中はしていないまでも、都市化が進んでいることに変わりはないということなのかもしれません。ちょっと余談になりました。
なお伊藤忠商事さんの事例については、たいへんよく考えられた制度だという気はします。特に重要なポイントだと思うのは残業制限を夜20時までとしたところで、これなら多くの従業員にとって相当程度現実的、実現可能だろうと思うからです。通勤時間が長くて早出が難しい人は夜20時までは残業するという選択肢を選べるわけです。もちろん通勤時間自体は変わらない、というか早出するほど短くなる傾向はあるので、早出する分早く帰るのであれば休息時間の確保という意味では変わりはないというのも理屈ですが、現実問題としてはなかなかそうも参らないでしょう。
というか、むしろ夜20時という制限は、総合商社にありがちな「夜、お客様と食事をして、また帰社する」ということをできなくするという意味のほうが大きそうな気がします。それはまあ明日の朝やりなさいよと。
早出のほうについては、まず早出残業の割増率を上げてインセンティブをつけた、というのはたいへん合理的で優れた取り組みだと私は思います。いっぽう、残業を減らすために割賃を上げるべきだと言っている方々がこれを称賛することは一貫性を大いに欠くことになると思いますのでどうかご注意いただければとも思います。また、朝食を提供するというのも、まあ食事代がインセンティブになるという面に加えて、その分家を出る時間が遅くて済む(現実にはどこで食事をしたってかかる時間は同じなので変わりないはずだというのが理屈ではありますが)という気分的な効果もあるように思います。要するにこの手の話は多分に気分や感覚に左右される部分も大きいのではないかと思うわけです。
でまあ田村大臣提出資料では「子育て中の社員が早い時間に帰りやすい雰囲気になったとの声」があると書いて、だから育児介護のための柔軟な働き方だ、ということを言いたいらしいのですが、ここまでいくと長谷川主査とかが議論しようとしていることと何の関係がという感じはひしひしとしますねえ。まあ対案とはおよそ言えないかと。
ということで、朝型の働き方は全速力全面展開するにはいかにも無理のある話だと思うわけですが、まあやろうとしていることは労働時間等設定改善指針に盛り込んだり好事例を収集・モデル化したりして行政が情報発信・導入ノウハウの相談援助を行うという程度のことで、そのために「仕事と生活の調和推進官民トップ会議」などの場で、政労使により取組を共有・発信してはどうか、という話のようなので、まあ各個別労使の事情に応じて無理なくやれることを適切にやっていく、それを行政も支援する、ということであればそれほど害はないかもしれません。
さて朝型の働き方の話が長くなってしまったのであとは簡単に行きたいと思いますが、フレックスタイム制の見直しについては3点あげられています。
まず、現行1か月が上限とされている「清算期間の延長など、いつ・どのくらい働くかの選択肢の拡大」です。これは3番めの話(後述)とも関係しますが、決算業務など年度ルーチンの仕事の人には、四半期とか半年とか1年とかの精算期間が可能になればかなり便利かつ生産性が上がるかもしれません。で、精算期間を1年にすると長谷川主査ご提案のAタイプにかなり近いものが可能になるということは案外重要かもしれません。もちろん厚労省的にはフレックスタイム制は精算期間で平均週40時間を超えた分は時間割で割増賃金を支払うのだから「残業代ゼロ」ではないよと言うことでしょうしそれはそれでそのとおりですが、しかし企業にしてみれば、「1年精算フレックス、残業代は年360時間分までは実労働時間にかかわらず固定、それを超えたら時間割で払います」という制度にして、事実上超えないようにすれば、まあAタイプとなにが違うかなというものに仕立てることもできるわけです(ということなので「残業代ゼロ」といういいぐさはあまり適当なものではないということになろうかと思います)。ということもありますし、それは別にしても選択肢の拡大は歓迎できる話なので、ぜひ政労使で前向きに進めてほしいと思います。
また「育児・介護の事情がある人については、清算期間における労働時間が「枠」に達しない場合、清算の際に「年休を充てることができる仕組み」を今後議論」というのも面白いアイデアで、要するに精算期間でしめてみて足りなかった場合には、事後的に年次有給休暇の時間単位取得を認めましょうということでしょう。これについては年次有給休暇は原則事前に申請して日単位で取得すべきものだという建前論も強いわけですが、そこは育児・介護限定ということで対応しようということでしょうか。良し悪しは微妙なような気もしますが、まあ育児・介護の事情があって労働時間がショートする人に時季変更の問題が発生する可能性は実務上は低そうなので、選択肢が増えるという意味では悪くないのかもしれません。
3つめの「完全週休2日制の場合における、月の法定労働時間の「枠」の特例」というのが、これが実は実務的には非常に重要で、制度導入当時から指摘されてきた問題です。つまり、資料にもあるとおり「完全週休2日制(1日8時間)のもとで所定労働日数が多いと(22〜23日)、週平均40時間の「枠」に収まらない月がある」わけで、法どおりの運用をしようとするとその月は歴月単位の精算ができなくなります。たとえば8月に土日が8回しかないと、出勤日が23日になるため、精算期間内の平均週当たり所定労働時間が23×8÷(31÷7)≒41.55となり、フレックスタイム制の要件である40時間を上回ってしまうわけです。
まあ、現実には国民の祝日などの休日があるので通常は滅多に発生しない(実際、今年は該当する月はなく、直近で来年の6月になります)わけですが、しかしないわけではなく、多くの企業では知らんふりして月単位で運用しているこらこらこら、いや本当に知らないままに月単位で運用してしまっていたり、当該月だけは精算期間を4週間にしたりして対応しているものと思われます。しかしまあ、法の趣旨を考えればたとえば半年とか年間とかで週平均40時間以下で月間休日が隔月8日以上とかいう要件をかけることで大目にみるというのは、法の趣旨からしてもむしろ適切な運用という感もなくはありません(まあ期間途中で退職する人は少し損するという話はありそうですが、それは事後的におカネを計算すればで対応可能でしょう)。ということで、ここの見直しはぜひとも政労使で早期に実現していただきたいところです。で、精算期間を2か月にすればこの問題はまず発生しなくなるはずだ、というのが上で書いた話です。
テレワークについては、これを推進拡大すべきだということには異論はありません。ただ、田村大臣提出資料をみると、相変わらず「出社せずに自宅で働けるようにしてね、労働時間は労働者の言いなりで割増賃金とかもよろしくね」という発想が根強いようで(すみません印象論の言いがかりです)、まあこれじゃ普及しないよねと感じます。
逆にいえば、Bタイプのような制度ができれば、その適用者には大幅にテレワークを可能とするといったしくみはかなり現実的なものがありそうで、やはり労働時間と賃金を切り離していくことがテレワークを大幅に拡大していく上では重要ではないかと思うわけです(別に定額賃金でなくても、たとえば出来高払みたいなものでもいいでしょう。だいぶ前ですが、家内労働のスキームで事実上テレワークにしているという例があった記憶があります)。
労働災害の問題も悩ましく、まあ療養補償は使用者の無過失責任で実際には労災保険から支出されるので使用者としてはその範囲までは実害はないか少ないわけですが、損害補償についてはなかなか難しい話になりそうです。まあ常識的に考えて(例外は多々ありましょうが)職場での災害に較べて在宅勤務での災害は労働者の責任は大きいだろうと思われますし、なにか具体的でわかりやすいガイドラインが必要かもしれません。
ということで田村大臣提出資料を読んでみての全体の印象は、厚労省の意図が奈辺にあったかにかかわらず対案どころか長谷川主査とかが主張する制度の必要性をむしろ補強するものになっているという印象です。田村大臣提出資料は以上のほかにも興味深い論点を含んでいるのですが今回はここまでとして、次回はまた長谷川主査ペーパーの別の論点について書きたいと思います。