日本の解雇規制by野川忍先生

先週末、野川忍先生が解雇規制について連続ツイートしておられました。私も現行の正社員に対する解雇規制を緩和すれば雇用が増えるという主張にはきわめて懐疑的であり、少なくとも解雇規制を緩和した際の雇用の質的変化について十分に考慮に入れる必要があるとの立場ですが、ただここまで企業企業と連呼されると一言あってしかるべきかと(笑)。もちろん、ツイッターというメディアの制約のため記述をかなり削り込まざるを得ないことによる部分も大きいとは思うのですが、若干の批判的コメントを試みたいと思います。
まずは野川ツイートの全体像をご紹介します。原典へのショートカットは最後に一括しました。

(1)相も変わらず「日本は解雇規制が厳しい。これを緩和しなければ雇用は改善されない」という何とかの一つ覚えの主張が垂れ流されている。しかし、日本の法制度は、厳しい解雇規制などしていないし、実態も解雇が厳しいために雇用が制約されているなどという具体的事実はない。
(2)「解雇規制を緩和しろ」という論者には立証責任があるので問いただしたい。第一に、いったい日本の法制度のどこに「厳しい解雇規制」があるのか、具体的に明確に示してほしい。第二に、「解雇規制があるので解雇できず困っている」という具体的な実例を、ぜひ示してほしい。
(3)日本の法制度には、正当な理由がなければ解雇はできないとか、解雇をするには役所に届け出が必要だとかいったルールは全くない。あるのは、客観的に合理的な理由がなく、社会通念上相当性が認められない解雇は権利の濫用となる、という抽象的規定だけである(労契法16条)。
(4)たとえば、無断欠勤ばかりで出てくれば暴力沙汰を起こして仕事は全くできない、という労働者を解雇するのに、日本の法制度に障害となる規定はない。まず、法制度において解雇規制が厳しいなどということはない。では実態はどうか。
(5)解雇規制緩和をとなえる主張をさんざん見てきたが、具体的実例を挙げて「かくも解雇規制は雇用を妨げている」と指摘するものは皆無である。これに対して、「やらずぼったくりのトンデモ解雇」なら、何千件でも実例があがる。一例として濱口桂一郎先生の「日本の雇用終了」参照。
(6)公平の為に指摘しておくが、裁判所は確かに解雇に対して比較的厳しい態度をとっている。解雇権濫用法理の内実は、一般的な権利濫用法理とは似て非なるものであることは周知のとおり。しかし、裁判所は解雇を厳しくするルールをことさらに作ってはいない。
(7)裁判例をみると、実は企業自身が、自ら解雇を自制することを労働者に約束していたとみなされる場合に、実際になされた解雇を「それは労働者に対する裏切り」として無効としているというのが通例である。ではなぜ日本の企業は解雇を自制してきたか。
(8)日本の企業は、「雇用保障」と引き換えに他の先進諸国ではみられないような「強大な人事権」を取得してきた。わかりやすく言えば「めったなことであなたをくびにはしません。だから、会社に絶対服従してください」という取引を企業側から提示し、それが社会的慣行となったのだ。
(9)したがって今までも、雇用保障も強大な人事権の下への服従も内容としない労働契約においては、裁判所も解雇を自由に認めていた。「担当すべき仕事だけきちんとやってください。過酷な残業も家族を引き離す転勤も一方的に命じたりしません。」というドライな労働関係がその例だ。
(10)日本の企業社会は、そうしたドライな雇用慣行を自ら拒否し、雇用保障を労働者に与えることで会社の為に身を奉げるロイヤリティーを獲得してきた。したがって、解雇をもっとしたいなら、労働者へのロイヤリティーの要請もやめることだ。
(11)私見では、日本の労働市場がもっと活性化し、転職市場が充実して、「解雇されてもすぐ転職できて転職先の方が待遇がよかった」という可能性も十分にあるような状況(アメリカでは珍しくない)ができるなら、雇用保障と強大な人事権の取引などやめたほうがよい。
(12)労働者の側も、自分を解雇しようとする企業など、後足で砂をかけてこっちから辞めてやる、と言える状況になるほうが望ましい。企業もそれを望むなら、まずは企業から、ドライな個別労働契約の慣行、職務給の徹底、雇用平等の実現などを通して労働市場の活性化をはかることだ。
(13)日本の労働市場が硬直的であることは確かである。それを改善するのは、ありもしない解雇規制の緩和などではない。まずは企業自身が、労働関係をめぐる自己改革をとげること、そして政府は、雇用平等法制の徹底と非雇用就労の拡大のための制度整備に本格的に取り組むことである。
(14)そして、濱口先生が指摘するように、日本においても非正規労働者など縁辺的な労働力として扱われてきた労働者については、雇用保障と強大な人事権という慣行自体が希薄であった。そこでは昔も今も、レッセフェールの状態における解雇が日常的に行われているのである。
(15)最後に確認したい。現在の日本の労働市場において「解雇規制の緩和」を主張するのは、事実認識として単純に誤りであり、実態の評価として全く的外れであり、政策的主張としておよそ説得力がない。この主張が現実味を帯びるような労働市場の形成から検討し直すことを勧めたい。
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226171171329171456
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226171785618538496
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226172239270248449
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226172763147210752
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226173454557249536
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226173894804004866
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226174438503239684
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226175006449754113
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226176133207576577
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226176978208833536
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226177596688310272
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226178143667499008
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226179543847817216
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226181055688867840
https://mobile.twitter.com/theophil21/status/226182137068523520

まず(1)の「日本の法制度は、厳しい解雇規制などしていない」に関しては、まあ評価の問題であり、世間では国際比較なども試みられていますが神学論争めくところもありますのでここでは触れません。いっぽう「解雇が厳しいために雇用が制約されているなどという具体的事実はない」については、現に雇用量の調整を意図した非正規雇用が増加していることを示せば「解雇が厳しいために雇用が制約されているなどという具体的事実」の指摘としては十分ではないかと思います。解雇が厳しいために雇用が制約されることと、解雇規制を緩和すれば雇用が増えるということとは別問題と考えるべきでしょう。(2)に関しても「JAL」と答えればおおむね足りるのではないかと思います。まあこのあたりはまさにツイッターの制約ゆえで、主張したいのは「解雇規制緩和論者が騒ぎ立てるほどではない」ということだろうと思うのですが。
(5)の前半も同様で、ガンガン希望退職とかやって身軽になった企業が業績好転してまた新卒採用始めましたとかいう例は多々あるわけで、まあそういう企業は労働市場での信用を失うのではないかと思うわけですが現実にそうかどうかはよくわかりません。解雇規制緩和論者のターゲットは基本的には「無断欠勤ばかりで出てくれば暴力沙汰を起こして仕事は全くできない、という労働者」とか「2度にわたり寝過ごして朝のニュースに穴をあけたアナウンサー」とかではなく整理解雇なのではないかと思います(で、私は「整理解雇については4要素を総合的に勘案する」という現行の(一部の)裁判所の見解に賛成です)。なお(5)の後半(「やらずぼったくりのトンデモ解雇」なら、何千件でも実例があがる)については、解雇規制が厳しいというよりはその実効性の問題でしょう(「何千件」はまあレトリックとして。いや実際事例としては2,000件以上あるかもしれませんが実例をあげるのは大変だと思うので)。
さてここまでは細かい話なのですが、(8)の「「めったなことであなたをくびにはしません。だから、会社に絶対服従してください」という取引を企業側から提示し、それが社会的慣行となった」については、企業の選択であると同時に労働者の選択でもあったのではないでしょうか。私の理解では日経連職務分析センターなんてものがあったくらいで経営サイドは職務給を唱導していたものの実現せず、高度成長期の人手不足の中で「長期雇用・職能給も悪くない」ということで定着してきたという経緯だったと思います。少なくとも定期昇給制度のように経営サイドから持ち出したことが明らかなものではなく、労働サイドもその責任の一端は担うべきでしょう(「絶対服従」という表現は科学的でないと思いますがこれはまあレトリックということで)。
(9)についても「雇い止め法理」と申し上げたくなるところで、これは改正労働契約法18条で明文化される見込みであり、趣旨はわかりますがさすがに単純化しすぎでしょう。(10)の「日本の企業社会」も「日本の労使」だと思いますし、したがって解雇をもっとやれば労働者のロイヤリティーは(いかに企業が要請すれども)低下することは目に見えていると思います。
(11)に関しては「アメリカでは珍しくない」というのが好況期に限られるということに留意が必要です。不況期には失業率二桁、若年失業率20%超になるという側面もあるわけです。ですから、野川先生が私見として「雇用保障と強大な人事権の取引などやめたほうがよい」とお考えになることはもとより自由ですが、個別的労使関係において「雇用保障と強大な人事権の取引もお互い旨みがあるよね」と合意することを妨げるべきではないと考えます。
(12)はさすがにレトリックだと思いますが、「労働者の側も、自分を解雇しようとする企業など、後足で砂をかけてこっちから辞めてやる、と言える状況になるほうが望ましい」というのは、まあそういう労働者もいるでしょうし増えることが望ましいとも思いますがごく恵まれた一部に限られ、全員とか相当割合とかがそうなるのは絶対に無理でしょう。いや私もなれるものならなりたいが無理だろうなあ(笑)。で、「企業もそれを望むなら」とおっしゃるわけですがまず望みそうにありません。
(13)については本当にいいんですかという感じで、「まずは企業自身が、労働関係をめぐる自己改革をとげること、そして政府は、雇用平等法制の徹底と非雇用就労の拡大のための制度整備に本格的に取り組むことである。」とのことで、企業の自己改革というのは(12)にある「ドライな個別労働契約の慣行、職務給の徹底、雇用平等の実現などを通して労働市場の活性化をはかることだ」ということなのでしょうか。それが実現すれば、雇用平等というからには差別的解雇以外は容認されると。まあ、理想というか理念としてはわからないではないですが…。
しかしこれはまさに「正社員の非正社員化」による雇用平等であり、今の日本でそれをやったら労働市場全体が野川先生が(14)で書かれているような世界になってしまうでしょう(例のフロンティアなんとかの説もそうですね)。それが本当にいいことかどうかは私には甚だ疑問です。野川先生はここでも「まずは企業自身が」と書かれていて労働者が除外されていますが、しかし現実には労働関係をめぐる改革は当然ながら労使関係の中で行われるわけで、労働者の太宗がはたして「正社員の非正社員化」を望むかどうか。
要するに野川先生は企業企業と連呼しておられますが、経団連規制緩和要望にも現行の正社員の解雇規制の緩和は入っていませんし、企業がそれを真剣に要望しているとはとても思えません。整理解雇にしても、野川先生もご指摘のとおりきちんとした手順をふめば可能なのであって、実際JALなんかそれをやっているわけです(結果として訴訟になっているわけで、そのあたりの予見可能性を高めてほしいとの希望はあるかもしれませんが)。
実際問題、解雇規制の緩和を叫んでいるのは主に「労働研究者でない経済学者」であるわけで、そういう方々に対する反論はおおいにやってほしいと思いますが、この件で企業を仮想敵にされるのはちょっとツラい感じがします。