山崎元氏、学生に助言する

3日のエントリで最後にhamachan先生を持ち出しておチャラけてしまったところ先生から大変にまじめなTBをいただいてしまい申し訳ありませんでした。先生のエントリを呼んであらためて岩波の採用についてネット上を見てみたのですが、いやみなさん本当に岩波がお好きなんですねえ(笑)。
さて昨日配信されたベストセラー作家の村上龍氏編集になるメールマガジンJMM」ですが、例によって山崎元氏の回答が面白すぎるので備忘的に、あれこれ思いついたこともあわせて書いていきたいと思います。お題は「大学でどういったことを、いかに学ぶべきか」で、質問は「受験、そしてもうすぐ新入学の季節です。医療系など一部を除いて実務教育が乏しい日本の大学で、どういったことを、いかに学ぶべきか、学生たちにアドバイスをいただければと思います。」という職業的レリバンス厨っぽいものです。
さて山崎氏の回答をみてみましょう。

 日本人の大学入学の時点の「能力的な完成度」は、平均的に見て人生のピークのたぶん9割前後で、少なからぬ人が、この時点がピークでしょう。即ち、大学新入生の「伸びしろ」はそう大きなものではありません。この現実は認めた方がいいと思います。もっとも、これは、逆から見ると、将来立派な人は、大学の新入生時点で既に相当に立派である、ということでもあります。
 大学新入生に、古典を読め、思索せよ、自分探しをしなさい、等々のことを言うのは、はっきり言って無駄かお節介でしょう。たとえば、それまでに哲学や思想の本を読みたいと自分から思い、既にその方面の読書に手を着けたような学生でなければ、今更思想的な古典を読ませて利口になるとは思えません(本当のことを言って、ごめんなさい)。スポーツだって、自分探しだって、似たようなものではないでしょうか。社会がそれぞれの分野で「優秀な人」を多数作りたいなら、もっと早い時点で、「飛び級」を許して専門的なトレーニングで徹底的に鍛えてあげるのが効果的でしょう。

えーとまあわかったようなわからないような文章だと思うのですが、前段は要するに人には持って生まれた素質とか才能とかいったものがあって、大学入学時点で判明しているものはその先変えようもないと、そういうことでしょうか?いやさすがに経験的に蓄積される能力まで含めて9割とかピークだとかは、さすがに言ってないだろうと思うのですが。山崎氏ご自身だって証券取引や経済評論の能力が大学入学時にすでにピークの9割」に達していたとまでは考えておられないでしょうし。
後段については、前半部分はつまるところやる人は言わなくてもやるし、やらない人はいくらやってもやらないんだから言ってもムダですよ、ということでしょうかね。まあそういう考え方もあるのでしょうが育成とか指導とか言った発想が皆無な考え方だなとは思います。飛び級云々についてはまあそのとおりで、特にスポーツなどは典型的な分野だろうとは思います。スポーツさえできればいいならね。まあここは「社会が…作りたいなら」という条件節がついていて、たしかにそうすべきかどうかは国民の判断だろうと思います。
なんか山崎氏というお方は「本当のことを言って、ごめんなさい」という表現に端的に見られるように、言いにくい・言ってはいけない「真実」を遠慮なく言うという偽悪的なキャラクターを演じて気持ちよくなるタイプの人のようで、まあ別に他人に迷惑かけないならそれもご自由ですし、それを見て喜ぶ人がいるのなら経済活動としても立派だとは思いますが、しかし面白い人だなあ。
さてその後の本論はご自身の経験もふまえてそれなりに有益な助言をしておられます。面白いところだけ転載するのも不公平なので以下転載します。

 さて、能力は人それぞれであるとして、大学卒業後にどこかで働く「普通の人」(将来の経営者も「医療系」も殆どこの範疇だと思いますが)が、大学生活を有効に過ごすための方法をアドバイスしてみたいと思います。

 実用的な教育の場として評価すると、日本の大学であっても大学は「使いようによっては」そう悪くない環境を提供していると思います。大学新入生は、以下の4点を心掛けるといいのではないでしょうか。何れも、私が後から振り返ってみて、「もう少しやっておくべきだった」と気付いたポイントでもあります。

(1)大学時代は基礎的な能力を能率良く「鍛える」最後のチャンスです。数学・外国語・国語力など、将来「道具として」役に立つものの運用能力をアップする必要があれば、この時期を利用すべきです。幸い、大学にはそれぞれの分野の教師やトレーニング環境が揃っています(どの大学も学生が「思う以上に」充実した環境を持っています)。これらの能力は「伸びしろ」が大きくないとしても、絶対値では僅かな差が、相対的な順位の差として大きな意味を持つのは、受験でもビジネス社会でも一緒です。もっとも、たとえば記述式の答案を採点していると、「大学4年生でこの文章では、会社に入って、仕事で役に立つ報告書や企画書を書くことはまず無理だろう」という答案に出会うことがしばしばあります。自分の何をどこまで伸ばすかは、よく考えた方がいいとは思います。ただし、ビジネス社会には「営業」「辛抱」「人間関係」など、これまでにはない別の基礎科目があります。

大学入学時点で9割とかピークとか言ったと思ったら、続けて「基礎的な能力を能率良く「鍛える」」と言っているわけで、なんか不思議な理屈ですよねえ。まあ「絶対値では僅かな差が、相対的な順位の差として大きな意味を持つ」らしいので(本当か?)、普通の人は伸びしろはないけど頑張ってねということでしょうか。なお山崎氏はたしか獨協大学で教鞭をとっておられたと思いますが、大学の環境は充実してるんだからまともな答案が書けない学生がしばしばいるのはすべて学生の責任、という教員に学ぶのはかなり残念なことではないかと思います。まあ講義の中身のよしあしに較べればたいしたことではないのでしょうが。

(2)将来使うであろう「実用的な科目」の基礎を学んでおきましょう。たとえば経済学部なら、一般均衡理論や動学的マクロ経済学のようなものは将来のビジネスに直接役立たない可能性が大きいでしょうが(もちろん、これらが役立つ職業もありますが)、会計学統計学民法、商法、あるいは一部の経営学などは、基本的な概念を理解していることが、将来の仕事にとても役に立つことがあります。大学には、これらの分野の教科書の著者のような先生が多数いて、彼らが、基礎から網羅的に教えてくれる授業を受けることが出来、質問も出来る、という大学生の立場は、ビジネスパーソンから見ると垂涎の好環境です。将来何が実用的に役に立つのかについては、既にビジネスパーソンになっている先輩や、ビジネス経験のある先生などに訊くといいでしょう。

会計学統計学民法、商法、あるいは一部の経営学などは、基本的な概念を理解していることが、将来の仕事にとても役に立つことがあります」というのはそのとおりでしょうから、おおいに勉強すればよかろうと私も思いますが、しかしたいていの場合は必要になってから勉強しても十分間に合うよなとも思います。むしろ、これは私自身の経験と感想なので特に根拠はありませんが、特に分野を限ることもなく、というかむしろ一般的にあまり実用的でないとされる分野こそ、「これらの分野の教科書の著者のような先生」に学んでおけばよかったなあと、今になって思います。社会学のあの先生とか政治学のあの先生とか理論経済学のあの先生とか、社会人になってからは90分の講演聞くにも何千円も払わなければいけないような高名な碩学の講義が授業料だけで聞けたんですからねえ。まことに「ビジネスパーソンから見ると垂涎の好環境」であり、本当にもったいないことをしたものだと後悔することしきり。

(3)何か一分野でいいのですが、専門的な研究の手順と内容を知りましょう。学問的な知識には、専門家集団の中でこれを研究し追加するための一定の手順が存在しており(経済学ならレフェリーの査読付きの一流専門誌に採用された論文が「業績」の主な単位です)、この手順を理解しておくことと、先端の知識の在処を知っておくことが重要です。ビジネスパーソンといえども、将来、仕事で何らかの専門分野に関わる可能性があり、この場合、専門家や専門知識を的確に「疑う」ことや、最先端の知識へのアクセス方法を知っていることが必要になる場合があります。興味を持った専門分野について、どんな専門研究誌があり、誰が先端の研究をしているかを、教師に訊いてみて、最新の研究成果と先行する重要な論文とを一緒に読んでみることをお勧めします。

「専門家や専門知識を的確に「疑う」ことや、最先端の知識へのアクセス方法を知っていることが必要」ということは、決してビジネスの一場面に限った話ではないでしょう。高度な技術が広く応用されている今日、それが日常的にも重要であることは、今回の原発事故がよく示しているのではないでしょうか(まあ原発事故は日常じゃないだろう、と言われればそのとおりですが)。要するにどういう専門家が信頼できるかという問題になるわけですが、まあ検証・追試可能な公開の事実・証拠にもとづいて議論している人、と言ってもなかなか判定できるものではありません*1。人間だれしも自分に好都合な結論を出す人を信頼する傾向は多かれ少なかれあるでしょうし。ただ確かに難しいことは難しいと思いますが、これこそまさに大学で教育すべき重要な一項目ではなかろうかと私も思います。またこれはビジネスにおいても決して「専門分野」に関わる場合に限った話ではなく、法学におけるリーガルマインドや、経済学における実証研究の考え方など、それぞれの学問の「モノの考え方」はビジネスシーンで幅広く有益であり、それが企業が法学士や経済学士を(他に較べて相対的に)好んで採用する理由ではないか、ということはこのブログでも過去繰り返し書いています。

(4)大学の教師の中に一人「師匠」を作りましょう。大学は、はっきり言って、世間からズレた環境です。教師もどこかズレていることが多い。しかし、ビジネスパーソンにとっては、この「ズレ」が自分の直面する問題(社会やビジネスの問題から、恋愛・結婚・離婚等に至るまでいろいろ)について考える時に自分の思いや考えを相対化できる視点として貴重であることがしばしばあります。もちろん、彼らには、知的刺激を受けたり、最新の知識について訊くことができたり、といった実用性もありますが、たぶんそれ以上に、「相談できる先生」を持つことのメリットが大きいことでしょう。人は教師となると、質問や相談に来る学生がなぜか可愛いものです。打算的なものではない、真面目な質問や相談には真剣答えてくれるはずです。いい先生を見つけて、勝手に「弟子入り」するといいと思います。

 日本の大学生にとって、ともすれば「人生の有給休暇」のような弛緩した時期になりやすい大学生活ですが、誰にとっても時間は貴重です。全ての大学新入生に言いたいのは「時はカネよりも大切だ」ということです。

人間関係の多様性が大切だとか、真剣に相談に乗ってくれる年長者がいることのありがたさとかいうことはまことにそのとおりと思うのですが、「まともな答案が書けない学生がしばしばいるのはすべて学生の責任」とか言ってる人に「人は教師となると、質問や相談に来る学生がなぜか可愛いものです」なんて言われてもなあ…。せっかくいいこと言ってるのにもったいないですよね。結局は変に偽悪的な態度をとるからいけないわけですが、案外それは照れ隠しのためのポーズなのかもしれません。だとしたら意外にも(失礼)愛すべき一面をお持ちの方だということになりそうです。

*1:査読付きの一流専門誌はたしかに頼りになる存在だと思いますが、いっぽうで経済学界がこれを偏重しすぎることに対する批判もあり、たとえば高橋伸夫(2010)『ダメになる会社』で面白おかしく紹介されています。