元財務事務次官

きのうの日経夕刊1面のコラム「あすへの話題」で、津田廣喜早大教授(元財務事務次官ですが)が、そのものずばり「雇用」というタイトルで一文を寄せておられますので備忘的に転載しておきます。

 所謂(いわゆる)バブルの崩壊以降、学生の就職は大変である。
 門戸が広かったのはほんの一時期しかない。就職活動の時間も長い。学生も精神的に消耗するだろうし、授業に欠席することも少なくないから大学としても困る。新卒優先の風潮がまだあるため、希望した企業に入れないと、留年したり大学院に進んだりすることもある。親の経済的な負担も大きい。女子学生は特に苦労している。構内には、「就活などまだ先のことと思っている1〜2年生に」と大書した就職のための説明会の看板が出ている。
 企業側も選(より)取り見取りの買い手市場という訳ではない。採りたい学生は囲い込み競争になるし、採用手続きは大学名を問わないという建前のために大量の申込みがあり、面接する数に絞る作業だけでも難儀をしている。
 翻って我が身のことを思い出してみると、高度成長期最後の時期に当たっていて内定を貰(もら)うのは楽だった。大学紛争の影響で3年生になったのは半年遅れだったが、卒業の1年以上前に内定が出た。あとで辞退するのは少し気が引けた。今の学生には申し訳ないくらい環境が違った。尤(もっと)も、その後も安穏に過ごせたということではない。企業の栄枯盛衰の中で多くの友人が転職を余儀なくされ、今、60の坂を越えた。
 雇用問題は勿論(もちろん)、大卒の就職に限らない。職に就けない、正規雇用者になれないという人は多い。雇用は今の日本における最大の問題の一つであり、社会の安定のために何としても改善が必要な優先課題である。宿痾(しゅくあ)になったデフレに終止符を打ち、経済成長を回復し、より良い資源配分をするために、一層知恵を絞らなければならない。
平成23年12月6日付日本経済新聞朝刊から、強調引用者

財務省から早稲田に転じられたのはもう3年以上前で、すっかり教員モードになっているのはなんだか微笑ましい感じですし、「その後も安穏に過ごせたということではない」と言われれば一言ある学生さんもいるのではないかと思いますが、「新卒一括採用が悪い」とか言い出さずに的確な処方箋を示したところや、しかしデフレだけ悪者にして(まあ悪者ですが)総需要政策には言及しないあたりは、まあ当然といえば当然ですがさすが元財務事務次官という感じです。

「ダメな議論」フォロー

12月1日のエントリに「いちエネルギー政策ウオッチャー」さんからコメントを頂戴しました。

2011/12/05 21:17
おっしゃることも分かりますが、かなり知識が不足されているように感じます。
再生可能エネルギー政策をウオッチしてきた人の多数が、「おいおい、この期に及んで新日鉄と山路かよ、ふざけんな」と思うのは当然かと思います。
この人事が、再生可能エネルギー普及を阻む方向に天秤を傾けるものであることは、間違いないでしょう。
それを承知の上でそれが正しいのだというのであれば、一定の見識ではありましょう。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20111201#c1323087438

繰り返し書いておりますが私はエネルギー政策について知識不足であることはご指摘のとおりですし、「それが正しい」といった特段の定見があるわけではありません(以下も一般論の枠組みに再生可能エネルギーの具体例をあてはめてみたものとご理解いただければと思います)。また、再生可能エネルギー政策を(プッシュしつつ)ウオッチしてきた人の多数が、「おいおい、この期に及んで新日鉄と山路かよ、ふざけんな」と思うというのは、それは当然の心情だろうと私も思います。
ただ、環境意識の高まりや原発事故の影響で国民の再生可能エネルギーに対する期待は高まっているにせよ、電力料金の値上がりをどこまで容認する準備があるかについては、未知数ではないかと思います。
たしかに、買い取り価格を高くすればするほど、供給量は増えるでしょう。しかし、全体に占める比率が上がるに伴って、国民の負担も増して行きます。再生可能エネルギーの普及を進める上において最も恐れるべき事態は、国民の太宗が「こんなに電力料金が高くなるなら再生可能エネルギーなんか要らない、やっぱり天然ガス火力でいい」と言い出すことではないでしょうか。
そうならないようにするためには、なるべく早い段階から、なるべく低い買い取り価格で(もちろん当初はスケールメリットが働かないなど高くならざるを得ない状況はあるわけですが)再生可能エネルギー供給事業が成り立つようにしていくことが望ましいと思われます。そういう意味で、原価の把握を大口ユーザーでありかつビジネスの論理で動く、したがって価格にシビアな新日鐵の幹部が監視することは理にかなっていると私は思います(山路氏についてはよく知らないのでなんとも申し上げられないのですが)。
もちろん、これは1日のエントリでは言及できていないのですが、再生可能エネルギーの供給には外部経済がある(というか、温暖化ガス排出が少ないということで外部不経済化石燃料エネルギーに比べて小さい)わけなので、その普及に国民負担を求める(賦課金であれ税財源の補助金であれ)ことは正当化できると思います。だから総括原価方式になっているのでししょうし、さらには適正な利潤の部分で配慮することも可能だと思われます。結局は委員会が意見を述べるにせよ(前述のとおり)国民の意思に基づいて政府が決定すべきものであり、実際今回の法律もそうなっているのではないかと(違うかもしれない)思います。
繰り返しになりますが私はエネルギー政策について知識不足であり、上記に誤りがある可能性や、私の知らないエネルギー政策・電力政策の特殊性がある可能性もあると思います。ただ、上記は要するに「国民負担を求めるならそれを国民が容認する範囲内にするしくみが必要」という議論であり、類似の政策にも一般論として相当程度該当する議論ではないかとも思います(それこそ東京電力の電力料金設定についても該当すると思われますし、そこで一貫性が問われることにもなるわけです)。
まあ、河野氏にしても東京新聞にしても本当に関心があるのは再生可能エネルギーではなく原発のほうだろうと思われますので、再生可能エネルギーの関係者は上記のようなことは私があれこれ言うまでもなくご承知で、河野氏東京新聞を迷惑に感じられつつも「それにしてもまたぞろ新日鐵かよ、勘弁してくれよ」という率直な感想については同感だ、というところなのでしょうか。

ブックオフ

最近立ち読みとかブックオフとか連呼していたところ、「R@K」さんからこんなお叱りを受けてしまいました。

2011/12/05 18:48
 内容に関してではありませんが、労務屋様は大企業の役職者ですから、ブックオフではなくてちゃんと新品を購入していただきたいと思ったりします。ちなみに私も中小企業の労務屋ですが、書籍はできるだけ新品で買い、ブックオフに対しては供給する立場となっています。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20111129#c1323078500

私もデフォルトは新品購入でありまして(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101216#p1http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090910)、図書館だの立ち読みだのブックオフだのというのは多分にレトリックの部分があるということでお許しください。
基本的にはこの3つとも2種類の意味があり、ひとつは「買ってまですぐに読みたいほどではない」、もうひとつは「読んでみたい気はするが買うと著者に印税が入るのが気に入らない」というものです。最近のものだと『社畜のススメ』の「立ち読み」は前者、のらコーボクやダンダリン101の「ブックオフ」も前者です。過去には後者もあると思いますがあえて申し上げません(笑)。なお「買ってまで」というのは端的に高いというものと、読みたい一部分だけのために買うのはちょっとなあ、というものとがあります。
ニュアンスの違いとしては、「立ち読み」はすべてを読みたいというほどではないけれど早めに拾い読みしてみたい、という感じで、『社畜のススメ』は実際に書店で15分くらい立ち読みして結局買いました。「図書館」は全部にせよ一部にせよ、急がないけれどいつか読めればいいな、という感じです。ちなみに私は「いつか読みたいから買っておこう」という行動を取らない人で、したがっていわゆる「積読」はamazonでまとめ買いした時などを除く平常時は1、2冊程度です(いただきものがあると増えますが)。「ブックオフ」の意味するところは定価なら買わないが安値なら買うということではなく、マンガは基本的に立ち読みできないし図書館に並ぶこともなかろうという趣旨です。ご参考まで。