職場の格差と健康

本日も、日経「経済教室」の「人口減時代の人材力強化」を一日遅れでフォローします。最終回の「(下)」は富士通総研経済研究所河野敏鑑・齊藤有希子両上級研究員による論考で、お題は「生産性向上、「健康」もカギ 格差拡大、企業に損失 法律超えた対応が必要に」となっています。「ポイント」は「体調不良による労働生産性の低下が問題に」「社内格差が大きい企業ほど健康状態は悪い」「企業は意思決定で従業員の健康に配慮必要」とまとめられています。
この論考では、「企業単位で構成されている健康保険組合に着目し、その組合別月次データを情報公開請求を用いて入手することで、企業の従業員の健康状態について分析を試みた」結果が紹介されています。分析の対象は03年度から07年度にかけて5年度にわたって存在したすべての健康保険組合(1496組合)ということなのでかなり網羅的でサンプルも大きいですが、健康保険組合が存在するような企業、つまり主に大企業とそのグループ・関連会社というバイアスがあるものと思われます。
さてこれはなかなか興味深いデータのようで「標準報酬月額(税引き前月給)等級別の被保険者(本人)の人数が男女別に記載されており、企業別に給与格差(ジニ係数、平均対数偏差)を測定することが可能」「企業内格差を介護保険のデータとあわせて40歳以上と40歳未満に分け、年齢内格差と年齢間格差に分解することも可能」「疾病に伴う長期休業で給与が支払われない従業員に支給される傷病手当金の件数や死亡した被保険者に支払われる埋葬料の件数を用いて、長期休業率や死亡率などを推測できる」ということです。すごいですね。
その結果はというと、5年度の間に給与格差は拡大していたが、企業間では給与格差は大きく変化しておらず、企業内部での給与格差拡大が健康保険組合の全体の給与格差拡大に大きく寄与していたこと、企業内格差が拡大した企業が7割程度、年齢内格差が拡大した企業が8割弱存在していました。そして、平均給与が高い、平均年齢が低い、女性割合が高い健保組合の方がそれぞれ健康状態が良いことが確認され、さらにはこれらの変数の影響を調整しても、企業内格差、企業内の年齢内格差が大きい企業の方が、健康状態が悪いことが明らかになったとのことです。労働時間など業務負荷に関するデータはない(まあ致し方ないでしょう。平均労働時間は平均給与とある程度相関するかもしれませんが)など物足りないところは残りますが、それにしても興味深い結果と申せましょう。
さて、著者らによるこの結果のインプリケーションは、「人々が健康になることを通じて労働生産性が向上するという経路にも目を向けることが必要であり、人的資本の維持・増進として健康をとらえ、そのなかで医療・健康産業の成長戦略を語るという供給面からの視点も重要」「成果主義など、一見生産性を高めるように見える企業の意思決定が従業員の健康状態を悪化させて、かえって企業の生産性を損ねる可能性も否定できず、今後は労働生産性の向上といった前向きな視点を交えて、職場環境の改善や従業員の健康に関する取り組みが積極的に進められるべき」というものです。
現実には、従業員の健康悪化は企業にとっても損失であるとの考え方は広がっており、高齢者雇用の要請もあって、企業による健康増進の取り組みはかなり進展しているといえるのではないかと思います。健康保険組合のある企業であれば、その財政の面からの必要もあるでしょう。とはいえ、たしかに賃金制度などのあり方についてまで従業員の健康への影響、それを通じた生産性への影響を考慮することは、そもそも非常に難しい課題でしょうし、実際やっている例も少ないだろうと思います。実際、著者らが「意思決定のプロセスや手続き、部下に対する接し方が不公平であると受け止められると、従業員の健康状態に影響を与えることが、近年指摘されている」と紹介しているように、格差そのものが問題なのか、あるいはその格差が公正でないと考えられていることがストレスになって健康に影響しているのかも判断に悩むところでしょう。いずれにしても人事管理や労使関係の良好さが健康にも影響するというのは納得のいく話であり、企業・各職場においてベスト・プラクティスを追求する不断の取り組みが必要だという、ある意味平凡な、しかし重要な結論になるのかもしれません。